044 「『浮舟』の使い方」
「馬で移動して当面必要な物資を持ち歩く予定だったけど、『浮舟』様々だな。運べる物資が増えた上に嵩張る馬糧も必要なし。それに輜重の人員も丸ごと減らせたでしょ」
「そのせいで任務は増やされたわ。『浮舟』が想定通りに動けば、という不安要素ありで」
甲斐の言葉に鞍馬が懐疑的な声色を乗せて返す。その周りの座席でも、甲斐よりも鞍馬を支持する雰囲気がある。
新規なものに不安や懐疑心があるのは世の常だ。
だから大隊長の甲斐としては、部下の不安を多少なりとも緩和する為、肯定論を推さざるを得ないと感じた。
「船で色々試したし、基本動作も港でかなりは確かめられたでしょう。それに南鳳財閥での運用試験は通過済み。万が一の予備部品、修理道具一式もあり。第4中隊の多々羅も船と港で講習済み。正直なところ、凝った推進装置じゃなくて櫂で動かす点は安心材料ではありますけどね」
「白の君も、前線で故障した場合の対応要員を送り込めないから、今回のような単純な移動手段を用いたと言ってたわね」
「でも、僕らは魔力と腕力があるから、無茶しないかと気にしてましたね。普通の馬車が道の上を1日に進む距離は3、40キロメートル。『浮舟』は1日8時間稼働で、この2倍を想定している。人の足で小走りくらい。でも僕達だと、簡単に3倍以上の移動が可能だろうって。3倍はともかく、この移動力は軍隊の常識をひっくり返しそうだ」
「民間に技術が広まっても同じでしょう。川船が陸を進むようなものだもの」
「余程数を揃えられるようにならないと難しそうだし、今は値段がとんでもないって言ってましね。それに微量でも人が魔力を注ぎ込む必要があって、現状では勾玉が使えないから只人の国では扱えないとも」
「今後は分からないでしょうね」
「今後の話は今はいいですよ。それより、どんなのだったっけ? 鞍馬、資料持ってましたよね」
「ちょっと待って。……概要だけならここに」
『浮舟 試作型』
全長:14メートル
全幅:2・3メートル
全高:無蓋型:1・2メートル
有蓋型:2・2メートル
船頭:4名
積載量:10トン(または兵士40名)
蛭子衆第一大隊所属舟
司令部舟:1 (有蓋型・装甲化)
標準舟 :5 (無蓋型・人員輸送、貨物積載)
輜重舟 :3 (無蓋型・貨物専門)
補助舟 :1 (有蓋型・医療、浄水、炊事用)
手元の四角い革鞄から出した紙面には、おおよそ以上のような資料が記されていた。
「貨車に積める大きさなのは分かりますが、どうしてこの大きさなんでしょうね。もう少し小さい方が便利そうなのに」
「白の君は、装置を最大限に活かす大きさや積載量からこの大きさにしたって言ってたわ。ただ、空気抵抗を減らす形にしたら船に近い形になって、当初予定より積載量が減ったとも」
「当たり前なんでしょうけど、ちゃんと理由があるんですね。とは言え現場としては、装置を最大限活かすよりも、もう少し小さくした方が使い勝手がよさそうに思えますね。出来れば、
この半分くらいに」
「試作だから、使ってみた上でそうした意見も報告書に書けば良いんじゃない?」
「確かにそうしましょう」
言いつつ甲斐は、紙面を目で追っていた。
要目の他には、多くは操作方法が占めている。
それによれば、浮遊する術式を組み込んだ装置に乗員が微量の魔力を注ぎ続ける事で、地上から10センチメートル程度浮遊する。
それ以上浮かすと不安定になりやすく、魔力を注ぎ過ぎると安全装置が働く。だが、緊急時には短時間だけ1メートル程度まで浮き上がることが可能。逆にそれ以上は、どれほど魔力を注ぎ込んでも無理。
