073 「要塞攻略前」
・大黒竜要塞概略地図
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竜歴一九〇四年五月三日
「大要塞だな」
対アキツ戦において先鋒を任されたサハ第1軍司令官のレオニード・キンダ大将は、大黒竜山脈の雄大な山脈と、なだらかな裾野の一角を占めるアキツ軍の山岳要塞を遠望していた。
ただし彼が肉眼でそれなりに見えているのは、大要塞と評した一部でしかない。
要塞は、山脈地帯の前に広がる平地に近いなだらかな土地に広がる未完成の前哨陣地群と、その奥の谷間を挟んだ南側と東側に広がる山の斜面の大きく3つに分かれていた。
そして谷間の奥、キンダ大将のいる司令部を設置した寒村から約10キロメートル南東に、彼らが目指す黒竜地域の中枢へと繋がる鉄道の終着駅がある。
その鉄道を奪取しなければ、黒竜地域中心部への迅速な進撃はまず不可能だった。
だからこそ要塞は堅固であるべきだが、キンダ大将が見る限り未完成で欠点があった。
そこで共通認識を得るべく、隣に立つ参謀長のストーイキイ中将へと視線を向ける。
「だが、手前の平地は全くの未完成。それともあれで完成なのか? どう見る参謀長」
「ハッ。可能性としては哨戒線、着弾観測拠点が考えられます。ですが現状では、連携の取れていない不完全な野戦陣地程度の価値しかないでしょう。急造の交通壕すらまったく不十分です」
「俺の目にもそう映る。それに山から前に広げすぎだろう。これでは山側のどこからも野砲が敵に届かない。それどころか味方の上だ。何を考えている? あの平野部にも野砲陣地があるのか?」
「斥候が情報を持ち帰れば、自ずと判かるでしょう。ですが、二段構えの予定がこちらの開戦もしくは前進が早すぎて、平野部の要塞建設が間に合わなかったと見るべきかと」
「二段構えの予定か。確かにそうされたら面倒だったな。前の要塞を落とした後で、本命の山間部というのは時間がかかりすぎる」
「はい。それに鉄道が敷設されるまで、我々は時間、物資共に限られてしまいます。加えて、時間と共に敵の増援が増えるのは確実です」
「その通りだ。だから本国は短期攻略を求めている。だが本国は、これほどの大要塞は予測していなかったし、情報を掴んでもいなかった。工兵参謀の意見は?」
今度は、後ろに控えていた別の参謀が一歩前に出る。徽章から呼ばれた通り工兵参謀だ。
「専門的見地からのみ申し上げますと、前哨陣地はともかく山間部の攻略に際しては、目標攻略地点に対して対壕を掘り進める事を進言いたします。遮蔽のない斜面を駆け上がり突撃するのは非常に危険です」
「だろうな。砲兵参謀は?」
「ハッ。前哨陣地はこのまま砲列を敷いて通常の砲撃戦で十分攻略可能と考えます。ですが山間部に対しては、現状の砲弾数は十分とはいえません。南か東、どちらか片方への集中を進言いたします」
「それで弾は足りるか?」
「はい。山間部の攻略に際しては、弾薬よりも砲兵の移動と展開、陣地構築を懸念しております」
「だが、敵に時間を与えると、それだけ防備を固めてくる。本国も急かしている。故に、1ヶ月に山間部の山岳要塞攻略にかかる段取りで進める。いいな」
「「ハッ!」」
キンダ大将の命令に、参謀長以下参謀たちが一斉に敬礼する。
だが、彼らの顔は多少の緊張こそしているが、どこか楽観していた。
タルタリアは砲兵の国と言われ、自他共に認める西方最大の陸軍国。人口も兵力も段違いに多い。
それにひきかえアキツは、魔物の国なので白兵戦こそ注意は必要だが、魔法を重視するせいで近代化の遅れた蛮族の国、というのが彼らの一般認識だからだ。
そして目の前の大要塞は、規模こそ大きいが彼らの眼前の前哨陣地は彼らを楽観視させる貧弱さだった。
山間部については陣地らしいものはあまり見えていないが、前哨陣地を見る限り程度は知れていると考えても、西方世界で一般的な先入観込みで彼らを責めるのは難しいだろう。
彼らの価値観では、アキツ軍が山間部にタルタリア兵を誘い込んで白兵戦を挑んでくる事の方を警戒すらしていた程だった。
