062 「総攻撃開始」
・竜歴二九〇四年六月十一日
「全軍突撃」
タルタリア帝国陸軍元帥の徽章を付けた、他より高級で華美な黒を基調とした軍装に身を包んだ男が、天に向けていた右腕を振り下ろす。
すると周囲の将軍や将校らが「全軍突撃」と周囲に伝える。その声は、隣の指揮所の天幕に多数置かれた野戦電話の兵士達が、有線で繋がれた向こう側に知らせる。
だが時代は、タルタリアにとっては近世から近代へと入りつつある時代。近代になりきっていない時代。
そして、魔法と呼ばれる超常現象が現実に力を持っている、古さと新しさが混ざり合った時代。
だから彼らは伝統を重んじ、各所で喇叭兵が雄々しく高らかに突撃の演奏を実施する。
その様は重厚かつ荘厳で、戦争が浪漫に満ちている事を人々に教えているようだった。
そしてさらに司令部から突撃を命じた彼らの心を満たすように、数キロ先から地鳴りのような音が響き始める。まるで地面の振動すら感じられそうなほど。
無数の人が歩き、走る音。加えて歓声や雄叫びをあげる声だ。
それは、命じられた数万の兵士達が一斉に突撃を開始した何よりの証。旗を持って走る兵の姿も散見でき、その様は勇壮そのものだ。
だが同時に、さらに遠い場所から遠雷のような音が断続的に響き始める。
彼らが突撃を命じた側からの、野砲や要塞砲を始めとするあらゆる火力による反撃の火蓋も同時に切って落とされた何よりの証だった。
当然だが、突撃を開始した軍隊の側からも、既に延々と続けられている援護の砲撃がいっそう激しさを増す。
「3個軍団、6個師団の突撃は勇壮だな。しかも山の斜面だから、よく見える」
「まさに。帝国の精兵達は、必ずや魔物どもの陣地を突破してくれる事でしょう」
「全軍突撃」を命じた人物、アントン・カーラ元帥の声に、主力となるサハ第一軍を率いるレオニード・キンダ大将が心からの同意を示す。
眼前の光景は、そう感じさせるものがあったからだ。
彼らの眼前には、雄大な山脈が広がっている。より正確には、その一部、砲撃により半ば掘り返され木々の多くがなぎ倒された山肌が広がっていた。
しかも山の斜面のかなりが、彼らの精兵が突撃するかなり前から、彼らが魔物どもと呼んだ者達によって木々が伐採され、赤茶けた地面が晒されていた。
伐採した木々は陣地の補強に使われたかもしれないが、主な目的は視界を確保する事。さらには、迫り来る者に銃撃、砲撃から身を隠す遮蔽物を与えない事にあった。
このため、小銃の有効射程圏内の少し先となる500メートルほどが更地となっている。そして視界と射界を確保するため、魔物どもが潜んでいる陣地、もしくは要塞のかなりが、地面に溶け込むようにその姿を見せていた。
要塞の中核となる防御陣地は、保塁と呼ばれる分厚い混凝土で構築された近代の砦や出城と言える強固な陣地。それらが地面を掘り下げた塹壕などで繋がり合わさって、巨大な山岳要塞を形成している。
そして山に構築された巨大な要塞は、奥に鉄道駅を持つ山の谷間を挟み主に二箇所の山裾に構築されている。
何もなければ谷間を突破すれば良いが、谷間は長く奥へと続いている。彼らが目的とする鉄道を奪うには、単に要塞を抜けるだけでなくその要塞を最低でも無力化しなければならない。
しかもその道は、要塞の火力が最も集中する構造となっていた。
このためタルタリア帝国陸軍は、大きく二つに分かれた山岳要塞のうち、東側に対して総攻撃を実施していた。
山岳要塞は南側にもあり、北西から南東に向けて谷間が続いている。だからまずは片方、布陣するタルタリア軍にとって近い東側を攻撃することで、要塞を半ば無力化する事を狙っていた。
だが南側も無視は出来ないので、砲撃による敵砲兵の制圧とけん制を行いつつ、全軍のうち2個師団が牽制として全力ではない程度に総攻撃していた。
そして本命の東側には、主力の4個師団が突撃を敢行している。
これ以外に1個軍団・2個師団の予備部隊があるが、第二波に備えて少し後方で待機していた。
また後方では、直轄の重砲兵、攻城砲兵と、各師団の砲兵、合わせて12個大隊が、全力で砲撃を実施していた。
これに後方の平原で別行動をとっている騎兵師団を加えた戦力が、今回の対アキツ戦争での先鋒となるサハ第一軍の全容だった。
総兵力、8個狙撃兵師団、1個騎兵師団、2個直轄砲兵大隊、これに補給部隊など多くの支援部隊、後方部隊を含めると、25万名にも達する。
しかも彼らの後ろからは、続々と増援が到着しつつあった。
また、タルタリア国境からは大急ぎで鉄道が敷設中だったが、それまでは馬車で補給を行わなくてはならない。このため、帝国中から集めたと言われる膨大な数の馬車と輓馬、それに輸送兵が補給線を支えるべく活動していた。
