041 「乗船」
・竜歴二九〇四年三月二十二日
今年、平常時の最後の祝日になるであろう、太陽の出る時間が1日の半分になる春季祭の二日後、甲斐ら蛭子衆第一大隊は、特別編成の夜行列車で丸一日かけ、竜都からとある港町まで来ていた。
しかしそこは普通の港町ではない。アキツ海軍最大の拠点となっている港。つまり軍港だった。
九嶺と呼ばれる街とその周辺に海軍の様々な施設がある。九嶺港は巨大な海軍工廠が殆どを占め、海軍としての拠点は沖の鳥居島にあった。
そして各所に多数の軍艦が停泊している。
「ううっ。お尻痛い」
「二等寝台車だっただけマシでしょ」
子供っぽい白い髪の半獣を黒髪の天狗の女性がたしなめる。共に黒地の裾に銀糸をあしらった派手めの軍服を着用しており、二人の周囲にも同じ軍服姿の将校、下士官が多数いた。他の軍の部隊と違って、下士官未満の兵士の姿はない。
「でもさ、ここから1日船で、そのあとはまた汽車で2日でしょ。走る方がマシだよ。僕ら速いし」
「猫の半獣が海も泳ぐの? 船ではゆっくり寝られるわよ。なんでも、特別な船を用意してくれるそうよ」
「フーン。良い船ってのは初耳だね」
「途中停車の商都で、乗船する船の変更を伝える電報を受けたのよ。それより、そろそろ号令がかかるわ」
黒髪の天狗、鞍馬が言ったすぐにも大隊本部小隊付きの熟練曹長が「大隊整列!」と号令を発し、二人の前に集団ごとに整列していく。
白い髪の半獣、朧は第一大隊の大隊本部付き将校で、先任狙撃手兼偵察員として配属されていた。
しかし実際は、二つ名持ち佐官なのに年齢の低さと将校教育の不十分さもあって将校として問題があるので、半ば鞍馬が預かっている。
魔力の高さや戦闘力が優先される蛭子の将校には、時折こうした弊害があった。そして弊害がある者が少なくないので、蛭子の軍人のなり手が少ないという事情もあった。
そんな二人の横では、大隊長の甲斐が彼の部下達と向き合っている。
前線に出る第一大隊の兵員数の定員は92名。大隊本部は、蛭子4名に戦うよりも大隊を運用面を支える下士官達数名で構成されていた。
他に後方勤務のみの年嵩の10名ほどが、彼らの兵営の維持管理の名目で留守を守っている。だから後方支援要員と言っても、戦闘も行う兵士だ。
なお、通常の歩兵大隊は1000名程度の兵員で編成され、少佐程度の階級の将校が指揮をとる。
しかし蛭子衆の特務旅団に属する大隊の人員数は、その1割に満たない。それでも大隊なのは、非常に高い魔力と戦闘力を有する蛭子が多数所属しているからだ。
蛭子一人で一騎当百と言う言葉を真に受ければ、総数42名なので4200名、歩兵1個連隊を上回る戦闘力という事になる。しかも、より高い能力を有する二つ名持ちの将校は、それぞれが一騎当千とすら言われていた。
ただこの算定は相手が只人の場合で、亜人相手だと半減以下の戦力価値と算定される。
そして勿論だが、宣伝文句に過ぎない。
そうした風評や宣伝文句はともかく、大隊の構成人員数は少ない。しかも前線に出るのは支援要員を含めて92名。通常の歩兵中隊の半数程度しかいない。
ただし任務の特性上から部隊の自己完結性が高く、様々な任務に対応する為、兵士一人当たりで考えれば持ち運ぶ物は多い。
この為、本来なら野外での長期任務の場合は、移動手段と荷物運びの為にかなりの数の馬と馬車を使う。そしてさらに馬を扱う兵士が追加される。
だが今回は違っていた。
そしてさらに、彼らが乗り込む船も違った形状をしていた。
「何とも奇妙な船ですな、大隊長。船から跳ね橋のように桟橋が降りて、そこが搬入口になってるとは」
緑の大鬼の磐城が、甲斐に近づきつつそんな事をのんびりと語りかける。彼は甲斐の直属ではなく、第一中隊の中隊長をしている。
「全くだな。だが見てみろ、普通の起重機も付いている。僕らが使う大きな道具は、船倉じゃなくて上の甲板に積んだみたいだ」
「ここからではよく見えませんな。それより、自力で船に乗り込んでいく馬車は使わないので? 蛭子はともかく、他の兵がずっと徒歩ではしんどいでしょう」
