063 「宣戦布告」
竜歴二九〇四年四月十六日
秋津竜皇国の首都。通称竜都。その中心にあるアキツを守護する竜にして国の主権者でもある『竜皇』の住まう竜宮。
そのさらに中心には、距離感を疑うほどの巨大建築が幾つも連なった建造物があった。
『竜皇』の住まいである御所と御座所(執務室)、それに連なる『竜皇』の前で式典などを行う大広間だ。
体長100メートルの細く長い体。小さく丸まっても直径30メートルある『竜皇』に合わせ、建造物は作られている。
勿論、最低限の間取りではなく、普通の人が住まう住居と同じ感覚になる程度の規模を有している。
敢えて人の一般的な住まいとの縮尺差で示すなら、おおよそ30倍。縦横100メートル、高さ30メートル程もある建造物が、幾つも連なっている。
竜宮の中枢部の敷地だけで、庭園、世話役の区画などを合わせると500メートル四方以上に広がっている。
竜宮には、かつて天下泰平を築き上げた武家政権の本拠地があったが、半世紀前の変革で『竜皇』の御座所となって現在の建物が建設された。
建物がこれほど巨大でも、基本的には木造だった。ただし普通の木材ではなく、多くの多々羅により魔力が練りこまれた最高品質の魔木が使われている。
魔木は並みの鋼鉄より頑丈かつしなやかで、さらに岩のような耐火性も備えていた。それでいて通気性も申し分ない。
非常に高価な建材だが、昔から多くの建造物や軍船に使用されてきた。古都の北の一角にも、かつて竜が住んだ巨大な伽藍がある。そうした中でも、竜宮の本殿と言われるこの建造物はアキツ最大を誇っていた。
それどころか世界最大の木造建造物であり、さらに世界最大の単独建造物ですらあった。
そして当然だが、住まう者に合わせた荘厳さと優美さを備えていた。ただし金銀などは一部にしか用いておらず、一見すると質素な佇まいなので、アキツ以外の者から見ると巨大なだけの簡素な印象を持つ事が少なくない。
西方では、内部を金銀などで飾り立てるのが一般的だからだ。
一方で、他国の人間がこれを見ると、自国の建造物がおもちゃに見えると感想を述べたほどの巨大さだった。
しかも建造物は『竜皇』の好みで少し掘り下げて建設され、さらに途中までは土と石垣で覆われているので、中に入るとさらに大きさに驚くこととなる。
そうした巨大建築に隣接する大広間では、『竜皇』とその依り代の前、秋津竜皇国の文武百官が整然と並んでいた。
上座奥には『竜皇』が、その前の中央に頭に二対の特徴的なツノを持つ壮年の鬼が玉座に座る。『竜皇』が人と言葉を交わす為の依り代だ。
そしてその脇に、依り代とよく似た貴人の姿をした男女が5名並ぶ。うち3人は子供で、さらにその中の1人は世話役に連れられた生を受けて数年程度と見られる幼児だった。
しかし全員が『竜皇』の依り代と同様に、二対の特徴的なツノを持ち、さらに頭髪が程度の差こそあれ緑がかっていた。
彼ら彼女らは、依り代の予備もしくは竜の支配領域の外で竜の力を行使する為の竜の御子達だ。
これに対面するのは、大きく3つに分かれた集団。
高級官僚と高級軍人、それに議員達だ。
それらの前には、首座の白峰太政官と式典を取り仕切る東雲神祇卿以下、全ての大臣と軍人、官僚、議員の長達が並ぶ。さらに、それに可能な限り出席した高級官僚と上級将校、議員達。
百官どころか、優に1000名を数える。
同じような光景は西方諸国でも見られるが、竜を始めとして並んでいる人々の姿はアキツにしかないものだった。
並んでいる者達の中に、人もしくは只人はいないからだ。
彼らは、大天狗、大鬼、獣人、天狗、多々羅、半獣、鬼という、魔人もしくは亜人だった。
全ての種族が、人とは違う特徴を持っていた。中には獣人のように、頭や尻尾、体毛などの身体的特徴が完全に獣のそれと似ている者達までいる。
