056 「謀略阻止の始末(3)」
「よう、ヤマネコの大将。駄犬どもは、なんか喋ったか?」
「これはアリオトさん。最初は随分怯えていましたが、魔法で傷を癒して温かい食事を与えたら、話しだしましたよ」
気軽に歩み寄った半獣に、第3中隊を率いる不知火が言葉同様に丁寧な態度で、しかも笑顔付きで返す。普段は細目なので、人の良い笑みに見える。
そんな一見温和な印象を受けるが、アリオトは話題を変えるべきだと本能的に感じた。底の知れない冷たさを感じる、そんな笑みでもあった。
「そりゃあ何より。ところで、俺は副長さんの舞を見てただけだが、こっちは凄かったんだってな」
「大隊長が、ですね。僕は指揮に専念しすぎて、数人の首を落とすのが精一杯でした」
「良く切れるらしいな、アキツの剣は」
「ええ、とても。ところで、アリオト殿はスタニア語はお得意ですか? アキツ語が流暢なのは大隊長が最初に倒した隊長格だけらしくて、タルタリア語も不得手な者が多いんです。素直に話されても、全て分かる者がこちらにはいなくて」
「子供の頃までしか使ってないから、あんたらの中にいた下士官の方が上手いよ。でも、メグレズがアキツに呼んでる筈だ。細かい事は、偉い奴、頭の良い奴に任せればいいさ。で、どれくらい喋った?」
「ハハハ、そうですね。おっと、これは失礼を。逮捕者の皆さんは、おおよそは話してくれましたよ」
「タルタリアの開戦理由にする為に、アキツ兵を装ってタルタリア軍を襲撃する謀略を図ったってやつか?」
「ええ、おおよそそんな感じです。ただ彼らは、茶番の戦闘だけしたらそのまま無事にタルタリアに戻れると思っているようでした」
「ハッ! 有り得ないね! 亜人嫌いのタルタリアだぞ?! 証拠隠滅の為に、一人残らず殺すに決まってるだろ。おめでたい奴らだ」
「でしょうね。でも、タルタリアに従順な半獣もいるんですね。随分虐げられていると聞いていましたが」
「住んでるところが只人の領域に近い連中は先に支配されて、次に俺たちを攻撃する時に尖兵になる代わりに、俺たちの利権を奪っていいとかアメをもらって尻尾を振ったんだよ。あいつらは、狼どころか番犬ですらない」
「なるほど。支配者の常套手段に踊らされているというやつですか。お可哀想に」
「まあ、そういう事だ。ポラリスや他の七つの月が言うには、タルタリアは地続きだから分かりにくいが、征服した場所は領土じゃなくて植民地だとさ。だから虐げて搾取し、支配しやすくする為に征服した種族同士、民族同士を対立させる。しかも、支配している側の只人も一枚岩じゃないときた」
「バラバラですか。だから国論をまとめる為に戦争をするのでしょうか?」
「んなわけないだろ。皇帝の取り巻きが好き勝手に決める。それだけだ」
「皇帝が決めないんですね」
「仲間が言うには、皇帝は凡人だそうだ。だから他人の意見に流される。なんとなく良さそうな選択肢を選ぶ。いい喧嘩相手だろ」
最後にニヤリと笑みを返すと、不知火も嬉しそうに笑みを返す。
確かに楽な戦争相手だと。
もっとも、後始末は死体の処理から始まって簡単とはいかなかった。
その後、熱処理して骨だけになった偽装兵の遺骨を深めに埋め、簡易ながらアキツ式の葬儀も済ませる。その間に現地の詳細を記録させ、蛭子衆第一大隊は戦闘場所を引き払った。
そして『浮舟』で湖を横断して彼らが根城としている野営地へと戻ると、さらに『浮舟』を1台走らせて逮捕者を幌梅の町まで移送。そこで友軍に引き渡した。
引渡しには甲斐も同行し、報告書も提出すると共に、幌梅に来ていた責任者に経緯の説明を行う事となった。
「ご苦労様です、大隊長」
「大隊副長も留守ご苦労」
甲斐と鞍馬が敬礼し合う。
偽装兵の襲撃から2日後の深夜、甲斐はようやく野営地の大隊本部に帰り着いた。既に日付は代わり、翌日どころか月をまたいで4月になっていた。
