060 「宣戦布告か?」
・竜歴二九〇四年四月十四日
タルタリア帝国からの国交断絶に対して、秋津竜皇国の中枢は混乱していた。
「欺瞞していた戦争準備を見抜かれていたのでしょうか?」
「アキツ領ではない黒竜国内の自治領での演習の実施、というのがタルタリアの言い分です。それ以上の具体的な文言はありません。見抜いたわけではないでしょう」
頭にツノが有ったり、耳が長かったり、肌の色が赤や青だったり、獣そのものの頭をしていたり、はたまた異常に足が短かったりと、多彩な、見る人によっては化け物達が、豪華な部屋で深刻な顔を並べていた。
「だが、演習と偽り戦争準備をしていると言ってきたではありませんか。国内ではなく黒竜地域で演習を行うのが何よりの証拠だとも」
「その指摘は、こちらが出している以上の情報は提示されておらず、全体的に抽象的で具体的な言葉は見られない」
「軍が把握している限り、機密の漏洩はない。間諜、密偵の類も、機密保持を優先して水面下で処理してきた。外務省は?」
「タルタリア大使館の動きは思いの外低調です。タルタリア駐在の筑波大使も、タルタリア外務省の動きは活発とは言い難いと電報で伝えてきています」
「七連月からは、苦し紛れの言い訳に過ぎない、国外の事情は付け足しに過ぎない、と断言に近い言葉を頂いている」
「我々の認識でも、タルタリアでは皇帝の決定が全て。既に決まった事なので、予定を大きく動かせず今回のような形になったのではとも分析しております」
「では情報は漏れていないんだな」
「もうええ。それよりも、連中の段取り通りでないんやったら、何日稼げたんや? 全然稼げんかったんか?」
会話にウンザリしたのか、首座に座る銀髪の若者にしか見えない大天狗が強めの言葉と共に全員を見渡す。見た目は若いが、重ねてきた年齢が滲み出る雰囲気と何より目の力の強さが違っていた。
その太政官の白峰の言葉で場は一瞬で静まり、待っていたように狼の獣人、兵部卿の叢雲が口を開く。
「タルタリア側の偽装攻撃は、彼らの計画通りなら4月1日だったと判明しております。一方、今回の演習に対する非難から国交断絶の時間を考えると、1週間程度はタルタリアの思惑より遅れている可能性が高いと軍では分析しております」
「同じような謀略の再始動と再度の阻止を予測して1ヶ月は稼げると踏んどったけど、結果としては1週間か」
白峰の結果を告げるような言葉に、部屋にいる全員がまた沈黙した。しかしそれも一瞬で、今度は青い肌の大鬼、周防参謀総長が起立する。
「1週間違えば、我が軍は1個旅団が大黒竜山脈要塞に到着します。もしくは、現地軍の1ヶ月分の食料弾薬を届けられます。また、タルタリアが1週間前に開戦を予定していたとするなら、ずれた事に対して調整が必要となるでしょう」
「偽装攻撃の阻止には、軍事的一定の意義があったという事やな」
「それよりも、政治的意義の方が遥かに大きいでしょう」
そう切り出したのは外務卿の大仙。放浪癖のある呑気な所のある大天狗らしく普段は穏やかだが、今は違う雰囲気を放っている。
「偽装攻撃が成功していれば、タルタリアは我が軍から先制奇襲攻撃を受けたという『戦争の正義』と言う曖昧ながら重要なものを得る事ができました。例え攻撃が偽装であり、我が方がタルタリアの謀略だと証拠付きで訴えても、西方諸国の多くがタルタリアを支持したでしょう」
そこで周囲をゆっくりと見回してから続ける。
よく見れば、笑みに近い口元を見る事ができただろう。
「ですが実際は、自治領での我が軍の大規模軍事演習を理由としました。彼らの国内事情では開戦理由として通るのかもしれませんし、西方諸国が支持する可能性も高いでしょう。何しろ魔物相手です。
ですが演習を開戦理由にした時点で、これからのタルタリアは他国から不審の目で見られるようになりました。他の国に対しても、同じ理由で戦争を仕掛ける前例が作られたからです」
また少し間を開けるが、白峰だけでなく他の重臣たちからも意見や野次はない。総意だという事だ。
それを確認し大仙は続ける。
