080 「後方への移動」
竜歴二九〇四年五月末
「命により出頭致しました、大隅大将閣下」
「ご苦労。まあ、楽にしろ」
「『凡夫』特務大佐並びに『豪腕』特務大佐、貴官らの指揮官である『幻惑』特務少将から、特務少将の到着まで大隅大将に指揮権が移譲されました。これがその命令書です」
大隅大将とそれに続いた大隅大将の副官の言葉に、甲斐と雷が敬礼する。そしてそれに答礼した大隅大将が手を下ろすと、人好きのする笑みが浮かべる。
真面目な表情からの落差が激しい笑みだ。
「まあ、そう固くなるな。周防からも『幻惑』、ではなく村雨からも話は聞いている。それにだ、開戦以来の大活躍、流石は精鋭と痛く感じ入っている」
「恐縮です」
二人して同じ言葉を返すが、相手は大鬼の大貴族にして、黒竜を防衛する軍全体の総軍司令官。さらには、アキツ陸軍で数えるほどしかいない現役の大将。
軍事上で彼の上には、参謀総長の周防大将、兵部卿の叢雲、そして国家元首である『竜皇』しかいない。太政官の白峰すら命令権はない。
そんな雲の上の人物が、特務大佐程度の者に半ば個人的に会うのは珍しく、名誉な事だった。
「だから固くならんでいい。蛭子は凄いと、司令部でも話題持ちきりだ。特に敵に殆ど情報も与えなかったのは、他の部隊では不可能だったとな。しかも今回の働きで、平原と山岳要塞の双方にお前らがいると連中は勘違いするだろう」
「やはりそのような意図があったのですね」
「そうだ。だが、純粋な戦果も大したもんだ。開戦前からの情報収集、陰謀阻止、偵察騎兵の殲滅、要塞北面での威力偵察大隊の殲滅。その後の山脈麓での、各部隊の支援並びに度重なる夜襲による敵兵力の消耗。お前らだけで8000の兵、軍事的には騎兵旅団と歩兵旅団各1つを潰したのと同じ。まさに一騎当千、八面六臂。お陰で今後の戦争がやり易くなった」
「任務を果たしたまでです」
「だが大したもんだ。それに言葉だけではないぞ」
言いつつ副官へと視線を向けると、副官が別の書面を手にする。
(でも、誉める為じゃなくて、次の厄介ごとだろうなあ)
甲斐は心の片隅でそんな事を思いつつも、大隅の副官の言葉を待つ。
「本日1200より、後方の千々原に移動。新装備受領並びに習熟のため、5日間の千々原滞在を命じるものとする。これが命令書です。他の各書類については、後ほどお渡しします」
千々原は、山岳要塞から山脈をまたいで300キロメートルほど南東にある、要塞から最も近い大きな街。甲斐達も来るとき鉄道で近くを通ったが、万が一黒竜地域中央の平原地帯が戦場となった場合の最初の防衛拠点でもある。
当然、軍の大きな拠点の一つとなっており、鉄道を中心に様々なものの拡張工事が急速に実施されてもいた。万が一に備え、野戦築城すら進んでいるとも言われていた。
甲斐も通る時の車窓から、色々な物が建設されている様を見ていた。
「ハッ。千々原に移動。新装備受領並びに習熟致します」
「まあ、陰にいる貴様らには、大戦果を挙げても勲章や感状の一つもやれんからな。1日だが休暇も付ける。少しは英気を養ってくれ。千々原には部隊全員の宿も手配したし、良い飯と酒も用意した」
「ご配慮、感謝致します。大隅閣下」
「新装備の詳細は現地にてでしょうか?」
雷が何も聞かないので甲斐が問いただすと、大隈はやや微妙な表情になる。
「そうなるな。まあ、あれだ。お前らが既に使っている『浮舟』関連じゃないのか? あれ以外で、おいそれとここに持ち込めない装備は、俺は聞いとらん。なあ」
「はい。周防参謀総長からは何も」
(『浮舟』の改良型なら良いけど、また泥縄式な実験台は勘弁して欲しいなあ)
「うん。それでだ、新装備受領が終わったら戻らんでいい。今の装備も汽車に全部載せていけ。戻る時は要塞を迂回して平原に出て、友軍の騎兵と一緒に敵の偵察隊が主街道から大きく出てきたら叩け」
「新手ですか?」
「そうだ。周防からの情報だと、騎兵師団が2つタルタリア国内を東に移動中だ。主街道の警備なら問題ないが、南北に散られたらまずい。タルタリア軍の目は、この要塞にだけ向けてもらわんとな」
