071 「アリョール号追跡」
「なぜ、捕捉できない?」
一九〇四年の四月下旬から五月初旬にかけて、アキツ海軍すべてにおける頭の痛い問題だった。
アキツ本土北部の島である北州の東にある久寿里に対する艦砲射撃を行った、タルタリア海軍の防護巡洋艦を見つける事が出来ない為だ。
だが、最終的な答えがどうなるのかについては、ほぼ分かっていた。というより、敵に与えられた最終的な選択肢が非常に限られていた。
最も可能性が高いのが、タルタリアと協商関係にあるガリアの植民地の南越の港へ逃げ込む事。実際、既に防護巡洋艦2隻が、大東国の租界の港を脱出して南越の入江に逃げ込んでいた。
それ以外の大東洋沿岸は、全てアキツの領土か植民地。残るは南遠大陸しかない。だが南遠大陸は遠すぎ、タルタリアの巡洋艦では途中の補給無しにたどり着く事は不可能。
極東地域ではセリカも例外だが、セリカの港は全てアキツ海軍が厳重に監視していた。加えて沿岸の巡回もしている。
ガリア領の南越各地の港や有力な入江も同様に監視されているが、逃げ込む事は可能だと追われている防護巡洋艦アリョール号の艦長たちは考えていた。
しかしその前に問題もある。
アリョール号はアキツ本土に近い大東洋上で逃走を開始していたので、まずは発見されないよう商船の航路から離れる為に大きく迂回する必要がある。
その上で、アキツ本土の南にあるアキツ領三千諸島とその周辺にあるどこかの海峡を超えなければ、ガリア領南越にはたどり着けなかった。
さらに南を迂回するにしても、どこもかしこもアキツ領。巡洋艦などの監視がなくとも、海峡を通れば地上から監視されている可能性が高い。
そしてアキツ人は亜人で知覚力の高い種族がいるので、只人より見つける能力が高い。種族によっては夜目すら効く。
それでも南に行けば行くほどアキツ海軍の監視の目は逃れやすくなるが、今度はアリョール号の燃料事情、航続距離が問題となる。
アリョール号の航続距離は、10ノットで4000海里。どこを逃げるのかは、ある程度予測はつく。
そして燃料の石炭を過積載で満載してセリカを発ったが、アキツの商船を狙いつつ北東へと進んだので、久寿里を艦砲射撃した時点で、2000海里近く航行していた。通常の航続距離なら、セリカのどこかにしか戻れない。
だが実際は、1000海里分程度の石炭を無理やり積んできたので、多少回り道をしても南越まで移動する事は可能だった。この点で、アキツ海軍の読みが一度外れ捕捉できない理由となっていた。
しかし南越の海を挟んで東側にある三千諸島より南へ向かうとなると、さすがに燃料切れとなってしまう。
「いっそ、どこか水と食料を確保できる南の無人島にでも隠れてしまうか?」
「艦長、何を呑気な。それに我々にあるのは、縮尺の大きな海図だけ。水と食料があってアキツ海軍に発見されない安全な島の情報など全くありません」
「だが、魔法が使えるアキツと言えど、遠距離通信方法を離島にまで持っているとは考えられん。それに、しらみつぶしに島を探して回れるほど船も持ってはいまい」
艦長の言葉に、副長が一瞬考え込んでしまう。
呑気な言葉ではあるが、全く的外れではないと思えたからだ。そして現状は楽観とは程遠かった。
だが副長は首を横に振った。
「その通りかも知れませんが、ガリア領へ行くべきです。こちらも連絡手段がないではありませんか」
「まあ、それもそうだな。というわけで、三千諸島の真ん中を抜けるぞ。あそこなら、張り込んでいる敵艦がいる可能性が多少は低い。陸から見つかる可能性はあるが、どうせ連絡手段は乏しかろう。伝えるのにも時間がかかるはずだ。その間に南セリカ海に入ってしまえば、こっちのもんだ」
「また大胆な。航海長、機関長らも交えて詳細な検討をするべきでは?」
「予定の一つだった三千諸島の一番南を回るくらいしか、他の選択肢はないぞ。アキツに近い北側は論外だ。それにだ、どこを通っても似たようなもんだ。それなら、多少でも燃料を節約できる航路を選ぶべきだと思わんか?」
「多少の意表は突けるかも知れませんね」
「だろ。ただし、海峡の前にアキツの船がいたら中止する。そのまま南に下って、他の島の間を抜ける。それでも無理なら」
「無人島ですね」
「そういう事だ」
それで話は実質的に決まり、あとは細かい詰めをしてアキツ領三千諸島の間の小さな海を抜ける航路へとアリョール号は入った。
そして、科学技術、魔力のどちらであれ、遠距離無線通信技術がまだ十分に発達、普及していない時代なので、タルタリア本国はアリョール号の動きは知らなかった。また、何かの命令を出す事も出来なかった。
