008 「帝都の宴(1)」
・竜歴二九〇三年十一月二十日
既に雪景色となっている北の街は『帝都』と呼ばれていた。
帝都と呼べる国家の首都は、世界中に幾つか存在する。
帝国という国号を持つ国の首都なら、基本的にはどこでも帝都だからだ。
そして竜歴三十世紀に入ったばかりの今日でも、帝国はいくつも存在した。
多くの国がひしめく西方列強では、ゲルマン帝国、オストライヒ帝国そしてタルタリア帝国の3つがある。西方以外でも、東方の大東国の都がこれに該当するし、場合によっては極東の島国アキツも西方の言語的には帝都と呼んで差し支えない。
長い歴史の中にも、帝国と帝都は数多存在してきた。
そうした中、竜歴2900年前後に『帝都』と呼ばれるのは、タルタリア帝国の首都だと言われる事が多い。
ゲルマン帝国は帝国と呼称するようになってからの歴史がまだ数十年と浅い新興国で、オストライヒ帝国の首都は単に都、もしくは都市そのもの古さから古都と呼ばれる事が多い。
世界の中心を自認する西方諸国から見てのそれ以外の地域の帝都は、帝都と呼ぶに値しない。
そして300年近い伝統を誇るタルタリア帝国の首都こそが、世界で最も『帝都』と呼びうる場所なのだ、と主にタルタリアは考えている。
だからタルタリア人は、首都には「聖第一使徒の街」という意味合いの固有名詞があるにも関わらず、自負と誇りを込めて『帝都』とだけ呼ぶ。
特にタルタリアの特に上流階級に属する人々に、その傾向が顕著だった。
そしてその上流階級は、冬は凍り付いてしまう海に面した『帝都』の広大な一角に豪華な邸宅を並べて占有し、総人口1億5000万人と言われる巨大な帝国に君臨していた。
そしてさらにその中心部の海にほど近い運河の川岸には『冬宮殿』と呼ばれる壮麗極まりない、贅沢の極みを尽くした、夢のごとくと表現される宮殿が周囲を圧倒していた。
なお、『夏宮殿』も存在しており、こちらは帝都の郊外にあってキロメートル単位の庭園や狩場すら持つ広大な敷地を有する。だがその名の通り、短い夏の間を過ごす半ば避暑地のようなものだった。
そして北の国特有の長い冬を過ごす『冬宮殿』こそが帝国の中心であり、タルタリア帝国の皇帝とその一族が住まう場所だった。
その『冬宮殿』は不夜城であり、連日連夜大勢の貴族達が招かれ集い、毎夜富を浪費しつつ終わる事のない宴に興じていた。
どれほどの浪費かといえば、一夜の食事代だけで10万の民が食べるのと同じ費用がかけられていると言われる。
その贅を尽くした宴での最近の話題は、もっぱら帝国の東の果て、極東情勢についてだった。
この夜も、過剰なまでに豪華な装いの貴族の紳士淑女達が、その話に花を咲かせていた。
「最近、東の果て、極東の蛮族どもが騒がしいとか」
「小鬼どもが、また何か?」
「なんでも、連中が境界線だと勝手に主張する辺りで活動していた放浪者達といざこざを起こし、皆殺しにしたとか」
「なんと恐ろしい。流石は野蛮な魔物ども」
「ええ、まったく。それで陸軍と放浪者達は相当神経を尖らせている様子。軍にいる私どもの甥も、直ちに懲罰すべしと鼻息が荒くて困る」
「勇ましいのは大変結構ですが、戦となれば金がかかりますからなあ。いまだ四半世紀前の戦費返済が財政を圧迫しているというのに」
一人の貴族が嘆息するが、支配階層の多くが上級の役人や軍人なので、戦いと財政に関心があるのは当然の事だった。
「ええ。蛮族相手の勝てる戦いとはいえ、国庫を預かる身としては少しばかり気が重い」
「そうでもありませんぞ」
「というと?」
話に割り込んできた別の貴族が、話に食いついてきたとばかりにしたり顔で口を開く。
「おや、ご存知ない? 亜人どもは魔石を生み出しますが、彼の地の蛮族は全員が亜人というではありませんか」
「確かにおっしゃる通り」
「つまり併呑してしまえば、アルビオンを凌ぐ魔石が手に入ると。それは景気の良い話だ。すぐにも蛮族どもを平定すべきでしょう」
「ええ。それに蛮族どもを平定すれば、東の海の出口も手に入る。大東国への進出もし易くなる上に、豊かな極西大陸にすら手が届く」
「ですが蛮族どもは、本国以外にも大東洋各地にも手を出しており、アルビオンも手を焼いていると聞き及びます。安易な蛮族平定は、アルビオンに利する可能性もありますぞ」
「あの二枚舌の海賊どもが何かをするより早く、一気に蛮族に攻めかかり平定すれば良いだけの事。世界最大の陸軍を誇る我がタルタリア帝国なら、それも容易いでしょう」
「全くその通り。ですが、戦争には金以外にも膨大な物資が必要となります。また、本国から僻地へと兵士と砲弾など様々な物資を運ぶ輸送路、つまり鉄道の確保が欠かせません」
「ふむ。近代戦争とは面倒なものですな。我らの先祖達は、剣と馬で広大な版図を手に入れてきたというのに」
「今では事情が違いますよ。ただ、銃や大砲は蛮族どもの平定に大きな力を発揮しますが、大砲は大きく重くなりましたし、使用する弾薬の量も年々大きく増えております。本国とその周辺ならば、河川と運河それに既に存在する鉄道で賄えますが、七連月の6つ目の下あたりの東の辺境が戦場となるとなれば、多少の面倒も致し方ない事かと」
先ほどから意外という以上に熱心に専門的要素を含めて話す者がいたが、それを本気で聞き、正しく理解している者は彼の周囲にはいなさそうだった。
貴族達の感覚としては、タルタリアは西方最大の大国であり、歴代の皇帝たちによる大陸東方への進出で、破格と言えるほどの広大な版図を誇っていた。
強大な版図が産み出す国力と人口に裏打ちされた陸軍は世界最大規模というのは、もはやタルタリア貴族達の一般常識だった。
だが、それ以上の知識と見識を持ち合わせている者となると、殆ど見当たらなかった。
ましてや、亜人や魔人が住むアキツ国に対しては、東の果ての蛮族の国、魔物の国という以上に認識している者は少なかった。
あるのは、新たな領土と住民が生み出す、彼らだけが占有できる富に関する興味と底のない欲望だけ。
だが逆に、底なしの欲望こそがこの帝国が世界最大と言われる版図を有するに至った原動力でもあった。
そんな宮廷作法や宮廷での駆け引き以外は無知な、着飾っただけの者達を冷ややかに見る者がいた。
『夏宮殿』:
タルタリア帝国は某ロシアじゃない、という言い訳の一つかも。