また、高い位置から落下した場合は、10メートル以内なら緊急で魔力を注ぎ込めば軟着陸のように降りる事が可能。これは、舟から降ろす時にも行われた。
ただしそれ以上の高さからだと、浮くよりも落下する力が大きくなり、地面に衝突する。それでも舟自体の骨組みは鋼鉄製なので簡単には壊れない。
もっとも、乗っている人と荷物はその限りではない。
何より、舟を浮かせる術を組み込んだ肝心の呪具が破損や故障する恐れもある。
なお、浮く原理については機密事項。何も記されていない。
白の君が話した限りでは、古文書には竜が飛ぶ原理に近いと記されている程度。作り方と使い方が判明して開発されたばかりで、発展もしくは解析する途上という事。
なんにせよ、少しだけ浮く以外が出来ない代物で、前に進まない。だから何らかの推進手段が必要となる。
もっとも、人が後ろから押すだけでも十分に前に進む。甲斐達は、緊急時には地形によっては手押しも考えていたし、訓練で試すことにしていた。
だが今回は、舟を漕ぐように何名かで櫂で地面を押して進む。方向転換や疲れを考慮すると4名が理想で、さらに魔力の供給を無理なく行うには一般的なアキツ人だと4人程度が適当とされていた。
一方で、魔力が多く腕力もある蛭子は、白の君が一人でも魔力も腕力も多すぎるから注意しろと言い残していた。
その紙面を見つつ、甲斐と鞍馬はその後も実用面について話し合ったが、それを周りの幹部達も聞いていたので、実質的に打ち合わせのようになった。
しかし何時間も話す事でもなく、さらに実物を動かし、運用してみないと何とも言えない事も多く、そのうち仮眠をとったり、他愛のない雑談に興じるようになる。
『浮舟』以外については、今まで散々に話し研究してきたし、現地の状況を確認しないと話すに話せないので、殆ど話題に上る事もなかった。
そうして甲斐達蛭子衆第一大隊を乗せた汽車は、二つの鉄道路線が丁字の形で合流する春浜の街に差し掛かる。
一応交差した路線ではあるのだが、春浜の北側はまだ未開発で路線も将来性を見越して敷設はされていたが、人口が少なく、未開発なので人の流れは丁字の形になっていた。
そして丁字であるように、春浜は平原地帯の北部の中心都市で、二つの鉄道の合流点だった。そして鉄道の引き込み線の先に、軍の巨大な兵営と物資の集積地があった。
また、街には外洋へと繋がる北を流れる黒竜川の支流が入り込み、大陸の大きな河川らしくある程度の船ならアキツ本土の北に広がる北氷海から遡ってくる事もできる。
ただし川は冬の間は凍って使えず、北の大地では3月下旬になっても溶けた氷が川を流れている為、河川の利用はまだ行われていない。河川が使えるのはこの地域での春の5月になってからで、春浜という名の由来がここにあった。
だが、海から遡行が出来るので、海軍の部隊までが進出していた。
一方鉄道の方は、現在進行形で鉄道の一時引き込み線や軍の拠点の建設、拡大が続いている。
さらには大竜市からの路線強化の工事までが、精力的に進められていた。
隣接する兵営と集結地も増設、拡大が続いている。
甲斐達にとっては、距離的に見ても大竜から目的地の境界線のほぼ中間点で、ここで一夜を明かしてから汽車で進める終着点まで向かう。
深夜も鉄道で移動すれば時間をさらに短縮出来るが、夜は主に安全の為に列車の運行本数は非常に少ない。また現時点では、人よりも物、貨物列車が優先されているので足止めとなった。
「えーっ! 宿無しなの?!」
「どこも満員御礼だそうだ」
「出発前に聞いた話と違う理由の説明を求めます!」
