005 「長距離偵察」
甲斐達4名は、国境を超えてから北の山道や山林の中そのものを一日平均100キロメートル以上もの距離を進む。
その為10日とかからず、アキツ帝国属領北氷州の境界線からタルタリア帝国領内に約800キロメートル以上入り込んでいた。
彼らが有する魔力の恩恵は、そうした常人、いや只人には有り得ない活動を可能としていた。
但し魔力豊富であればこそで、彼らは同じ種族の中でも飛び抜けて多い事例でもあった。
だからこそ、今回のような過酷な任務に従事していた。
そんな彼らの目的地には、南北600キロメートル、最大幅70キロメートルほどの三日月の形をした巨大な湖があった。
非常に水深が深く、また透明度の高い湖だ。
そしてこの巨大な湖は、天羅大陸北方中央部の山岳地帯を東西に分断するように横たわっており、大陸北方の東西をつなぐ唯一と言えるまともな交通路の、その難所の一つになっていた。
「でもさ、なんで鉄道が通せるくらいの道みたいな平地が、湖の崖沿いに都合よくあるのかなあ? 工事すごく楽じゃない」
その湖の地形を遠くから眺めつつ白い髪の半獣が愚痴り、周りの3人が苦笑を浮かべる。
「竜歴以前の先史文明の痕跡が世界各地にあるだろ。あれだよ。だがここでは完全に残ってなくて、先史文明が崩壊した時に崩れてた場所も少なくないそうだ」
「軍の諜報部と外務省の情報ですね。立ち入り禁止で随分と秘匿されていて、実際何も分からないのが実情ですが」
「だからこそ、僕達に声がかかったというわけだな」
「それにしても、鉄道敷設に関して一応タルタリアの発表はありましたが、発表とは大違いですな。この調子だと、冬までに完成するのではありませんかな。確か、この辺りの工事が一番難しいんでしたな」
「ああ。タルタリアの大陸横断鉄道の敷設工事は、上が考えているより遥かに順調だ」
朧のどこか呑気なつぶやきに、甲斐だけでなく鞍馬、磐城も加わっていく。朧は聞き役ではあるが、全体としてはちょっとした復習や情報、価値観を再認識するための会話だった。
そして現物が目の前にあった。
「朧、あなたの『魔眼』で何か見える?」
「ちょっと待ってね」。鞍馬に聞かれた朧が目の焦点を遠くへと絞っていく。
加えて朧の体の中の魔力が高まるのを、他の3人は感じ取った。種族などの違いはあるが、魔力を使う事で様々な恩恵を得ることが出来る証拠だ。
白虎の半獣の朧は、『魔眼』と二つ名で呼ばれるように常人どころか同じ種族ですらありえない視力と精度を誇っている。
そしてこの能力があるので、まだ蛭子衆に入って1年経っていない彼女を今回の任務に甲斐が誘った。
もっとも、ネコ科の獣人、半獣はもともと視力と夜目に優れている。動物のネコ科は視力自体は劣るので、これは動物とは関係の薄いネコ科の獣人、半獣固有の特質だ。
しかも朧の場合、魔力により卓越した能力向上がなされていた。その視力は臨機応変に変更可能で、通常は5程度だが、力を発揮すると近代技術で作られた望遠鏡や双眼鏡をはるかに超える能力を発揮する。
その能力は、通常でも昼間の空に夜の星々が楽々と見え、10キロ先の人程度の大きさのものを見分け、100メートル先の新聞を読むことが出来る。
「……犬の耳に毛が白か灰色。多分灰色だから、あれはこの辺の蒼狼族の半獣達だね。かわいそうに、首に枷をされてる」
「魔力封じの首輪か。それだと力が十分に発揮できないだろ」
「十分力を発揮したら、只人は銃がないと手も足も出ないものね。『人の知恵』とかいうやつよ」
「相変わらず僕らを獣扱いか」
「あれが私達が負けた時の姿よ。よく見ておきなさい」
鞍馬の言葉に他の三人は頷くなどそれぞれの反応を示す。だが、すぐに気を取り直したのは一番年長の緑の大鬼だった。
「自分など、アキツの外に出れば即討伐対象ですがね」
おどけた口調で言われると深刻な話も冗談に聞こえ、聞いた3人も笑みを浮かべる。