それ以前に、艦砲射撃を成功させたというアキツの報道を聞いた以後は、あとはせいぜい戦って沈んだという発表がアキツ側からあるだろうというくらいにしか考えていなかった。
そして本当に無人島に隠れるのでないなら、いずれ姿を見せざるを得なかった。
「こっちは孤立無縁なのに、向こうは沢山。少しばかり不公平だな」
艦長が覗く双眼鏡の先に、複数の船の影が映っていた。少し前に後方の見張りが知らせたが、それにしては不自然な出現の仕方だった。
しかも煙突が非常に小さく、煙突から出る煤煙が見えない。そして軍艦特有の前から見て細い姿なので、アキツ海軍の巡洋艦と見て間違いなかった。
数は最低2隻。同じ方向に、それ以上は視認できない。
「はい、艦長。ですが、南セリカ海に入った時点で予測されていた事です。もしかしたら、随分前から追跡されていたのかも知れません。彼らには魔法で視覚的に隠れる方法もあります」
「かも知れん。だが、我らが神にはもう少し加護を賜りたかったものだな」
「我々が少しばかり信心不足だったという事です。この後があれば、熱心に教会に通いましょう」
「乗組員は350人でか? 神父が乗っとらん船ではあるが、全員が不信心だとは思えん。とはいえ、責任は艦長が取るもんだ。副長、いざという時はあとを頼むぞ」
「まだ最後のご決断には早いでしょう」
「あいつらは突然現れた。つまり姿を見せても構わないという事だ。どうせすぐに前からも来る。しかもあと半日先の目的地には、1個戦隊4隻の防護巡洋艦が待ち構えている筈だ。場合によっては2個戦隊。それに装甲巡洋艦もいるかもしれない」
「それは最悪ですね。ですがそれ以上かも知れません。5時の方向からも2隻、姿を現しました」
話しつつも周囲を双眼鏡で見ていた副長が、双眼鏡を覗いたまま報告する。
「二手に分かれ、我がアリョール号を決して逃さないように追いかけてきていたわけだ。アキツ海軍は優秀だな。それに兵力も潤沢だ」
「潤沢と言っても限りがあります。我々は、余程アキツ海軍を怒らせたんでしょう。ですが、追撃を受けている兆候は見つけられませんでした。遠距離用の魔力探知の呪具の反応は一度もありません。しかも魔石型の機関で煤煙を出さないとはいえ、これほど近づかれるまで気づかなかったとは、痛恨です」
「アキツは魔法大国だ。我々にとって未知の誤魔化す魔法でも使っていたんだろ。発見の方は、長々と追跡はされていないだろう。それならもっと早く、より逃げ場のない三千諸島あたりで囲まれていた筈だ。
どこかの海峡か島で見られか、半日ほど前に商船が少し先を走っていた。どれかが通報したんだろ。電信か、噂に聞く魔術の無線通信とやらで。連中の追跡、連絡双方の技術を甘く見た俺の責任だ」
「それならば、私も同罪です。それと、魔術の通信をアキツ海軍が広く使っていると仮定すれば、他にも、それこそ四方八方から我々を目指しているのやもしれませんな」
「そういう事だ。だから追いつかれるか囲まれたら、本艦の名誉の為に1発だけ撃ったあとで機関を停止して白旗を上げる。そして俺は、艦長の特権を行使させてもらう」
徹底抗戦を最初から選択肢に入れないのは、既に話し合っていたので副長も異存はなかった。だが副長は、真面目な表情で艦長へ顔を向ける。
「艦長が船と運命を共にするなんて、らしくありません。私に責任を押し付けず、指揮官としての任を全うしてください、艦長」
「それでは帝国と皇帝陛下に向ける顔がない。俺も最低限の恥くらいは知っているつもりなんだがなあ」
艦長は少しとぼけた口調をするが、副長は艦長が本気だと長年の付き合いで分かっていた。
「まだ結果は出ていません。進めるところまで進みましょう。豪雨の雲が来るかもしれません。南越に逃げ込んだ友軍が牽制してくれるかもしれませんし、ガリア領海に逃げ込めるかもしれません」
「だが残りの石炭では、16ノット以上は出せんぞ。それこそ、洋上で自沈するしかなくなってしまう」
「ハハハッ。何だ、艦長はまだ諦めてないんじゃないですか」
副長に笑われ、アリョール号の艦長は呆気にとられる。
言葉のやり取りに自分でも驚いたからだ。そして大きめの苦笑となった。
「どうやらそうらしい。では足掻けるだけ足掻くとしよう」
そう結んで両手で帽子を被りなおす。
そうして前方へと視線を向けたのだが、今度は前方からは間隔の広い4列横隊の細い船が幻影が溶けるように姿を現しつつあった。しかもその後ろには、後ろにいるのに前の4隻と変わらない大きさに見える細長い船まで姿を見せつつあった。
前に連装の砲塔を載せているので、装甲巡洋艦で間違いない。
アリョール号の艦長と副長が想定していた最悪の状態が、完成されつつあった。




