081 「再び後方へ」
「アレ? 鞍馬、この前通った時、あの路線あったっけ?」
甲斐達、特務旅団第1、第2大隊が汽車に揺られ千々原に近づくと、行きに見たのと違う景色の変化に気づく者が何名かいた。
二等客車を用意されたので快適だが、何しろ長時間の退屈な汽車の旅。幸い山脈を抜け平原に出ると河川などもあるから、多少は景色の変化で暇つぶしもできる。
しかし行きは通り過ぎただけなので、気づけたのは狙撃兵にして偵察員でもある朧などと、視力と記憶力の高い者くらいだった。
「千々原は川沿いの街だから、確か主要路線から15キロから20キロ離れているのよね。だから私達は前は来てない。来たのは、さっき通過した新站保の駅。行きは、あそこで汽車が水を補給したでしょ」
「うん。それは覚えてる。さっきも通過したよね」
そう言いつつ、二人は車窓からの景色を改めて念入りに観察する。
鞍馬の言った新站保は、鉄道の中継拠点として千々原の近くに整備された駅だ。給水所、多数の引き込み線など鉄道に必要な施設に加えて、近年になって隣接する集積所や一時滞在出来る兵舎、整列するための練兵場などが急いで増設された。
線路が通るまで何もなかったが、1キロメートル四方以上に広がる軍事拠点が存在している。
だが列車は新站保を通り過ぎ、それまでの西から東へ伸びる路線から北へと曲がる路線に入り千々原へ向かう。
そしてその線は、以前通り抜けた時にはなかったものだ。
しかも、朧が持ち前の優れた目で確認すると、それこそ東西南北へと曲線を描きつつ縦横に伸びていく路線がそこかしこに新たに伸びているのが見て取れた。
そして曲がり切ると真新しい駅が姿を見せる。
そこは東の春浜から曲がって来た路線と合流しており、北だけでなく南へと伸びる路線もあった。しかも相当新しいもの。より厳密に言えば、出来立ての路線だ。
「これは、私達が通った後に工事したのでしょうね。恐らく工事の大半は以前から進んでいて、最後に誰もが見える視界の範囲だけを」
「なんで、そんな面倒な事を?」
「戦争が始まるまでは、商人や旅行者を装ったタルタリア人が汽車に乗れたでしょう。多分だけど、どこかに車窓からの視界を遮る樹木を伐採した跡があるかもね。多分だけど、あの林はその名残ね。不自然さがある」
「それまでに作った線路を隠す為の?」
「ええ。そしてその一部を切り開いて、最後の工事を開戦してから行った。新しい路線は、タルタリアの間諜に入り込まれたくなかった理由の少なくともその一つでしょうね」
「フーン。じゃあ、この南北に伸びる線路は、もっと見せたくない場所に続いているのかな? ……あの山脈を迂回する路線とか」
何気なく言いつつも物事の核心を突く朧の言葉に、鞍馬も苦笑しつつ頷かざるを得なかった。
「でしょうね。私達の目的地の千々原でも、線路はずっと北に伸びているんでしょうね」
「軍もエグい事考えるなあ」
「つまり、新装備受領後の我々の責任は重いという事だ、『魔眼』特務少佐」
鞍馬が同じような言葉を返そうとしたところで、さっきまで別の窓から外を熱心に見ていた甲斐が立っていて、朧の髪を上からかき回す。
そんな少しふざける甲斐を、鞍馬が座ったまま見上げた。
「大隊長はご存知だったのですか?」
「大隅大将からは何も。要塞以外はガラ空き、という事になっているそうだ」
「本当は違うんだ」
半ば頭を押さえられつつ朧も甲斐へと視線をあげる。その目は意外に真剣だ。
その朧に甲斐は小さく頷く。
「余計な事は考えるな。僕たちは頭じゃなくて手足。もしくは刃。命じられたままに動くのが任務だ」
「でもこれって、答えが書いてあるようなもんじゃない?」
「それでも、だ。そして敵は知らない。各国の観戦武官や記者を乗せた列車がこの辺りを通る時も、決まって日が暮れてからで速度も上げる。しかも軍機という理由で網戸を全部降ろさせる。魔術で遮蔽までするそうだ」