そして全員が只人と違い魔力を持つ者達だった。
この為、この情景を見た人は、魔物の国の姿そのものだと感じるという。
特に魔人と呼ばれる、肌の色が赤や青など様々な大鬼、頭が獣そのもので他にも獣の特徴が多い獣人は、魔物の国の印象を強めさせていた。
もっとも当人達にとっては、当たり前の光景でしかない。しかも『竜皇』のもとで手を携える同胞だった。
そしてこの場の光景も、この半世紀ほどですっかり定着していたので、誰も異論も疑問もなかった。
だからこそ式典は粛々と進んだ。
しかし今回は秋津竜皇国にとって、非常に珍しい式典だった。何しろ、他国に対して宣戦布告する式典だった。
「タルタリア帝国は我が国との国交を断絶し、我が国の友邦である黒竜国並びに我が自治領へと兵を進めました。『竜皇』陛下におかれては宸襟を悩ます事、臣らにとって慚愧に堪えない次第に御座います。
対する我が国は、既に昨日付けで国交断絶をタルタリア帝国に対して通達。ですが、我が国の名誉と尊厳を守るべく、また国際的信義を果たすべく、さらにはタルタリア帝国と我が国との違いを世界に見せるべく、政府は我が国からの宣戦布告を実施するべきだとの結論に達しました。
陛下におかれては、そのご裁可を頂きたく存じあげる次第に御座います」
そう結んで、大天狗の白峰太政官のごく短い奏上が終わった。普段は古都の訛り丸出しで話すが、公式の場では公語を話す。
そして彼の言葉が終わると、全ての視線が『竜皇』とそして依り代に向く。ただし竜は、人の言葉を話す事ができない。
魔法の念話によって直接思念としての言葉を伝える事はできるが、力が強すぎるので大抵の者にとっては轟音のように頭の中に響いてしまう。
実際の口を用いても、例え人語が話せたとしても音が大きくなりすぎ、咆哮や大きな唸り声にしか聞こえない。
故に人の言葉で受け答えをするのは、依り代の役目となる。
『竜皇』と問題なく念話できる数少ない一人と言われる白狐の獣人の東雲神祇卿も、『竜皇』の本体に一礼をすると依り代へと視線を向けた。
その依り代は、数秒してから「そうか」と沈黙を破る。
そして後ろに鎮座する『竜皇』本体と共に同じ視線の動きを見せ、白峰太政官、東雲神祇卿、他の重臣達、さらにはその場にいる百官へと順番に視線を向ける。
それが終わってから、依り代が前を向き口を開いた。
「秋津竜皇国はタルタリア帝国に対し宣戦を布告する。……皆、国のこと民のこと宜しく頼む」
静かだがよく通る依り代の声が、音響も考えられた建物内に響く。しかも魔法により声が増幅されているので、隅々にまで響いた。
だが、その次の瞬間、巨大な大広間を声なき声がどよめきとなって埋め尽くした。見渡せば、互いに顔や視線を合わせたり、頷いている者も少なくない。
普段の『竜皇』は、公の場では必要な言葉しか語らないのに、自らの言葉を付け加えたからだ。
そんな大広間の声なき声が収まるのを待って、東雲神祇卿が『竜皇』、依り代へ深々と頭を垂れる。
そして頭を上げると、数歩前に出て百官達の方へ向く。
政治の事を奏上するのは太政官ら重臣でも構わないが、『竜皇』の声を受けた後は神祇卿の職分だった。
「皆々よ、『竜皇』陛下の聖断は下された。鬨の声を!」
「鬨の声を!」
同じ言葉を白峰太政官ら重臣ら、軍の最高幹部らが続く。これは古来から続いている習慣で、変革を経て国と政府が近代化しても引き継がれている。
その鬨の声も、いつしか大広間を揺るがす唱和になっていた。
そしてこの日、秋津竜皇国はタルタリア帝国に対して正式に宣戦を布告。
戦争状態へと突入した。
竜宮:
東京ビックサイトや幕張メッセ、もしくはドーム球場くらいの感覚の建物。