049 「展開開始」
「思っていたより操作は簡単ですね」
「そりゃあ、棒切れで押すだけだからねえ」
「私は魔力の加減を言っているのだけど?」
「それは鞍馬が腕利きの術者だからだよ」
「朧も術はかなり使えるでしょう」
「蛭子衆の蛭子で術を全然使えない人、いないでしょ。最低でも4級まで叩き込まれるのに」
「そうよね。その点私達は良いけど、今後の普及を考えたらもう少し操作性を簡単にした方が良いでしょうね」
「そういう報告をあげるのも、今回『浮舟』を先行配備された理由だ。しっかり情報を集め、各自報告書をまとめるように」
「了解しました大隊長」
甲斐の言葉に吉野が静かに応じる。同乗する他の二名もそれぞれの言葉で続くが、大隊本部小隊の4名で『浮舟』の操作訓練をしていた。
乗っている『浮舟』は、『浮舟』の中でも一番変わった形の司令部舟。川船に少し近い形をしている『浮舟』の有蓋型。装甲を装着しているのが、他の有蓋型との大きな違いだった。
装甲と言っても前面が小銃弾を防げる程度。他も、ある程度の爆風や小さな砲弾の破片、飛散してきた小さな瓦礫を防ぐ程度。それ以上分厚くすると、重くなりすぎて浮くことすら出来なくなる。
他の『浮舟』は10トン程度の貨物や人員を積載できるが、この司令部型は装甲に多くの重量を取られているので、人や最小限の物を載せる以上は無理だった。
開発者は銃弾を跳ね除けつつ進撃する装甲舟を目指したが、ちょっとした弾除け付きの拠点として据付ける以上はしない方が良いという、試作品にありがちな半ば欠陥品だった。
だが欠陥品でも使いこなさねばならず、司令部小隊の面々ばかりか大隊長自らが操作の訓練をしていた。
通常は大隊長、大隊副長は指揮に専念する事になっているが、前線では不測の事態はつきもの。大隊長といえども、一通り何でも出来るようになっているに越した事はない。
それに隊長や副長は魔力の多い者ばかりなので、まだ試作や実験段階を出ていない『浮舟』の操作に関する情報を集める必要もあった。
「色々と動かした下士官兵達の感想ですが、この司令部舟が一番操作が難しいと」
一通り大隊本部小隊の面々が訓練を終えた後、他の兵が訓練するのを眺めながら、甲斐は鞍馬から現状報告を受ける。
「他より重いからか?」
「重いだけなら、物資を満載した輜重舟の方が重くなります。舟全体の重さ配分や均衡していないからだと」
「やはり前の装甲が分厚いからか?」
「はい。油断すると前に傾きますから」
「と言っても、舟の後ろは出入り口。側面の出入り口だけだと不便だ。釣り合いを取る為に重い荷物を積むわけにもいかない。移動の際は、慣れた者を優先させよう。とは言え、大隊本部の次の移動はここを引き払う時だろう」
「了解しました。それで、『浮舟』の操作訓練はいつまで?」
「簡単な操作要項しかない代物だからな。まだ時間もあるから、頼まれた事は一通りする。明日いっぱいくらいは必要だろう。個人的には、不測の事態に備えてそれ以上もしておきたい」
「不測の事態ですか」
「うん。朧も言っていただろ。速度を出したら馬より速くなるが、どうやって上手く止まるのかと。自然任せだとなかなか止まらないし、櫂で強引に止めるとひっくり返ったりしかねない。強引に地面に下ろすと舟底を傷つけてしまう。吉野が言ったように、風の術で何とかするくらいしか手がなさそうだが、他に何か案は出てないか?」
「どうしても急停止したいのなら、目の前に力自慢を飛び降りさせて強引に受け止めさせる方法もあるでしょう。船体の骨組みは鉄で出来ています。破損する可能性は低いかと」
「ハハハハッ。魔法で何かないかと思ったが、思いのほか力技だったな。でもまあ、それもありか。あとで磐城らに試させてみよう」
かなり意表を突かれたらしく甲斐は楽しげだ。
それを横目で見つつ、鞍馬は近くの者に視線を向ける。
「何名か選抜します。風の術の方は?」
「そっちもしよう。ただし両方とも、徐々に速度を上げて危険と思われたらそこで終わる。それに、僕らが出来ても他が出来ないような事もしない。その辺で頼む」
「了解しました」
そうした相談をしている眼前でも、『浮舟』の操作訓練とどの程度動かせるかの訓練、というより半ば実験が続いていた。
ただし、輜重舟と呼ばれる物資を山積みした舟、医療、炊事、浄水の装備を乗せた有蓋舟は、移動以外の操作訓練はさせていない。
訓練には、本部小隊が訓練に使った司令部舟以外は、兵士を運ぶ標準舟が使われていた。
勿論だが全員ではない。訓練は二交代。
訓練していない者のうち支援中隊は、拠点と定めた現地点での拠点設営。身体能力に優れる蛭子は早速周囲の偵察。
と言ってもまだ戦争は始まってもいないので、周辺地形の把握、拠点とした場所が他から見つかる可能性を調べたりしている。
特に、戦争になれば進撃路に使われるであろう主街道とその周辺、特に自分達が潜伏、伏在出来る場所の把握、そこが敵からどう見えるのかの確認が重視されている。
そして特務旅団(蛭子衆)所属の第一大隊だが、拠点と定めたのは国境の町黒竜里と幌梅の町の中間点の二等辺三角形で20キロほど南の場所。