軍隊は何も生産しないので、何もない場所の前線の25万名の兵士を食べさせるだけでも一大事業だからだ。
この為、前線で戦う軍人以外に、鉄道敷設に5万名、境界線から前線までの馬車による輸送に5万名が既に動員されていた。
このため軍の鉄道関連部隊と輸送部隊は、西方諸国に備えた本国から殆ど根こそぎやって来ていたし、さらにやって来つつあった。しかも鉄道敷設の技師、作業員、人夫は、さらに続々と投入されつつあった。
それだけ鉄道敷設と、それまでの輸送が重要だった。前線を支え、さらにはこれから進んでいく為に必要だったからだ。
一方の最前線だが、要塞を一撃で粉砕するべく過剰とも言える戦力が投じられていた。
主要攻撃地点に対して1個師団当たり幅1500メートルという非常に高い密度での突撃。1個師団当たりの歩兵数は約1万2000名から1万6000名なので、幅1メートル当たり歩兵だけで10名以上という密度になる。
しかも突撃に参加しているのは歩兵数の多い編成の師団ばかりなので、歩兵の総数は6万4000名。さらには、要塞の陣地破壊などで爆薬などを扱う工兵も随伴するので、総数約7万名による突撃という事になる。
そして司令部から双眼鏡や望遠鏡で望めば、上は青鼠色、下は深緑の軍服をまとった兵士たちが、雄々しく突進する様が視界全面に広がるように見ることができた。
何しろ彼らは、山肌に築かれた要塞に突撃しているので、斜面を登っているからだ。
その斜面はまだ山の裾野なので緩やかなものだが、平坦なものでもなかった。
なお、本来なら要塞に対する突撃、斜面を登りながらの突撃は非常に危険だ。自殺行為とすら言える。
だが、半月ほど前まで行われていた、既に彼らが占領した要塞の前衛陣地と言える場所での戦いにおいて、敵に対して白兵戦以外は注意するに値しないと結論されていた。
魔物なので白兵戦は非常に危険なのだが、陣地構築、砲撃、銃撃、その全てがタルタリア軍の質よりも低いと判断された。
そしてタルタリア軍には要塞攻略の為に塹壕を掘るなどの時間がないので、目の前の危険極まりない巨大な山岳要塞への全軍を挙げての突撃を敢行したのだった。
そしてタルタリア軍の予測と想定を肯定するように、要塞なので豊富にある筈の砲兵による反撃は散発的だった。砲撃している砲自体も、口径、大きさは小さいように感じられた。
戦争前に調べた情報でも、魔物の国だけにアキツ軍は砲兵に劣ると分析されている。
そして実際に、今まで敵の砲撃が彼らの砲兵陣地に降り注いでくる事もなかった。これは、敵が山の上という物理現象面で有利な高い高度に陣取っているにもかかわらず、射程距離においてもタルタリア軍が優越している事を示している。
念の為、偽装を警戒して挑発したり陽動したり、さらには隙間で見せたが、アキツ軍の要塞に変化はなかった。
「予測された通りだな」
「はい。間も無く先鋒が要塞陣地前面の鉄条網に差し掛かります」
「全軍に、敵との白兵戦は銃撃を重視し必ず一対多で当たるようにと、もう一度伝達を」
「そうですな。逸る心のまま進めば、思わぬ損害を受けかねません」
「うむ。何しろ魔物どもは、銃を使わない戦いだと我が将兵の最低でも2倍の戦闘力と算定されている。しかも魔法を使うものが相手となると、1人で1個分隊にすら匹敵する恐るべき相手だ」
「はい。それは前哨戦で骨身に沁みました。ですが、近代兵器の扱いについては、やはり魔物のようです」
「そうだな」と続けようとした司令官だったが、高倍率の双眼鏡の光景のため肯定の言葉を返すことが出来なかった。
言葉を否定しなければならない状況だからだ。
「……キンダ大将、そうでもないらしい。我が軍の将兵達は、どこも鉄条網から前に進めていない」
「なんですとっ!」
絶句したキンダ大将が状況を確かめようと双眼鏡を構えたところで、遠雷のような音が次々と響いてくる。
そしてそれよりも早く、彼が双眼鏡に見た光景が爆発と爆発で舞い上がった土砂で遮られてしまう。
しかも、機械的で連続した音が無数に遠く響いてくるのも分かった。機関銃の音だ。
「キンダ大将。アキツ軍は、ようやく近代戦争を始める気になったらしいぞ」
辺境と言えるサハに長らくいたせいで近代戦にやや疎いと言われるキンダ大将に、カーラ元帥は品の良い顔に猛々しいと言える笑みを向ける。
一方で彼の思考は、この戦争が一筋縄ではいかない事を悟っていた。
しかも戦争は、まだ始まったばかりだった。
ここより第二部。戦争開始です。