「何より、タルタリアから戦争を仕掛けてくれました。これは、我が国がタルタリアの再三再四の罵詈雑言を始めとする横暴に暴発しなかった何よりの成果です。
そう、『戦争の正義』我に有りなのです。この点は、只人の国々だろうと亜人の国だろうとも、国家である以上否定できません。そしてこの事を、西方諸国ばかりでなく世界が無視できません」
ここでさらに言葉を切ったが、それは周囲の反応を見る為ではなかった。
大山の口元には、明らかな笑みがあった。
そして言葉に対して、外交の人間らしい大きな身振りが加わった。
「外交という点において、我が国はタルタリアに勝利したと言えます」
「まだ初手や。技ありってくらいやろ」
白峰太政官が大仙外務卿の言葉に戯言で混ぜ返すも、否定的な響きはない。他の閣僚、重臣も頷く者こそいても、否定的な雰囲気の者はいない。
そして白峰は続ける。
「勝たな意味あらへんからな」
その言葉で、大仙の言葉に楽観視の雰囲気があった室内が、一気に引き締まるのを全員が共有させられる事となった。
もっとも、言った当人は言う前も後も全く変わらないままだ。
そしてそこに慇懃な雰囲気を漂わせる声が響く。
議事進行役を務めていた太政大輔の相模だ。
「それでは認識の共有が行われたので、次の議題に進ませて頂きたく存じます。ですが、話の続きとなります。秋津竜皇国は、タルタリア帝国が出した国交断絶に対して、受け身のまま戦争を開始するのか、という議題になります」
「……こちらも国交断絶を伝えるのか? 必要あるまい」
「そうではなく、伝統と格式を持つ竜皇陛下が統治する国が、無礼者に戦争開始を告げるのか、という事でしょう。違いますか?」
「左様です。タルタリア帝国が本格的な進軍を開始する前に、宣戦布告を行うのか否か。それを議論して頂きたい次第です」
誰かの認識違いを正した東雲神祇卿に、進行役の相模太政大輔が一礼とともに返す。
それに対して、注目を集めた大仙外務卿が小さく咳払いする。
「外務省は二つの状況を想定し、既に準備は進めさせております。一つは、相手が戦争を開始してからの宣戦布告。もう一つは、彼らが戦争を始める前の宣戦布告です」
「違いは?」
「戦争を始めた後だと、我が国は被害者としての側面を強められます。始める前だと、こちらの宣戦布告に加えて1日か2日後から戦争開始するという宣言を付ければ、僅かですが時間が稼げます。
ただし現時点では、タルタリアは国交断絶をしただけで攻め込んできたわけではありません。外交上はお互い様になりかねず、後者の場合はこちらも国交断絶に止める方が得策でしょう。それでも多少の時間が稼げる可能性があります」
「だそうや、兵部卿。時間欲しいか?」
「1週間ならともかく、1日2日ではあまり意味がありません。既に進出している部隊に遅滞防御戦闘や後方かく乱による時間稼ぎをさせる方が現実的でしょう」
「遅滞防御戦闘ねえ。うちところの蛭子を使うんか?」
「最も効果的かと」
「せやなあ。けど、それはなしや。たった数十人でも、回復には最低20年かかるんや。昔、あの魔王に使い潰されて、えらい目におうた。そんな事したら、命じた時点で全部引き上げるで。あいつらは元々は陛下の最後の盾で、鉾にしたらあかんもんやさかいな」
「心得ております。特務には長期的に無理のない程度の後方かく乱と、敵後方での情報収集を任せる事になるでしょう。この方がはるかに高い効果が見込めます」
「さよか。それで、相手が殴ってきたら御前会議開いて宣戦布告を決める、でええか?」
「神祇省としては古来よりの習わしも有りますので、戦を始めるのなら陛下のご判断を仰ぐのは当然と考えております。この件、陛下にご報告申し上げても宜しいですか?」
「頼むわ。うちも後で参内するから、それも伝えといてんか」
まさに女狐な東雲神祇卿に、白峰太政官がのんびりとした口調で返す。事が決まったから、口調を変えたのだ。
そしてそのまま、一度全員を見渡す。
「そう言うわけや。向こうが殴ってきたら始めるで。短命の者にとっては一世一代の大勝負になるやろうから、みんなあんじょう気張ってや。頼むで」