069 「艦砲射撃の余波(1)」
竜歴二九〇四年四月二十四日
「商船襲撃ではなく艦砲射撃。どこに?」
「北州東部の久寿里です」
「連中にとって一番遠い場所か。海賊どもの詳細は分かっているのか?」
「目撃情報から、艦砲射撃したのは防護巡洋艦1隻。撃ち込まれたのは、巡洋艦の15センチ砲、12センチ砲、合わせて100発程度と推計されています」
アキツ海軍の中枢では、そんな会話が各所で飛び交っていた。
この会話は海軍の中枢である作戦本部の総長室で行われており、参謀長からの報告を作戦本部総長の相模海軍大将が受けていた。
紫の肌を持つ大鬼の彼は、100年ほど前の西方地域でガリアの英雄皇帝による大乱があった頃から水軍、当時の海軍に勤め続けた海の男だ。
だが帆船を愛するが故に、技術の革新を迎えると一度海軍を退いていた。長い寿命を持つ大鬼としては、年齢的にも二度目の人生を歩むべき時期だったので、周囲も丁度良い引退時期と考えた。
だが時代は変わり、勾玉による蒸気機関の船が大きな割合を占めるようになると、彼は装いを新たにした海軍の門を再び叩いた。
帆船を愛する彼だったが、それ以上に海を愛していたからだ。
そして新しい知識と技術を学ぶため下級将校からやり直したのだが、その優秀さと熱心さ、それに培ってきた経験と技術から、30年経過した現在、海軍の頂点に立ってしまっていた。
以前の経歴では小規模な艦隊の提督以上にはなれなかったが、皮肉にも彼には近代海軍の運営者としての才覚があった。
「目撃情報か。明日の新聞の一面は決まりだな。それで?」
「砲撃は港湾部中心ですが、かなり無作為に行われました。まだ正確な数は判明していませんが、死傷者が出ています」
「死者が出たか。痛恨事だな。大東国の租界から我々の目を盗んで闇夜に逃亡したから、全てガリア領の南越に逃げたと予測していたが、1隻だけ反対側に逃げていたとはな」
「はい。大陸との交通路への襲撃や牽制は警戒しておりましたが、完全に裏をかかれました」
「我が国が謀られたという事か? 他の敵艦の動きは?」
「開戦直前に江都の租界を出て南越へ逃走した、タルタリア海軍の防護巡洋艦群に対する追跡及び監視は現在も継続中です。監視している巡洋艦戦隊からは、変化ありとの報告は届いていません」
「途中で洋上で二手に分かれ、うち1隻が艦砲射撃したと見るべきだな。だが、租界のタルタリア海軍は石炭が不足し、補給の船が来たという報告は無かった。それが北州まで来た。何故だ?」
「江都の租界には様々な国の船が入ります。それにはしけや小型の船なら無数にあそこの港にあります。夜中は、我々でも監視は難しくあります」
「隠れて補給は済ませていたという事か。だがタルタリアの船は入っていない。ガリアかゲルマンか、それとも他の国が運び込んだか」
「もしくは、我々の目が及びにくい国にタルタリアが金を積んだのかもしれません。それに租界を出てからどこかで船と合流し、無人の入江などで補給をした可能性も皆無ではないかと」
参謀長の言葉を継いだ相模が渋い顔をした所に、参謀長は追い討ちをかける。可能性は無数に考えられるからだ。
そして相模は、参謀長の芝犬の獣人の吹雪中将が、人好きのする顔で本当は何を言いたいのかを察して軽くため息をつく。
「そうだな。だが、今は憶測を言っても仕方なかったな。それにしても、開戦から10日経つのに何故今頃? 回り道していたから攻撃が遅れた、と言うわけではなかろう」
「理由が分かるとすれば戦後でしょう。あちらさんが、これ見よがしに世界中に言ってくれない限りは」
「そうだな。だがまあ、開戦頭にやるべきだったが、こっちの守りが堅く今になったと言ったところだろう。それとも商船を襲おうと活動していたが、本土近海の航路、特に大陸航路は我が方が固めていたから諦め、遠くに逃走しようとした矢先に命令を受け一番近くの港町を狙った、と言ったところか?」
「常識的にはその辺りでしょうね。それで方針はどうされますか?」
再び可能性を話し始めたので、参謀長が軌道修正を試みる。慣れた感じなので、相模の悪い癖をよく知っているのだろう。
そして相模も自身を熟知しているので、少しばかり苦い顔を浮かべた後に表情を改める。
「上から特に命令がない限り、総力を挙げてタルタリアの巡洋艦の捜索。そして撃破だ。それと、南越にいるタルタリア巡洋艦の監視強化も」
「了解です。ですが、南越にいるタルタリア軍艦はそのままですか?」