「馬より便利な道具を使うそうだ。今回は、僕達用の輜重を用意しなかっただろ。まあ、船で説明がある。期待しておこう」
「馬よりねえ。普通の道を走る方の蒸気車とか言わんで下さいよ。あれは脚が遅すぎます」
「少し聞いた話では、古代の技術を用いた最新兵器だそうだ」
「古代なのに最新とは此れ如何に? 古株の大天狗が何か思い出したんですかねえ」
「さあな。だが、提供者がお出ましのようだぞ」
「ほお。ではこちらも、受領の準備でもしておきますか。失礼します」
二人が視線を向けた先では、何台もの馬車が船が停泊している岸壁に続々と入ってくるところだった。
その中心に非常に高級な馬車があり、乗っているのが相当の貴人である事を伝えていた。
しかも前後を一目で熟練者と分かる騎馬の従者達が固め、前後の馬車からはアルビオン様式の黒と白の衣装を着た使用人達が出てきて豪華な馬車の貴人の出迎える。
まるで西方の王侯貴族のようだ。
そんな様子を、整列、点呼、そして解散まで行った後の甲斐達が遠目で伺う。乗船までまだ時間があるので、ちょっとした休憩時間の暇つぶしとしては悪くない見世物だった。
「いい動きですね」
磐城が自らの中隊の指揮に向かったあと、甲斐の側に近づいた鞍馬が任務中の調子のまま話しかける。
ただ階級が同じなのと見栄えの違いで、大隊長の徽章が無ければ鞍馬の方が偉く見えてしまう。だからこういう場合、鞍馬は甲斐の心持ち半歩後ろに並ぶ。
「護衛や使用人は軍人上がりか、財閥内で徹底的に鍛えられた連中だそうだ」
「よくご存知ですね」
「出立前、周防参謀総長にご挨拶に出向いた時、新兵器の出どころの雑談でそんな事を聞かせてくれた」
「雑談ですか。随分買ってくれているですね」
「蛭子を軍の指揮下に置きたいんだろう。前から知り合いのうちの総隊長や、さらに上の長老連中はそう見ている。近代化した軍から見れば、古いしきたりのままの太政官直属というのも、偵察、警護、暗殺だけというのも勿体無いと。僕も同意見だ」
「今回突然の新兵器配備も、軍による蛭子衆引き抜きの一手というわけですね」
「うん。だから、予定を大幅に繰り上げて新兵器を用意した上に、大陸行きは最新の船まで用立ててくれたわけだ」
「ですが南鳳財閥の支配一族は貴族。政府寄りなのでは?」
「さあ、どうなんだろうな。聞いてみたらどうだ」
甲斐が言いつつ視線を促すと、その先で賑やかな集団が甲斐達に近づいてくる。
そして賑やかさの中心となっている女性が、躍動感と優美さを合わせもった動きで近づき目の前まで来ると二人の前で優雅に一礼を決める。実に堂に入っていた。
「初めまして蛭子衆第一大隊の皆様。わたくし、南鳳財閥総支配人をしております鳳凰院玲華と申します。以後、お見知り置きを」
「大隊長の『凡夫』特務大佐です。この度はお世話になります」
「大隊副長の『天賦』特務大佐です。知己を得られ光栄に存じます」
後ろに複数の付き人を伴った、前髪を綺麗に揃えた黒髪の天狗の女性を前にして、甲斐は一瞬で観察を行なう。
(南鳳財閥総支配人、鳳凰院玲華。流石は超一流の貴人。優雅さがある上に隙がない。天狗だけに年齢不詳の若さ。魔力は大きいという噂だが、もしそうなら随分と隠しているな)
隣の鞍馬は、さらにもう少し違う感想を抱いた。
そして抱いた感想が意外だったので、一瞬だけ表情に出てしまう。そしてそれを目の前の天狗の女性、鳳凰院玲華に見抜かれた。
その目は天狗らしくツリ目気味で、中の瞳がとても強い力を放っている。好奇心の輝きだ。
「皆さんもそうですが、そちらの『天賦』特務大佐と私は同類なのかしら? いえ、彼女がそうじゃないかって言うものだから、気になったの。違いますかしら?」
鳳凰院玲華が手で指した彼女とは、遠目では銀髪かと思ったが非常に珍しい白髪の天狗。小柄でおかっぱ頭だが、耳が上に長く伸びている。そして何より、肌も他の体毛も真っ白なので白子だ。
一見した程度では魔力量は判らないが、大天狗だとしたら確率論を通り越えた珍しさになるだろう。この世で唯一の白子の大天狗かもしれない。
(この人は遠くからでも抑えた魔力が見えるか、見抜ける術が使えるかのどちらか。多分、後者でしょうね。蛭子と分かっているんだから、ここは素直にいくか)
