038 「アキツ海軍(3)」
タルタリア帝国は、建国以来と言って良いほど、この三百年かけた東方への進出、要するに侵略と植民地化を推し進めていた。
西方諸国との貿易品として北の大地で得られる毛皮を求めたのが発端だが、進出という名の侵略をしたのは歴史と彼らの広大な版図が何より証明している。
一応は領土の拡大と言われるが、それは単に地続きだったからに過ぎない。国境という概念を持たず、国を持つほどの規模がない少数民族しか住まない人口希薄な地域を侵略し、併呑してきた歴史だった。
だが、早くも今から250年ほど前に、大陸の北東部でアキツの入植隊や商人、狩人と出会い、東への前進を阻まれてしまう。
そして以後、アキツとタルタリアの長い対立が始まる。
それでも互いの距離が開き過ぎているので、最近までは何か問題が起きても小競り合いが精々だった。加えて、互いに対立より他に邪魔されない貿易を求めたので、戦争に至る事も無かった。
さらに言えば、西への進出に消極的なアキツが、個人の戦闘力の高さから小規模な争いで負ける事がないからでもあった。
しかし、西方列強が世界中を植民地で分割競争するようになると、タルタリアは東方侵略を激化させる。
タルタリアの場合は東方だけでなくほぼ全方位に対してだったが、東方への進出でアキツとの対立が深まったのも間違いなかった。
そして当然とばかりに、アルビオンが行なった大東国への侵略にも加担した。
セリカへの進出についてはアキツも間接的に行い、セリカに恩を売る形でセリカが属国としていた黒竜国の宗主国の立場を得て、黒竜地域の全域を事実上手に入れた。
そしてその事で、タルタリアはアキツを脅威と感じると同時に、強い嫉妬と恨みも持った。本来なら、自分達が手にいれるべき場所だと一方的に考えていたからだ。
そしてタルタリアの国是に南の海への進出が掲げられている事が、恨みをより強くさせる。
タルタリアは内陸の北の国で、冬になると海が凍るので一年中使える港がない。西方をはじめ他の地域に対しても、とにかく海を目指した侵略と領土拡張を行ってきた。
現在の首都である帝都が海に面しているのも、ある意味国是と言える方針に沿ったものだった。
故にタルタリアにとっては、東の果てに到達して大東洋へと出る事に対しても、半ば自らの使命のようにすら感じていた。
しかし現実はアキツが南も東も大きく塞いだ形なので、大東洋に出る事が出来なかった。
そこでセリカの弱体化に乗じてセリカ中枢への進出を強めたが、セリカがまだ完全に崩壊したわけではないし、何よりアルビオンを始めとした西方列強が先に進出して優位に立っていた。
また、セリカとは国境を多く接しているが、接しているのは国内の辺境部ばかり。当然、セリカと隣接する自国領内の鉄道すら不十分なので、セリカに鉄道を伸ばす事は当面は難しかった。
しかもアキツが陰に陽に邪魔をしたので尚更だった。
この為、強引過ぎるセリカへの進出は出来ず、半ば他の列強と横並びで『租界』と呼ばれる行政自治権と治外法権を持つ半植民地の港湾都市の江都に進出した。
そしてそこに、無理をしてでも軍艦を常駐させる。
本来タルタリアのセリカ利権は小さく軍艦を置くほどではないのだが、強引に巡洋艦を1隻常駐させた。
だがそこは、アキツ本国と目と鼻の距離だった。
その後もセリカへの進出を強め、別の場所でも列強と横並びで別の『租界』の権利を得ると、そこにも巡洋艦を常駐させた。ここの場合は1隻ではなく、複数を常駐させた。
それでも列強間の取り決めで、主力艦である戦艦、装甲巡洋艦はなかった。
大東洋を行動圏内に置いている場所で、アキツ以外に戦艦を置いているのは大陸の東南地域にも植民地を持つアルビオンくらいだった。
そうしてタルタリアとアキツの対立が深まると、セリカに駐留するタルタリアの巡洋艦はアキツにとって脅威とは言わないまでも無視できない存在だった。
アキツ側に神経を尖らせさせ余計な手間を取らせるなど、嫌がらせという点で見れば価値はあった。
だが、脅威ではない。列強と共同で港に停泊しているだけで、自国の拠点に駐留しているわけではない。
拠点、出来るなら整備施設がなければ、軍艦は徐々に能力を低下させる。
船渠に入って船底にこびりついた牡蠣を削り落とすくらいは租界にある民間の施設でも可能だが、それすら利用するには他国の監視の中でという事になる。
自前で軍用ドックなど軍艦の整備施設があるのは、大東洋ではアキツしかない。
アルビオンですら、東南地域の魔来半島の先にある海獅子の港に限定的な拠点を設けただけで、大東洋や極東地域では自らの息がかかった民間施設を使っている。
加えて、タルタリアの巡洋艦が軍事的な行動を取るにしても、日常的な整備など支援する設備は皆無だった。