「ストーイキイ。実際どう考える?」
寒村で接収した村長宅で参謀長と二人きりになったところで、キンダ大将は参謀長のストーイキイ中将に少し砕けた調子で問いかける。
だが部屋なのに椅子にも腰掛けず、その目はこれから攻略する要塞の概要を記した地図に向いていた。
「やはり前哨陣地に関しては、時間切れの未完成と見るべきでしょう。攻略は問題ありません。ただし、あそこに軍主力を展開し、山間部の要塞本体と言える地域を攻略するとなると、塹壕を掘り進めないとしてもかなりの時間を要するかと」
「つまりアキツ軍は、わざと前哨陣地を未完成にしたというのか?」
「その可能性は捨てきれません。恐らく、戦争が早まったので要塞拡張が間に合わないと割り切り、我が軍に苦労を強いる方向に変更したのではないかと」
「苦し紛れとしても、こっちとしては単に攻略するよりも面倒だな。あそこを要塞攻略の攻撃発起点に仕立てるだけで、半月はかかるんじゃないか?」
「すぐにも工兵参謀に算定させましょう」
「そうだな。だがそれなんだが、もう2個師団追加だ。上は相当急いでいるらしく、1個軍団を先に寄越すそうだ。それと」
「砲兵でも一緒に送り込んでくれるんですか?」
「いや、もっとだ」
「もっと?」
「一緒に総司令官も来る。1個軍団は総司令官の手土産だ」
「アントン・カーラ元帥がもう着任されるのですか? 第三陣と一緒に来て2個軍編成にしてからなのでは? 指揮系統が混乱しませんか?」
「要塞攻略はカーラ元帥自らが指揮される」
その言葉に参謀長が軽く絶句する。
「……閣下は、その、宜しいのですか?」
「向こうは元帥。こっちは辺境配属の大将。上級大将ですらない。後から派遣される軍の方は、全員が中央の上級大将の予定だ。カーラ元帥は、サハ第1軍を半ば直属にする事で、私の発言権を他の上級大将と同列に近くして下さる。そうお手紙を頂いた」
「そうでしたか。心中お察しいたします」
「そんな事ない。元帥は細かい事に口を挟む気は無いとも書かれていた。他の軍が到着するまで、好きにさせてもらう。そしてだ、ストーイキイ」
「他の軍の上級大将が到着するまでに要塞を攻略し、発言権を確保するのですね」
「そうだ。そしてカーラ元帥は、早期攻略が成れば俺だけではなく各将軍の昇進を口添えして下さる」
「つまりカーラ元帥は、我々を元帥の派閥に?」
かなり訝しんだ声を参謀長は発したが、キンダ大将はそれに男らしい笑みを返す。
「恐らくだが、カーラ元帥は占領軍司令官も拝命する事になるだろう。だから少しでも現地の事に詳しい手駒が欲しいんだ。それに我がサハ第1軍は、策源地が近いので補充も増援も受けやすい。長い戦争になると見ているのだろう」
「占領軍司令官? 本国は、いや、皇帝陛下は黒竜地域全域の占領を求めておられるのですか?」
「中央から流れてきた噂だが、黒竜地域すら前哨戦だ。最終的にはアキツ本国を、そして彼らの領域全てを我がタルタリア帝国が併呑する事を目指しているらしい」
「そ、それは、なんとも途方もない。蛮族の国といえど、アキツは大東洋全域に広がる大国です。一体、どれほどの兵力が必要なのか。それに何年かかるのか、見当すら付きません」
タルタリア中央と違い、アキツに近い地域に配属されている高級軍人だけに現実が見えている声だ。
キンダ大将も、その言葉を否定する表情は浮かべていない。
「まったくだな。だが我々は、帝国と皇帝陛下に忠誠を宣誓した軍人だ。進めと言われれば進まねばならない。例えそれが、地の果て海の果てでもな」
「そして、どうせ進まねばならないなら上官は選ばねばならない、という事ですか」
「そういう事だ。カーラ元帥は帝国の中枢に近く、しかも頼り甲斐のある上官だと私は考えている。そして我々も、カーラ元帥の幕下に相応しいかを、この戦いで示さねばならない。忙しくなるぞ、ストーイキイ」
「ハッ。武人として、これに過ぎたるはありません」
「良い返事だ。では早速、仕事にかかるぞ。そろそろ、斥候に出ていたブールヌイ少将が戻る頃だ」
二人の壮年の男たちは、互いに莞爾と笑みを交わすと地図へと視線を落とした。