「そうなんだ」
「うん。僕が聞いたんじゃなくて、磐城があの見た目を活かして、要塞の高級将校に聞いて回ったんだがな」
「痣を隠せば、どこかの武家の出にしか見えませんからね。それよりも一つ疑問があります、大隊長」
「大隊副長、そんな畏まらなくていいよ。今は移動中で、半ば待機状態だ」
「はい。開戦前から序盤にかけての布陣をあの時点で解いて、一度要塞に下がったのは何故ですか? 主街道の南北に行かせない事が重要なら、あのまま警戒を続けた方が良かったのでは?」
「ああ、それね。僕も後で聞いたが、僕らを過度に危険に晒さないという理由は表向きだった。やりすぎて却って何かあると思わせないように、という思惑らしい。それと要塞戦の前哨戦に蛭子を参加させ、何が出来るのかも見たかったそうだ。あと、平原と要塞の両方に得体の知れない強い連中がいると思わせるという魂胆もあるそうだ」
「なるほど。そうでしたか」
「上も色々と考えてるんだねー。使われるこっちはいい迷惑だけど」
「そうだな。それと平原の偵察自体は、僕達が活動していた場所よりさらに主街道から離れた辺りで、要塞に篭った師団所属の騎兵がしている」
「4個騎兵連隊で、ですか?」
「うん。南北それぞれ2個騎兵連隊を配置し、交代で常時活動中。さらに開戦前に黒竜の平原で演習していた師団の現地動員を済ませて、この辺にいる遊牧民族を金で雇い補給の支援に付けている。だから、もう3個連隊も近々投入予定だそうだ。僕らが前線に戻る頃は、その一部が入っている筈だ」
「合わせても21個中隊ですか。タルタリアは2個騎兵師団と以前からいる1個旅団、合わせて60個中隊。亜人の身体能力を加味しても、騎兵単独だと牽制が精一杯ですね」
「今は敵も数が少なく動も鈍いから、見張るだけで問題ないそうだ。でも、師団単位でやって来たら、本格的な偵察を仕掛けてくるだろう。しかも今度は分散せず集団で動くだろうから、前より厳しくなるぞ」
「集団ねえ。僕らが怖いんだ」
「タルタリア軍は実情を何も知らない。慎重になるのは当然だろう。恐らく、連絡が密に取れる体制でくる。一度に4000の騎兵が動くのを拝めるぞ」
「どうせ横並びでゾロゾロ来るだけでしょ。夜襲で端っこから速攻で潰していけば、雷さんの大隊と一緒ならこっちは無傷で潰せるんじゃないかなあ」
「それは楽観しすぎだ」
「えーっ。でもさあ、甲斐も鞍馬もまだ全力出した事ないよね。他の中隊長達も」
「全力を出したら、短時間で魔力が尽きるだろ。そんな危険は、余程の緊急事態でないと冒せない。軍隊というのは、常に不測の事態に備えるもんだ。何を教わってきた」
「それって僕らの場合、建前でしょ。銃弾に貫かれない程度の防御を固めた上で全力出せば、騎兵師団相手でもその短時間が終わるまでに、全滅は出来なくても潰走させるくらい出来るよね。あとは、馬も追いつけない速さで逃げればいいだけ。演習でもやったじゃない」
「演習でやったような派手な事は、ここぞという時に一度だけするから価値がある。敵に手札を見せ過ぎないのも手の一つだ。それに、相手だって何をして来るかは未知数だ。それとな、今までは全力を出す必要がなかっただけだ。朧だってそうだろ」
「うん、まあね。それに次も、偵察と通せんぼだけだよね。無理をしてでも倒すのは、それでも進もうって騎兵だけ。でもさあ」
「なんだ、まだあるのか?」
「こんな調子で戦争が続いたらさあ、僕らが全力出す機会って来るのかな?」
「そうだなあ」。そう返しつつ次の言葉を言わないので、自然と朧だけでなく鞍馬や、近くにいた他の将兵も甲斐へと強めの視線を向けてしまう。
「僕個人としては、出す機会が来ないで済む方が楽で良いな」