「僕も似たようなものだ。だが、枷をしても只人より力は強い。この国では国民扱いしていない統計外の半獣を大量に使役することで工事を急いでいる、ということか。実際に来て見ないと、連中の工事が早い理由の種明かしが分からなかったな」
「種明かしを探しに、さらに接近しますか?」
隊長の甲斐が締めるところを、鞍馬の問いかけが締めとなった。
甲斐が強めに頷いたからだ。
「日が暮れたら、風向きと連中の魔力探知を警戒しつつ、少し先の宿営地に接近する。それまでは、もう少し周囲を見て回る。他に何かあるかもしれない」
「了解」
そうして夜。夜の闇は只人にとって古来より恐れるべきだが、魔人と亜人の一部にとっては違っていた。
獣人もしくは半獣のかなりが、動物と同じように夜目が利く。夜の空を駆けると言われる天狗の目は、熱を捉える特殊な見え方で闇は関係ない。
鬼と大鬼はおとぎ話と違って夜目はあまり利かないが、只人よりも見える。それにこの場にいる者達は、魔力の恩恵と厳しい訓練により夜を友としていた。
「朧、磐城、どうだった?」
「作業員の宿舎だけど全部同じ。それに柵どころか塀で囲んでて、銃を持った門番や見張りが交代でずっといた。刑務所みたいだったね」
「それに食事は総じて粗末ですな。ひどい麦餅と具が殆どない豆の汁物だけ。急増の施設のようですが、寝台はなく毛布もボロ。便所の数、処理方法などから考えて衛生状態も悪い。
風呂や蒸し風呂もなし。水浴びも専門の場所は見当たらず。井戸は必要数ありましたが、煮沸や浄水をして飲んだりはしておりませんな。当然なんでしょうが、魔法を用いた生活道具は見当たらず」
「あと、少し離れた所に粗末な墓地があったよ。随分と乱暴に葬られているみたい。魔力の残滓もあったから、獣人の死者も多いね」
「人も半獣も使い潰しているのか。だが、動員した半獣以外は囚人か?」
それに朧が首を横に振る。磐城もそれに同意する。
「あれは農奴ってやつでしょう。タルタリア人にしては体格も悪い。目も死んでいました。皇帝か貴族に無理やり連れてこられて、労役につかされているのではないかと」
「確か、『人は畑からとれる』だったかしら」
甲斐の横で冷たい声。よく通る綺麗な声だけに、怒りを含んだ声には迫力がある。
「タルタリアの只人っ畑で生まれるんだー」
朧がさも面白そうに返すが、鞍馬の言葉を真に受けているわけではない。口調と態度から単なる皮肉の上乗せだ。
そして他の3人も、それは周知らしく咎めたりしない。
「タルタリアの総人口は、公称で約1億5000万人だったかしら」
「七連月の温もりという恩恵があるとはいえ、米も実らない寒い大地でよくそれだけの数が養えるものですな」
「しかも我が国と大きく違い、効率の悪い農業経営だそうよ」
「我々は只人より腕力があり、他の能力も総じて高い。その上、公民でも多少の術が使える者も少なくない。科学を用いた近代化にも熱心。農地の開拓一つとっても、まるで違うからな」
「僕は動いた分、人より食べるけどねー」
「わが国と比べずとも、タルタリアの一人当たりの生産性などは、西方列強に比べて劣るという資料を見たことがあります。ましてや農奴制などという遅れた制度が残っているようでは、さらに劣る事でしょう」
「そうなんだろうな。だが、そういった話はもっと上の連中か専門家に任せて、僕達の仕事をしよう。他には何を見た? 記録の方は?」
部下たちの雑談を、言葉だでけなく目で抑えつつ続けさせる。
記録というのは、それぞれが手に持っている10センチ四方ほどの箱。中には大量の札とそれに連動した宝珠があり、魔力を込めるとその場の景色を記録できた。
この道具は魔法を用いた写真機で、写憶機と呼ばれていた。
幻影術を応用した呪具だが、その登場は意外に新しく近代化学文明の産物である写真機と同程度の時期。というよりも、写真機から発想を受けて発明された。
この時代の写真と比べると精度は非常に高く、しかも天然色だった。撮影できる量も段違いに多い。そしてなにより携帯と撮影が簡単だった。
