004 「接触」
「それでどうするの?」
甲斐と鞍馬が、磐城、朧と別行動を取り、相手との距離を1000メートルほどに詰めたところで体内の魔力を抑え、常人にはできない動きから常人にできる動きへと改める。
つまり、ゆっくりとした普通の足取りに変わった。
そしてその直後、鞍馬が今までとは違った普段言葉の砕けた口調で問いかける。態度や雰囲気も柔らいでいた。
それを受ける甲斐の表情は少し困り顔だ。
「……一応今は任務中で、僕が隊長なんだが?」
「今は二人でしょ。それに今回は、軍服も着ない軍から太政官への頼まれごとじゃない」
「加えて言えば、僕らにとっては勘を取り戻す為の物見遊山みたいなものですね。でも、体裁ってありますよね? 僕が上官で君が部下」
「そうね。でも、先輩と後輩でしょ」
「それ、蛭子の学園と訓練所の頃の話でしょ。何年前だと思ってるんですか」
「何言ってるの。先輩は永遠に先輩よ。知らないの?」
「うん。軍務以外ではね。でも僕ら一応軍人で、軍隊って命令と階級が全てでしょ?」
彼らが本当に軍人なら甲斐の言う通りだ。だが鞍馬は、それにも軽めの笑みを浮かべつつ返す。
二人きりになるのを待ち、そして楽しむ表情だ。
「それじゃあ正式名で呼びましょうか、『凡夫』特務大佐殿」
『凡夫』。アキツでは平凡な男を意味する。そして彼の容姿は平凡な男と言える。アキツの勢力圏内なら、その平凡さは間諜向きかもしれない。ただアキツでは、二つ名どころか、あだ名だとしても悪口に近い言葉といえる。
それなのに甲斐は特に気にした風はない。
「それは蛭子衆内の話でしょ。それだと、僕の目の前にいる『天賦』特務大佐と僕は同じ階級になるんですけど?」
「そうね。だから最初に言ったじゃない、先輩と後輩って」
「……まあ、いいか。今回は簡単ですよ。これ以上進んだら、この先にアキツの国境警備隊がいるって伝えます。相手が、表向きだけでも騒動や戦いを望まないなら一旦は引き返すでしょ」
「手ぶらの猟師が伝えて説得力ある?」
「獲物が少ないとでも言いますよ」
「あんなに居るのに? ちょっと取って来て」
鞍馬はその言葉の最後に、外套の下からその細い手から少しはみ出るほどの長方形の紙の札を取り出すと、軽く振りかぶって無造作に投げる。
その瞬間、彼女の髪が一瞬だけ黒から銀色になり、虹彩が一瞬増した。彼女が魔力を解放した証拠だ。
紙の方には何か複雑な模様や文字が描かれており、手にした瞬間にその模様が淡く妖しい光を放つ。
その影響か、普通の紙なら力なくと地面に舞い落ちるところが、淡い光の帯をなびかせつつ弾丸のような猛烈な速さで突進。2枚だったらしく、途中で二手に分かれて目標とした物体に誘導されるように的確に切り裂く。
札もしくは呪符と言われる紙の道具こそが、アキツを中心とした地域で魔法に使われる一般的な道具、もしくは媒体だった。
その紙の札が切り裂いたのは、100メートルほど先にいたウサギ二羽。
一連の様子を見た甲斐は、すぐにも走り出して仕留めたウサギを拾い、その場で何か簡単な作業をしてから戻ってくる。
戻った時も地面に点々と赤いものが落ちるので、血抜きの為の処理をしたとわかった。
また右手にはうさぎ、左手には女性が投げた紙の札を持っている。
「最小限の魔力に最高の技量。流石は『天賦』。いつもながらお見事。それに今日の晩飯は決まりですね」
「ええ。ウサギ汁ね。私、甲斐の味付け大好き」
「そりゃどうも。でも、この先は術を使わないで下さい。それと、鞍馬の見た目は男の群れには目に毒だから、フードは深くかぶっていて。相手は僕がします」
「幻影の術で変装しなくても?」
「不正確なものでも、魔力や術を感知する道具や護符を持ってたら面倒だし」
「確かに、間諜なら持ってるでしょうね。他にも色々と」
「だから僕達が魔力持ちの亜人というのは隠さずいきます。さて、向こうもやっとこっちに気づいたみたいだ」
「魔力を気づいたとしたら、この距離でも気づかないって間諜以前に猟師としても失格よね」
「そう見せているだけかもしれませんよ」
二人とも相手に向けて手を挙げて大きめに振ると、相手もそれに応えた。
「タルタリア語が分かるか?」
「話すだけなら」
大きく腕を振るなど合図を送り友好的態度で互いに近寄ると、甲斐はあえてあまり話せない風を装った。だが本当は彼の語学力は十分なので、鞍馬は思わず甲斐の下手な言葉使いに笑いそうになる。
しかし鞍馬は甲斐の斜め後ろにいて、指示通りフードを深くかぶり体の線も服や外套で出来る限り分からない様にしたので、一見女性とは気付きにくい。そしてそう見せるのも、鞍馬は馴れていた。