「ガリアに更に文句を言ってタルタリア軍艦の寄港の停止と退去。もしくはその場での武装解除を求める、と言ったところだろうな。もっとも海軍としては、ガリアがタルタリア軍艦の退去を命じた場合の撃破くらいだ。あとは海軍の仕事ではない」
「そうでした。では、文書に起こして命令を発します」
敬礼して吹雪参謀長は、相模作戦本部総長の前を後にした。
一方で、仕事のお鉢が回ってきた場所もあった。
外務省だ。
「ガリア大使を呼び出してくれ」
やや面倒くさそうな雰囲気の大仙外務卿が、部下に命じる。場所は外務省の彼の執務室。
(南超からの退去もしくは武装解除。あとは久寿里を砲撃した軍艦の寄港禁止の要請か。だが受け入れなかったらどうする? とはいえ、あの国に我が国と極東で事を構える度胸はない。我が国と戦争になったら、南超を最低でも海上封鎖されて困るのは向こう。戦争で我が国の負けが見えない限り、強気に出る利点がない。
だがタルタリアとガリアは協商条約を結んでいる。それにひきかえこっちは、世界中探しても同盟国の一つもない魔物の国)
「……最悪の事態は一応考えておくか」
「大仙外務卿、白峰太政官が太政官邸まで出頭するようにと使いが参りました」
思考の末に独白したところで部下の声。それに大仙は見た目の若さ同様のしなやかな、それでいて洗練された動きで席を立つ。
「分かった。すぐ行くと伝えてくれ。それとガリア大使の呼び出しは保留だ」
「で、どないするんや?」
太政官邸に大仙が着くなり、白峰は問いただした。
大仙が席に着く間もないほどで、大仙には白峰が珍しく時間を惜しんでいるのを理解した。
「強気でいくべきかと。戦争はまだ始まったばかりで、何の結果も出ていません。弱気の姿勢を世界に見せるのは愚策です」
「具体的には?」
「タルタリア軍艦の南越からの退去もしくは武装解除。並びに今後の寄港禁止」
「南越にはガリアの軍船は1隻しかあらへん。タルタリアが強気で押してきて、強引に居座ったと言い訳されたらどないする?」
白峰の方が大仙よりも状況を詳しく把握しているようなやりとりだが、大仙も先刻承知だった。
だから強く頷き返す。
「それでも、です。また強気に出るのは、国内向けにも良い影響を与える筈です。外債の売れ行きも伸びる可能性があります」
「民部卿も似たようなこと言ってきとったなあ。まあ、うちも開戦早々国民に叩かれて辞任はしとうない。ほな、強気でいくで」
「はい。どのみち我が国は、強気で通すより他に道はありません。我が国が西方世界と付き合うには、金と力をまず見せないと成立しません」
「せやなあ。あいつら、うちらを人扱いしとらんもんなあ」
「逆に私たち大天狗は妙に祭り上げますけどね。昔の旅は気楽でよかった」
白峰の一見淡々とした態度に、大仙は軽く肩を竦める。
そしてそれを聞いて、白峰が大仙の銀髪を見る。
「その扱いが嫌になったから、髪を短こうしたんやろ?」
「長いと手入れが面倒だからですよ。色が嫌なら幻影術を使うか、染めています」
「さよか。まあ、大天狗で色が違うんは蛭子くらいやから、せえへん方がええわな」
「はい。ではこれにて」
「いや、ちょっと待ち。もうすぐ兵部卿と紫の提督が来る。緊急閣議の詰めをするで」
白峰が紫の提督というのは海軍の相模作戦本部総長のことだ。それを大仙も知っているので、何が目的かを言葉とともに察して浮かせかけた腰を再び下ろす。
だがその時、二人の動きが止まった。
何かを感じ取ったからだ。
「この魔力の波動は……」
「……陛下が嘆かれている」
「神祇卿が話しよったか」
「ご自身でお気づきになれたのかもしれません」
巨体を持つ竜は人の言葉は話せず、魔術の念話は魔力が強すぎて話せる者は僅かだ。そして感情が抑えられない時、その感情が膨大な魔力によって広がってしまう。
大きな波動の時は、竜都中に広がるほどだ。
そこに慌てるように来客を告げる声。
叢雲兵部卿と相模作戦本部総長だった。彼らも『竜皇』の嘆きを感じ取り、慌てるように駆けつけたのだ。
そしてその日、限られた者だけでなくアキツの民の多くが『竜皇』の嘆きを感じ取った。
一方で、アキツに滞在する諸外国の外交官や貿易商などのうち魔力を感じ取れる亜人達は、初めての体験の者が殆どだった事もあって『竜皇』の嘆きを怒りと捉えた。
このため世界に対して、タルタリアの行動に『竜皇』が怒りに震えたと伝えられる事になる。
それは戦争の方向性を決める大きな事件の一つとなった。