大隊本部付きなせいか、近くにいた朧が食い下がってくる。甲斐の周りにいた何名かの幹部将校や他の兵士も、同じような雰囲気を放っていた。
そして隠すような話でもないので、本部付きの曹長を呼ぶ。
「曹長、幹部全員を集めてくれ」
「了解しました」
甲斐の大隊は将校と下士官ばかりだから、曹長のような立場は普通の部隊と違って下士官より下っ端の兵士の諸々の面倒を見るのではなく、従兵のような立ち位置になってしまいがちだ。
そもそもが、将校ばかりの3つの中隊に対して、第4中隊自体が従兵の集団とすら言える。
昔で言えば、武士(騎士)と郎党(従者)のような立ち位置だ。
ただしこの編成は蛭子衆の特務旅団だけでなく、現在編成や練成が進められている、魔人達、魔力の高い者達による強力な部隊の編成でも取り入れられつつあった。
派遣される前に行った訓練も、半ば新設部隊の実験台にされた事を甲斐は後から知らされていた。
そんな部隊編成の中隊長、副長達はすぐにも揃う。
「春浜の宿で一泊の予定だったが、僕達が使う予定の施設は既に満員御礼だ。極秘に前のめりで動いている軍全体の移動計画の影響で、町中の宿屋と軍が用意した兵営、各施設が埋まっている。それでも足りないから、兵の多くは天幕だそうだ。何しろ現在春浜には、諸々合わせて許容量を超える1万名以上の将兵がいるとの事だ」
そこで一旦言葉を切り、全員に軽く視線を送る。
甲斐は、全員に落胆に近い表情や雰囲気が出るのを見て、(逆に言った方が良かったかな)と思いつつも言葉を続ける。
「我が大隊は、黒竜鉄道が駅の近く空き地に天幕を用意しているので、そこで一夜を過ごす。また、移動を取り仕切っている黒竜鉄道からだが、飯は良いものを用意してくれる。移動を手配した南鳳財閥が一言言ってくれたそうだ。一九〇〇までに、所定の場所に集合の事。以上。曹長、あとは任せる」
その言葉で解散となり、情報を知らされている曹長が寝床と食事の場所や詳細を伝え、それぞれの部下達の元へと去っていく。
大隊本部も少数ながら似たようなもので、副長の鞍馬がその役割を果たしていた。
そしてそれも終えると甲斐の元へと戻ってくる。
「朧が「お風呂はーっ?」ってぼやいていたわ。私も同感」
「船で海水のお風呂に入ったでしょう。でも、朧は猫系なのに風呂好きなのは意外だな」
「海水の湯は面白かったわね。本人曰く、猫と虎は違うそうよ。で?」
「今のこの辺り、男が大半を占めてるんですよ。普通の兵隊が、うちの大隊みたいにお行儀が良いと思いますか? 覗きで済めば運が良いくらいでしょう。宿からいきなり天幕なのも、そうした対策なの分かっているでしょ」
「うち以外でも、我が軍は術者、術医などに女性兵も多いでしょう。それにここなら花街だって」
「女性兵への対策は、上の人達か僕達以外の部隊の指揮官達が頭を悩ませているでしょうね。僕としては、僕達は清めの札や術で清潔なので我慢して欲しいです。それに現地に行って拠点を構えたら、野営の風呂は設営しますから」
「風呂の準備はしてあるものね。でも、言質はとったから。女性代表として、必ず作ってもらうわよ」
「大隊長自ら設営に奮闘しますよ。風呂なら僕も入りたいし。とはいえ、男女別に作ると手間なんですけどね」
「女性は蛭子の14名だけと言っても全員将校よ。そこは断固として男女別を要求します。将校の威厳や体面というものがあるでしょう」
「……最善は尽くします」
「善処とか言わないだけ評価してあげるわ。それより、私達もそろそろ移動しましょうか」
「そうですね。上が動かないと下も動くに動けないか」
そんな雑談をしつつ、二人もアキツの軍人で溢れかえる春浜駅周辺の雑踏の中へと消えていった。




