053 「不法入国(2)」
最初の銃撃と共に数十名が突撃した時、既に半獣の騎馬集団の隊長がいた先頭集団の周りでは血煙の嵐が巻き起こっていた。
そこは第一撃の銃撃や魔法の投射は避けられていたが、それでも全く銃撃が通過しない訳ではない。だが血煙を作っている男は、全く意に介さず修羅場を作り続けた。
騎兵は歩兵にとって大きな脅威とされるが、行軍中でしかも止まっている騎兵は、今回の襲撃者にとっては簡単な狩りの獲物程度といった状態だ。
1つ数えるよりもずっと早い間隔で、行軍の為かなり密集していた騎馬の誰かが落馬していく。その大半は首や胴を容易く一刀で切断され、盛大に血しぶきを周囲に撒き散らし崩れ落ちていった。
普通の刀剣では不可能な切れ味な上に動きが素早すぎるので、人より素早く動け知覚にも優れた半獣でも、反撃どころか反応する前に次々に斬り倒されていった。
それにひきかえ、半獣が乗っている馬の方はたいていは無傷。そして残った馬のかなりが、主人がいなくなると明後日の方向へと走り始める。
そんな惨劇が本格的に始まる頃、銃撃と魔法が止むとほぼ同時に刃を持った集団が修羅場へと到着し、準備もままならない騎馬の集団に四方から襲いかかる。
山猫の半獣の不知火が率いる伏撃、潜伏に秀でた第3中隊は、吉野の幻影術の支援を受けて敵の目を欺いて一度完全に対象をやり過ごし、隊列の後ろから襲いかかった。
しかも音も銃撃もなしの背後からの攻撃だったので、接近最初の一撃で中隊と同じ数の12騎が倒された。
その後も、相手が対応するまでの短い時間の間に数十名が倒されていく。
そして惨劇の場となった左右は、騎馬の集団のいる道よりも少し小高くなった緩やかな斜面で、そこから一気に別の隊が殺到する。
右側面からは緑の大鬼の磐城が率いる第1中隊が、左側面からは山犬の獣人の嵐が率いる第2中隊が、それぞれ常人ではありえない速度で、それこそ飛び跳ねるような速さで、全力疾走の馬よりも速く距離を詰め、一気に白兵戦へと持ち込む。
ただ100騎以上いる騎兵の隊列はそれなりに長く、両側面からの攻撃は一部に対してにとどまっている。
しかし、護りの第1中隊、探りの第2中隊、潜みの第3中隊という中隊ごとの特徴はあったが、この戦闘では第3中隊が最初に潜んだ以外に違いはなかった。
どの中隊も、夜襲、伏撃の優位を最大限に活かし、相手に対して人同士では有り得ない戦力差を見せつけていた。
白兵戦は通常両者の怒声が響くのだが、襲撃者の黒装束の群れは終始無言で手にした赤く光る刀や槍を振るい続ける。
対する騎馬の方も身体能力に秀でた半獣なので、最初の衝撃から立ち直ると主に馬上槍や刀で応戦を開始する。隊長達の周りで猛威を振るう者より、他の襲撃者達は動きが多少は遅かったからだ。
だが、襲撃を受けた側が半獣だから辛うじて応戦できたとも言えた。
もっとも、只人は夜の闇を克服できていないのだから、戦闘どころか夜間行軍すらしなかっただろう。そういう点では、攻撃を受けた者達は愚かだったかもしれない。それほど、両者の間には埋めがたい力の差があったからだ。
襲撃側も騎馬の集団も亜人なのだが、動き、熟練度、そして何より力の差を生み出す魔力。全てにおいて襲撃側が圧倒していた。
数は騎馬の集団が150を数えるのに対して、襲撃側は見る限り30名ほどだったが、まるで戦いになっていなかった。
騎馬の側は馬上という高さの優位があるにも関わらず、斬り結んだ槍の穂先ごと赤い刃に切り刻まれていた。
なお、一般的に騎兵は、歩兵の数倍の強さがあると算定される。
単体でも移動力で圧倒し、白兵戦なら馬上という高い位置から攻撃できる。そもそも馬という人の何倍もある巨体が高速で迫れば、それだけで非常に大きな心理的圧迫となる。さらに交錯する時に、勢いのついた槍や剣に突き刺されるか馬の巨体に跳ね飛ばされてしまう。
そうした高い攻撃力を持つ騎兵は、歩兵の3倍から5倍の戦力があると算定されている。
だがこの時の騎馬の集団は一旦停止していた。多少だらしないながら行軍中で、戦闘陣形にはない。
また、馬の背という高さの優位は、只人では有り得ない運動能力により関係がなかった。攻撃側の全ての兵が高い身体能力を有し、馬上の優位となる高さの差は一足一刀にも及ばない間合いでしかなかった。
それに馬にまたがってしまうので、半獣としての高い身体能力が減殺されてしまう。
相手も各種の亜人な上に圧倒的な身体能力、魔力の差があっては、止まった騎兵は狩られる獲物でしかなかった。
しかも襲撃者の中に魔人までが含まれていると知り、騎馬の側の兵士達の多くが絶望し、士気は崩れ去った。
「た、退却!」
「あっちが手薄だ!」
「いや、こっちだ!」
夜明け前の予期せぬ遭遇。不意打ち同然の襲撃。そして短時間の間に一方的殺戮を受けた騎馬の集団は、一部の指揮官がたまらず退却を命令。