だが、彼はもう少し仕事をする必要がある。同行していた他の者は解散させたが、後送で出向いていた事を記録し、留守の間の事を聞き、何かあれば対処しなければならなかった。
鞍馬も大隊長がいない間は大隊を預かっていたので、同じように報告などの義務と責務を果たさないといけなかった。
二人以外に起きているのは、野営地全体の見張りの当直兵だけ。魔法による警戒も十分に施してあるので、大隊本部に歩哨や従兵は置いていない。
「淑女の前だけど失礼しますよ」
甲斐は敬礼の手を下ろすなり、疲れていると全身で表現しつつ近くの簡易椅子へ腰を下ろす。
「どうぞご自由に。この3日ほど、慌ただしかったものね」
言いながらその場を離れ、天幕内にある円柱型の暖炉に置かれたヤカンを手に取り、中のものを金属製の湯飲みに注ぐ。麦を焙じたお茶の香りが香ばしい。
二人しかいないし仕事も少し棚上げしたので、鞍馬の口調は穏やかだ。
「ありがとう。夜はまだ寒いから有難いです」
「先駆けでも出してくれれば、とっておきの珈琲を用意したのに」
「鞍馬も疲れてるでしょ、そんな事させられませんよ。それに温かいお茶で十分」
「そう。じゃあこれはいらない?」
「羊羹? 欲しい、欲しい。幌梅では忙しくて、部下はともかく僕は食べ損ねたんですよ。半ば土産で握り飯と缶詰をもらって帰りの『浮舟』で食べたけど、昼も食べ損ねてたから全然足りなくて」
言いつつ笹の包装を手早く剥いて、黒光りする長方形のものに嬉しそうにかぶりつく。そして何度か咀嚼すると、口の端が甘味により自然と上に向いて笑顔を作っていく。
「んー。この歯にガツンとくる甘さ! 普段は甘すぎるって思うけど、こういう時は格別だなあ」
「軍の熱量食は、長期保存の為にあえて甘味を強めにしているらしいわね」
「水分も最小限らしいですよ。本国でも3ヶ月。乾燥した地域だと半年かそれ以上保つそうです」
「湿気は保存の敵だものね。でも、そんなうんちくを子供みたいな顔で言われても説得力に欠ける」
「食べるくらいしか前線の楽しみはないんですから、少しくらい構わないでしょう。部下達もいないし」
「少しくらいならね。じゃあ、食べながら話を聞いてちょうだい。それと話を聞かせて。そのあと、書類を片付けたら毛布にくるまれるわよ」
「うっ、先が長そう。3時間寝れるかな」
「最後まで付き合うから」
そうして現場の甲斐達にとっての今回の陰謀劇は実質終わったが、野営地を構えてからこの数日は事前に予定していた行動が殆どできなかった。
構えてすぐに、タルタリアが偽装攻撃によりアキツが先に手を出すという謀略を計画していると本国から連絡が届いたからだ。
そして翌日には、タルタリアの地下組織とされる七連月から、使者であり見届け人のアリオトが甲斐達の元へとやってくる。
しかも既にタルタリアは動き出しており、彼女は誰もいない場所で偽装した中隊規模の半獣の騎兵が許しなく越境したのを目撃したと知らせる。写憶機に記録されていたもので、疑う余地もなかった。
甲斐達、蛭子衆第一大隊に命じられたのは、火急速やかなる偽装軍服を着た越境者集団の殲滅。念の為の証拠の為の逮捕者数名以外は一人も逃さず、現場に証拠も残さないよう指示された。
甲斐が予測したように、追い返しても全員捕らえて証拠を突きつけても、タルタリア側にアキツへの糾弾と開戦の口実を与えると上層部で判断されたからだ。
そして甲斐達は、取るものも取りあえず全力で出動。偽装越境者に尾行を付けているアリオト達の案内を受け、2日前の深夜に相手に気付かれる事なく配置につく。
本来ならそのまま奇襲で殲滅しても良かったが、まだ戦争状態ではない以上、甲斐は形式であっても段階を踏むべきだと考えた。大隊の者もかなりが同じような考えを抱いており、反論もなかった。
そして戦闘の結果を受けたアキツ政府、アキツ軍は、甲斐が予想したように何事もなかったかのように通した。
当然だが、本来なら甲斐が戻ってから数時間後に行われたであろう、偽装兵による攻撃が行われる事は遂になかった。