その20キロほど西には、アキツ本国のどの湖よりも大きな湖がある。そしてそこへと注ぐ川が彼らと主街道の間にあるので、敵が進撃路の一つに選ぶ可能性はない。ましてや湖は北部の国境を超える辺りにあり、一種の狭い地形を作っている。
仮にアキツ軍が最初にタルタリア軍を迎え撃つなら、境界線ではなく、その狭い地点になる。地形が狭く守り易いし、タルタリア軍が大軍を展開し辛い。その上、他からの迂回も非常に大回りとなる。
そうした場所を抜けた先の脇に当たる場所に、彼らの拠点が設営されている。
勿論だが、彼らの拠点は地形で遮蔽されているので、直接互いが見える事はない。
その上、彼らの拠点全体が、呪具による固定型の幻影術によって周りの風景に溶け込んでしまっている。余程近づかない限り、普通に見ただけでは分からない。
魔力による探知で術に気づくにしても、アキツ軍ですら視認出来る距離より近づかないと難しい。ましてや魔法技術で大きく劣るタルタリアでは、気付く可能性は非常に低いと考えられている。
注意するべきは、半獣の主に嗅覚。タルタリア軍の一部に編入されているので、風向きには注意を払う必要があった。
仮に空から偵察出来れば話は違うが、この時代に人が空を自由に飛ぶ術はない。
魔法で身体能力をあげて高く跳ねる事は可能だが、空を飛ぶ魔法、魔法の道具はない。
魔法で強い風を起こして吹き飛ばすか吹き飛ばされる要領で空中に上げる方法もあるが、例外を除いて飛ぶ状態を再現した事例はない。再現されたのも、常時魔法で指向性を持った風を起こしつつ空中を突進するというのが正しい。
空を飛べる式神を用いた場合など一部の魔法という例外はあるが、それでも一時的に空からの視覚が得られる程度。しかも距離や高度、時間がかなり限られている。それに使える術者も多くはないし、魔法によらずとも銃撃で落とせるものが殆ど。
また、魔人など魔力の高い者が、魔力に任せた身体能力で高く跳ねても高さは限られている。
魔法の技術を用いた『浮舟』では、文字どおり浮くのが精一杯。
近代科学文明でも、風まかせの気球が限界だった。
世界各地では鳥のように空を飛ぶ手段の発明や開発が行われてはいるが、国が関わる程度にまで技術が進んでいない。
これは、空を飛ぶ為に使える動力機械がない事が、開発の妨げとなっていると一部では言われている。新たな動力機械はすでに発明されているが、従来の石炭ではなく液体燃料を使う。
だが、液体で燃料となる地下天然資源は採掘、利用できるほどは見つかっておらず、燃料はアルコールを用いた実験以上の開発と量産が滞っていた。
つまり空はまだ竜だけのものだった。
『浮舟』が例外となるのかも、まだ未知数だった。
そうして2日ほど『浮舟』の操作訓練を行い、周辺状況の偵察を実施した蛭子衆第一大隊は、偵察情報によって選んだ地点に拠点の設営を実施する。
と言っても、陣地や要塞を建設するわけではない。
司令部舟と有蓋舟を横並びにして間の上部に天幕を張り大きな天蓋として、そこを指揮所とする。
また物資を載せた2台の輜重舟は、そこから少し離れた場所、さらには一番逃げやすい場所に配置された。
そして周辺に積んできた天幕を設営。そうして設営した拠点の周囲に、幻影術による視覚の欺瞞を行う。
地形で周辺が見えにくいので、常時近くの小高い場所に監視兵を配置するが、防衛設備などは一切ない。
そもそも陣地ではなく、長期滞在拠点。万が一見つかったら直ちに撤退する大前提だった。
問題はすぐ側に水源がない事だが、標準舟を使って近在の河川や湖から調達した。本来ならその水の浄水は多少面倒だが、そこは魔法の出番だった。
国としては魔法に頼らない浄水の装置や施設が建設されるようになっているが、まだまだ天然水の利用が中心だった。
しかしアキツの外では、天然水、生水は危険もあるので魔法が多用されていた。
魔法による水の浄水は、それこそ古代の昔から世界各地で行われてきた。竜歴2900年でも進歩を続けており、もはやアキツの一般民衆が日常的に使うほど簡易化、洗練化された術となっている。基礎的な浄水の魔術は、4級という比較的簡単な魔術にもある。
それをアキツでも最上級の魔力を持つ術者達が行うのだから、綺麗になりすぎて却って味気ないとすら文句が出るほどだった。
そして水の浄化と連動して、病気にならないため、健康を保つために清潔さを保つという考え方、概念が古くからある。
水の浄化の同系列の魔法に身を清める術、その術を封じた札があるので、清潔さを保つという点では風呂や水浴びの必要性はない。それどころか、着用している衣服にも術は影響するので洗濯すら必要がなくなる。
排泄物の処理にも魔法が利用され、処理を早める事で無害なものとし、敵に発見される要因となるも最低限としている。
さらに臭いは消臭の術で消してしまえるので、臭いで敵に察知される可能性も下がる。
ただし獣人や半獣は鼻が利く種族も少なくないので、臭い対策は古くからアキツの軍事作戦では徹底されており、敵に半獣がいても対策は十分だった。
「これでもう少しご飯の食材が美味しければなあ」
夕食で朧が周囲の者たちに嘆いたが、野営を始めた時点での問題点といえばその程度でしかなかった。