戦闘開始から僅か1分足らずの事だった。その短時間で退却を命じるほどの事態であり、命じただけ残った指揮官は状況を理解していたと言える。
ただその場は、両側に緩やかとはいえ斜面が迫る場所で、左右に逃げ散るのは不可能でないにしても馬に負担がある。
襲撃者側が、逃げにくいように選んだ場所だからだ。しかも主に左右から銃撃を受けたので、坂の先に伏兵がいると考える者も少なくなかった。
この為、自らの才覚、本能に従って個々に逃げるのは難しい。
進むなら前か後ろ。だが方向的に進みやすい前の方は、悪魔のような男が殺戮を繰り広げた惨状が広がっていて、心理的に進みたいとは考えられない。
左右は何があるのか全く分からない。
多くが回れ右をするしかなかった。
後ろからも襲撃者が襲いかかってきていたが、馬が集団で突っ込めば道を開けると考えた。
ただ秩序が半ば失われていた為、完全に集団にはなっていなかった。その動きは、まだ夜明け前の暗がりの中なら、運が良ければ生き残れると言いたげなものだ。
半獣だから生存本能が優先した、無駄な戦闘をしない賢明な判断と言えた。
しかし、退却の判断は遅きに逸していた。奇襲を受けた時点で、即座に判断するべきだっただろう。
逃げ始めた段階で、既に半数どころか3分の1以下。しかも逃げ出しても襲撃は続き、その上襲撃側は全力で走り出した馬にすら一定程度は追随する身体能力を持っており、逃げながらも数を減らし続けた。
逃げるならば、襲撃を受けた直後に判断するべきだっただろう。
それでも一部は、襲撃された場所からの離脱に成功する。
数の差と相手が騎馬だった為、襲撃者側はどうしても追いきれなかった。
だが最初は数十騎の集団だったのが、後ろと左右が次々に襲われ、脱落し、馬の足音以外がなくなり、さらに完全に振り切ったと感じられるまでに十数騎にまで減っていた。
当初の10分の1程度の数でしかない。
そうしてしばらくは、人で言えば全力疾走と言える襲歩で騎兵たちは逃げ続けるも、ようやく速度を落とした。馬の息が上がったからだ。
ただし停止はせず、早歩き程度に当たる速歩で進ませる。恐怖から、とてもではないが休息しようとか考えなかったからだ。
もっとも、彼らは身体能力に優れた半獣だから、いっそのこと馬を捨てて自力で走った方が一時的には距離を稼げただろう。
それに馬とバラバラになって逃げた方が、相手を混乱させられたかもしれない。
しかし、そんな考えも浮かばないほど彼らは混乱していた。それだけ一方的な、彼らの常識ではあり得ない戦闘を見せつけられたからだ。
そして一方的な戦闘は、まだ終わりではなかった。
先頭を進む騎手の肩から上が、不意に転げ落ちる。
よく見れば、微弱な魔力の煌めきの尾をひく何枚かのごく淡く光る札が宙を舞っており、そのうちの1つが先頭の者の首を呆気なく切り落としたと分かっただろう。
だが、咄嗟に状況を判断できた者は、残された騎馬の集団の中にいなかった。
後ろを進んでいた者が一瞬呆気に取られた次の瞬間、最初に首を落とされた者の近くを走っていた者に、さらに次の瞬間に次々と首や胸などに鋭利すぎる刃となった札が殺到し、その命を狩っていったからだ。
「に、逃げろ!」
再び同じような悲鳴にも似た叫びが起きたが、今度はどこに逃げていいのか分からなかった。
集団の前衛が倒されて馬が混乱して勝手に動き出し、既に速度が失われていた。そして混乱から立ち直る暇もなく、次々に犠牲者が増えていった。
しかも今度は、敵の存在すら分からない。
どこにも人影はないので、知識のある者は幻影術で隠れた複数の魔法使いが攻撃していると考えたが、前に進むべきかを躊躇させる。
しかしすぐに動かねばならない。魔法と思われる鋭利な何かが宙を舞って、次々に致命傷を与えていくだけ。しかも複数から同時に攻撃を受けていた。
故に、前でも後ろでもなく、横に逸れようと左右の騎馬が考え動こうとした。
だが、左右への逃走も叶わなかった。
彼らの一部が左右へと考え動き始めた次の瞬間、今度は左右から現れた何かの猛獣の影のようなものが、魔力の淡い光を見せつつ襲いかかかってきた。
大きさは大柄な狼程度。半獣達のもととなった動物に似ていたが、それは生き物ではなかった。
誰かが持っている護符が、魔力の何かだと伝えていた。
複数の者が「ば、化け物!」と叫んだが、この世界に魔力を有する動物はいない。一部伝承に残されていたりするが、全て魔法による幻影などでの産物だ。
目の前の「化け物」も、魔力と呪符術により作り出された式神だった。
ただし騎馬の者達が、どういった産物なのか理解できたかは、叫び声を聞けば明らかだろう。
彼らは暗がりの中で、魔力を帯びた得体の知れない獣の姿の存在に、ただ殺戮されていくだけだった。
そして最後の一人が見たのは、突然のように目の前に現れた黒い人影だった。その人影は、赤く長い刃を手にしていた。