ただし宝珠に記録したものを見る形で、紙などに複写する事は出来ない。その一方で、他の宝珠に記録を複写する事ができる。
その小さな箱を軽く掲げつつ、磐城が頷き返す。
「資材置き場、道具置き場も見ましたが、資材は呆れるほどありましたが道具はあまり良いものは使ってませんな。均土車、起重機など、蒸気を使った機械も少ない。連中、人海戦術ばかりで、前世紀の道具で最新の鉄道を敷いているようなもんだ」
「僕らが見た機関車は、ゲルマン製の最新だったがな」
その言葉に、今度は磐城が「最新ですか」と興味深げに返す。
工事現場や人のいる場所から少し離れた針葉樹林の中で合流し、そこでの情報交換が目的だからだ。
光もつけず、気配すら消し、さらに尾行などされていないかは確認済みなので、周囲に他の人の気配はない。
「ああ、事前に写真で見たものと同じだった。それにどこからかは不明だが、西の方から複線で鉄路が敷かれていた。しかも駅に近づくと引込み線が何本もあった。その先はまだ工事中だが、野外に大きな駐車場も作っているようだ。隣接する平地も広く確保してある。集積地や兵站拠点、それとも兵士の集結場所だろう」
「汽車及び貨車は、工事に必要な資材や作業員用の諸々を運び込むものしかありませんが、甲斐隊長が言ったようにゲルマン製の最新の機関車が牽いていました」
「兵隊はいないんだ?」
「確かに国境の警戒は厳しいから、僕達も念の為に北の辺境を大きく迂回した。だがここは、国境から800キロも入った内陸部だ。戦争もしてないし、労働者の監視と逃走防止の看守で十分なんだろう。労働者の監視で忙しいのかもしれないが、警備は予想したより手薄だ。
それにまだ、大軍を東に送り込む準備段階だからな。だが完成したら、相当の大軍を鉄道輸送できるようになる」
「谷間の橋梁や三日月湖沿いの路線工事が、今のところ難工事でしょう」
「じゃあ、あの辺壊して回る?」
突然、グッと首をもたげたのは朧。目も爛々と輝いている。
剣呑な事を言っているが口調は呑気なままなので、まるで新しい遊びを始めようとでも言いたげだ。
それを見て3人がそれぞれの表情を浮かべるも、隊長の甲斐が小さく手で制する。
「今回は見るだけだ。相手に気付かれず覗き見するのが、軍の頼まれごとの必須条件だからな。当然、壊しても命令違反になる。それに、いずれ僕達が使う事になるかもしれない」
「まあ、今回は爆薬など壊す準備もしとらんですからな」
「僕らの力なら、かなりいけると思うんだけどなあ。鞍馬の術なら余裕だよね」
「ただ壊すくらいならね」
「地形を変えるほど破壊するか、大きく工事を遅延させるくらいの破壊か妨害が出来なければ、今破壊してもあまり意味はない。それに、仮にある程度破壊できたとしても、ここの労働者がさらに苦労させられるだけだ」
「それはちょっと嫌だね。りょーかいしました。でもさ」
「まだ何かあるのか?」。普通なら咎めるところだが、今回は軍隊にしては緩い統率なので隊長の甲斐は朧の言葉を止めるどころか促す。
それに異を唱える者もいないところに、この集団の立場や関係が現れていた。
だから他の2名も朧の言葉を待つ。
「少しくらい痕跡残していかない?」
「何か見つけたのか?」
「あっちの小さな町の旅籠に、金ピカの偉そうな連中とその取り巻きが何人か。階級まで見てないけど、あれは貴族の将校だね」
「ここの司令部か?」
「司令部っぽい建物は別。女も連れ込んで酒盛りしてたから、まあそういう場所だろうね」
「タルタリアは階級格差が酷いと聞くが、こんな僻地でもそうなんだな」
「みたいだね。下っ端の兵隊や役人のほぼ全員も、別の場所で呑んだくれてたよ」
「その情報は貴重かもな。兵や役人がだらけているのは、我が国にとって結構な事だ。だがこの先も、見つからずに見て回らないといけない。破壊も騒動もなしだ。夜のうちに移動するぞ」
「了解しました」
甲斐の言葉に全員が復唱した。
言っている事が事実であり正しいからだ。
そして組織、特に軍に属する者は命令が絶対だった。