「助かる。こっちはアキツ語もこの辺の言葉も不自由でな」
「僕も片言だ。それより、あんたらタルタリア人か?」
「そうだ、皇帝陛下の僕たる放浪者だ。そっちはアキツ人だな」
「分かるか?」
甲斐は少し探るように、そして少し警戒するように話しかけると、相手の代表が少し神妙に頷く。
『皇帝陛下の僕たる放浪者』とは、タルタリアの平原で半農半牧生活を送る人々の自称。元は逃亡農奴だったが、今では特権で辺境警備などを請け負う。そして皇帝への忠誠心の高さで知られていた。
そんな相手の服装は、西方風の馬上服に厚手の無袖外套、それに円筒形の熊毛帽。加えてそれぞれが小銃を肩にかけるなどしている。馬の方に刀剣をかけている者もいた。
ただし小銃や他の武器を手にしている者はいない。
不意の遭遇だが、あくまで猟師同士が友好的に接するという合図だ。
「魔力が分かる護符を持っていてな」
「それなら隠すまでもないな。僕は鬼。連れは天狗で魔術も使える。だから、妙な事だけは考えないでくれよ」
「分かっている。半獣に手を出して痛い目を見た奴らなら、ごまんと知ってる」
「それは助かる。それより、あんたら国境を越えている。あんたらの後ろの峠が国境だ」
「そうなのか? あっちじゃないのか?」
甲斐同様に相手の代表が腕ごと指差したのは、甲斐達がやってきた方向の山々。その谷間だ。
「似ているが違う。あの山を越えたらすぐに平原だ。それに向こうの峠道の辺りには、アキツの北氷州国境警備隊が巡回に来ている。これ以上は進むな。僕達の狩場で何か起きたら迷惑だ」
「そうなのか。悪かった。それに態々忠告に来てくれたんだな。感謝する」
「僕達の為だ。あんたらと警備隊が追いかけっこをしたら、獲物が逃げ散ってしまうからな」
「確かにその通りだ。だが手ぶらで戻ると、女どもに文句を言われる。それを譲ってくれないか。勿論代金は払う」
一瞬甲斐と鞍馬が顔を合わせるが、結論はすぐ出た。
「引き返すと誓うなら」
「商談成立だ。こっちの通貨で良いか?」
「素直に引き返すかしら?」
お互い回れ右をしてしばらく歩くと、鞍馬が振り返りつつ問いかける。甲斐の方は前を向いたままだ。
「面倒な猟師がこの辺りにいると分かったから、一旦引き返した振りをしてから少しずれた別の経路から進む、といったところでしょうね」
「私達を本当は国境警備隊かと考えないかしら? それならもっと警戒して慎重に動くかも」
「だとしても、向こうの行動は変わらないでしょう。あの人達が間諜なら任務があるだろうし」
「私達の存在が向こうで報告される可能性は?」
「こっち側だし、国境警備隊とは考えても間諜とは考えないでしょう。間諜が姿を見せて警告するなんて、聞いた事ありませんよ」
「それもそうね。それで?」
鞍馬が首を軽く傾げると、甲斐が肩をすくめる。
「ウサギを売ってしまったから、別の夕食の具材を探しましょう。今の胃袋はウサギ汁の気持ちだから」
甲斐が呑気に返すものだから、鞍馬の綺麗な形の眉がやや厳しめの仕草を見せる。
「やっぱりあの人達は見逃すの?」
「捕まえても殺しても、戻らなければ捜索隊が出てくるかもしれない。ここで目立つと、これからの僕らの行動に支障が出るかもって言いましたよね。
それに我が国とあの人達の命への義理は果たしました。あとはあの人達次第。僕らは僕らで、これからの任務に専念しましょう。夕食後、予定より少し北側を迂回して朝までに一気に国境を超えてしまいます」
「あっそ。けど、ウサギって案外見つからないものよ」
「……そうでもないみたいですよ。今度は僕が取ってきます」
「やっぱり、甲斐隊長のウサギ汁、美味しいですね」
「絶品ですな」
「僕、隊長が甲斐さんじゃなかったら、今回の話は断ってたなあ」
「そりゃどうも。でも、見ていた通り煮て手持ちの出汁と味噌を入れただけだ。具材もウサギ以外は乾燥ネギとその辺の野草だしな。本当なら、もっと色々入れたいんだが」
「ですが肉の処理、ダシ取り、アク取りと、調理自体が玄人の技でしたな。味付けも絶妙。いや、大変満足しました」
その日の夕方、内からは見えて外からは見えないという不自然に遮蔽された空間で、4人は甲斐が作ったウサギ汁に舌鼓を打っていた。
鞍馬が幻影の術の一種を札を用い、周囲から遮蔽したものだ。また、調理用の熱源も落ちた枝などではなく術を用いていた。だから湯気以外はたっていない。
そして4人の中で一番野営の食事を作るのが上手なのが甲斐なので、あまり美味しくない乾麺麭や缶詰などの携帯食を食べたくないのなら、甲斐が料理するのが彼にとっても一番だった。
「それは何より。じゃあ一服して痕跡を処理したら、一気に国境を超えるぞ」
「「了解しました」」