「詳しい内容については、同様に文書に記載してあります。期日までに展開し、作戦行動に入って下さい」
そう言われ、ここは軍隊で、彼らは軍人だから、命令を鵜呑みにするのが筋だ。だが、甲斐達は蛭子。ある程度は独自で動く事も彼らの任務のうちだ。だから、今度は甲斐ではなく雷が口を開いた。
「大隈閣下。一つご質問宜しいでしょうか?」
「構わんぞ。なんなら、俺たちを体良くこき使うつもりだろう、と言ってもこの場では許す」
男性的な笑みごと言葉を返されては、豪放な雷も笑み返すしかなかった。
「文句はありません。ですが、上はなんか隠しとりませんか? うちの騎兵がタルタリアより陣容が薄いとは言っても、邪魔するくらいは出来るでしょう。我々が手伝わんでも構わんのではありませんか?」
相手がはるか上の上官なので雷も多少は丁寧な口調となるが、その表情と態度は少しばかり上下関係を無視するものだった。
そして相手は色々な事を知っている雲の上の存在だからか、再び口の端を大きく上げる。
「要塞以外はガラ空き、という事になっている。それとだ、最前線に出て万が一敵の捕虜となる可能性のある貴官らには話せん事がある。……これでも、最大限話しているんだぞ」
言葉の後半はこちらを覗き込む仕草で返され、二人は敬礼を返すしかなかった。
「失礼致しました。また、お答え頂き感謝の念に堪えません」
「ハハハッ! 心にもない事を口にするな。まあ、知りたければ准将以上になる事だな。お前らなら、あと一つだ。たった200の兵で、輜重込みとはいえ8000も倒したんだ。普通なら勲章。特進しても構わんくらいだ。推薦状くらい書いてやろう。効果があるかは知らんがな」
「言質を頂いたと申し上げたいところですが、僕は若輩過ぎて現実感がありません」
甲斐が思わず言葉を返すと、大隅は少し不思議そうにする。
「そうなのか? 蛭子は特に実力主義。年齢は関係ないと聞いたが?」
「それは第一線で活動する特務大佐までです、大隈閣下」
「だが、実力主義は軍も蛭子は昔からだ。俺も変革期に突然大佐になって、そのあと最初に黒竜に遠征した時には将軍で師団長だった」
「大隈閣下はそれまでの実績がおありで、年齢も十分だったではありませんか」
「ハハハッ。確かに俺はそうなのかもな。だがあの時代は、20代の指揮官はザラにいたぞ。みな若かった。中には、1000歳ほどサバを読んでいた奴もいたがな。
さ、無駄話もここまでだ。雲の上の上官とのつまらん話で時間を無駄にせず、さっさと千々原に行って酒でも飲んで英気を養え。戦争はこれからが本番だ」
そうして要塞内の総軍司令官室を辞した二人は、急いで出立の準備に入った。
そして指揮官の甲斐と参謀格の鞍馬も忙しくなる。
「司令部が輜重を手配してくれたので、既に各装備及び『浮舟』の車両積み込みは終わりました」
「ご苦労。それでどれくらいに千々原に着けそうだ?」
「汽車で約6時間。春浜方面への線路は空いているので、途中停車もなく1600時に到着予定です」
「装備受領が明日からだから、今夜は最低限の荷下ろしと移動が終わったら総員を休ませる。飯、風呂、寝る。酒もあり。それ以上は当人次第。久しぶりに満喫させてやろう」
「はい。最近の要塞は銃砲の音も煩くなりましたし、ほぼ毎日の夜間出撃でしたから、兵の疲労も溜まっています」
「僕たち幹部の疲労もな。汽車で仮眠できるとはいえ疲れまでは取れないから、幹部達にも可能な限り休むよう伝えてくれ」
「それは移動前に幹部を集め、大隊長からお伝え下さい」
「あー、確かに。それより、大隊副長もあまり寝てないだろ。今夜は僕も十分に寝るつもりだから、君も寝るように」
「命令とあれば存分に」
そう言い合って目を合わせる。
口調は軍隊的で上官と部下だが、この現場を誰かが見れば逢瀬を楽しんでいるような雰囲気を感じたかもしれない。
だがそうした空気があるのは、例え数日とはいえ最前線を離れられるからだった。
だが彼らが千々原に到着した日、タルタリア軍は大黒竜山脈山岳要塞攻略の為の布陣を完了した。