大東洋側に巡洋艦が数隻あったところで、軍事的には何も出来ないに等しい。
いざ有事になれば、アキツ海軍は数倍の戦力で囲んで武装解除して終わり。それが普通だった。
自殺願望がないのなら、戦闘にすらならない。
この為、タルタリアとの対立において、アキツ海軍は無視はできないが直接的にあまりすることがなかった。セリカに停泊している巡洋艦の監視で大半が事足りた。
そしてアキツがタルタリアとの戦争になった場合に行う事は、タルタリアの軍艦を武装解除するのが一番の任務になるだろうと考えられていた。
この為アキツ海軍は、タルタリアと別の場所で対峙できる体制を敷いた。
もっともそれは海の上ではない。水の上のものは自分たちの管轄にあると強引に話を展開し、河川に展開する船も自分達の管轄下に置いてしまったのだ。
これを『河川艦隊』と呼称した。
特に、北を流れるこの地域の名称にもなっている黒竜川は、アキツ本土の北にある北氷海に流れ込む大河で、かなり上流まで1000トン程度の船が航行できた。しかも上流はタルタリア領域で、戦争になれば多少は出番も出来るだろうという目論見もあった。
事実、10年以上前から境界線の辺りでは、国境侵犯や小規模な紛争が起きている。そうした状況もあり、海軍の河川艦隊はここ数年で大幅に増強されていた。
一方では、海兵隊の整備にも余念がなかった。
海兵隊は海軍の陸上戦闘部隊で、帆船の時代は船同士が接舷して直接戦う事も多い。
そして亜人ばかりなので、アキツの海兵隊は非常に強力だと西方からも恐れられた。
また時代を通じて、自国勢力圏の海外の小さな領土、拠点を守備するのが陸軍ではなく海軍の、海兵隊の役目だった。
諸外国がセリカの港に船を駐留させるのに並行して、海兵隊もしくは海軍の陸戦隊を警備部隊として駐留させている。
アキツでも天下泰平の時代も変わらず、アキツが進出した先の警備、防衛、そして沿岸部での戦闘は、海兵隊が請け負ってきた。
変革以後のアキツ軍も同様で、海軍所属ながらアキツの平時での海外での軍事活動の多くを海兵隊が担った。
ただし組織自体は小規模で、陸軍とは比べ物にならない。それどころか、陸軍では一般的な戦略的戦闘単位となる『師団』と呼ばれる大規模な部隊編成も持っていない。
また、火砲などの重装備も艦艇に搭載するもののお下がりで、騎兵もない。内陸深くで戦わないので、地上での補給体制も貧弱だ。
展開範囲が広く駐留すべき場所が多いので、上に立つ司令部組織こそ充実しているが、全体の規模は小さい。部隊の単位も大隊編成が基本で、それ以上の規模で編成される事は珍しい。
それでもアキツは海洋大国なので、小国の陸軍ほどの規模がある。アキツの海外領、支配領域で見かける兵士の多くが海兵隊だった。
そして海軍は、その海兵隊のうち常時海外領土などに配備していない、予備部隊や即応部隊と呼ぶべき本国に止め置いている部隊について、組織の改変を急ぎ実施していた。
部隊規模は、『師団』の次に大きな規模の『旅団』。
兵員数は陸軍より少ない5000名程度だが、砲兵、回転砲隊など艦艇由来の重装備を多く持っている。また海軍なので、陸路遠隔地への移動は難しいが、反面船による機動性は非常に高い。
その部隊を、近いうちに起きるであろうタルタリアとの戦争に備えて準備しつつあった。
もっとも大きな戦争が起きれば、本来なら5000名程度の兵力で大きな事が出来るほどではない。
しかしそこは、『魔物の国』だった。
大きな魔力を有する種族、魔力の高い者は、一人で兵士何人分もの働きをする。中には兵百人に匹敵する者さえいる。相手が只人なら、さらに大きな戦闘力を発揮すると見込まれていた。
そして海兵隊には、海軍に入隊した者の中でも白兵戦、陸戦に向いた者が配属される。この為海兵隊員は、陸軍の一般的な兵士より優秀だった。
付け加えれば、陸軍は選抜的な徴兵が行われるが、海軍は伝統的に天下泰平の水軍の時代から志願制。
そして主に志願するのは鬼だった。半獣の志願者は種族が偏っており、ネコ科の志願者が極端に少ないのが海軍の特徴だった。
この為海軍では、見張り能力、つまり視力に優れた者が多いネコ科の半獣の獲得に非常に熱心だった。この傾向は、魔人の獣人も同様で、海軍の獣系種族は海軍の求めに反して『犬の海軍』と呼ばれるほど偏っている。
もっとも、天狗、多々羅も海軍への志願者は少なく、さらに軍艦乗りとなるとさらに少ない。
天狗は海を嫌い、多々羅はその体型から泳ぐのがあまり得意でないからだ。
さらに将校に大鬼が多いこともあって、なおのこと『鬼の海軍』と呼ばれ、認識されている事の方が多かった。
その『鬼の海軍』もしくは『犬の海軍』は、軍艦という自己完結し遠隔地でも独自で活動可能な兵器を扱うからか、タルタリアとアキツの事実上の戦争準備に際して、準備の進んだ戦闘集団の一つだった。