「左様です。私は大天狗の生まれです。この黒髪は地色で、蛭子の証の痣が髪の色に残りました。失礼ですが、同類とおっしゃられる鳳凰院様も……」
鞍馬の言葉を途中で遮り、鳳凰院玲華は少し面白ろそうに笑みを向けてくる。
「『天賦』特務大佐は少し銀色だけど、私は真っ黒ですものね。でも、魔力を解放すると誰よりも銀虹に輝きますのよ。そのような生まれですので、我が鳳凰院公爵家は蛭子の方々には昔から少しばかり助力をさせて頂いております」
そんな言葉が出たら、鞍馬ではなく隊長の甲斐が相手をしなければならないと二人の間で暗黙の了解がすぐに成立する。だから甲斐が、気持ち少し前に出る。
「それは感謝の念に堪えません。それにしても、蛭子衆以外で蛭子にお目にかかるのは初めてです」
「あら、素直なお言葉。昔から貴族は自分達で蛭子の病を癒すという話はご存知でしょう。それに私、誰よりも長生きしている仙人や妖怪変化のようなものですの。南鳳財閥総支配人は何時から生きているのか分からない、という噂があるのをご存知でしょうか」
「単なる噂話だとばかり思っていました。ですが、正直なところ興味はございます」
「あら、また素直なお言葉。嫌いじゃないですわよ。それに同じ蛭子同士、今後も懇意にしてくださいな。あなたの上役の方々とは、もう随分長いお付き合いなのですけれどね」
「そうでしたか。だから今回、あの新兵器を優先的に用意して下さったのですか?」
「それもありますが、他からも色々と。それに魔力の多いあなた方に試して欲しいというのが、現実面での理由ね。全軍に先駆けてだし民間にも殆どないから、言葉は悪くなりますが半ば実験台になって頂きたいのです。ですが、それだけに良い物は用意させました。存分にお使いください。
ただ、絶対に敵や他者に渡さない事。持ち帰るのが不可能な場合は、中枢部は粉微塵に破壊し、さらに燃やして灰にして下さい。そのあたりの話も、船で詳しくご説明する事になるでしょう」
「誓って。ところで、総支配人も船に?」
「そうしたいところですが、みんなが許してくれなくて、ここでお見送りです。ですが、この船の実物を見られて良かったです」
そう言って、体ごと視線を岸壁に停泊する少し奇妙な形の船に向ける。自然、甲斐と鞍馬も船へと向いた。
「最新というだけあって、変わった船ですね。それに凄い思い付きです。船の横に跳ね橋と桟橋が付いている。馬車を載せるのに実に便利です」
「良いでしょう。まだ少し早いですけど、制約が多くて技術の前倒しもこれが限界。けど、便利ですわよ。船の中が車庫になっている、カーフェリーと言いますの」
「かーふぇりー?」
「アッ。まあ、気にしないで。これも昔々の技術の断片よ。ただ、本当は『浮舟』を自力で乗り込ませる予定だったのに、設計か何かの手違いでどっちも大きさを間違ったのよね」
最後に両手を腰に当て、かなり深めにため息をつく。
その仕草は、慣れた仕草なのに今までと違って優雅さに欠けているが、逆に親しみを感じさせた。
「なるほど。『浮舟』と同じようなものでしょうか」
「ううん。大元は『浮舟』より前のもの。3000年では済まないわね」
「え? あの、鳳凰院様、あなたは一体いつから……」
「アラ、女性に歳を聞くものではなくてよ、『凡夫』特務大佐さん」
「これは大変失礼致しました」
鳳凰院玲華が急に妙に軽い口調で語り出したせいか、つい軽い気持ちで聞くべきでない事を聞いてしまったので思わずしゃちほこばった敬礼で返す。
そんな甲斐を鞍馬は一瞬だけ半目で見るが、すぐに目の前の同族に視線を向けなおした。
(もしかしたら3000歳以上って事? だから同じ蛭子でも、痣の代わりの髪の色の付き方が違うのかしら。痣については、蛭子同士でも聞くものじゃないけど……)
そう思った事が見透かされたのか、鳳凰院玲華が鞍馬の顔を腰を曲げて下から覗き込む。
「昔々は、蛭子の治癒の技は未熟でしたの。私なんて髪の生え際に痣までありましたのよ。あなたの髪は、魔法技術の進歩と発展の賜物。少し羨ましいですわ」




