036 「アキツ海軍(1)」
・竜歴二九〇四年二月某日
アキツ軍、正式名称秋津竜皇国陸軍は活況を呈していた。というより、多忙を極めていた。
まだ殆ど平常時の人員で、実質的な戦争準備を行なっているので、全く人手が足りなかった。そしてこういう場合、魔力も魔法もたいして役に立たない。
魔力の恩恵で体は丈夫と言っても、人である以上休まないといけないし、何より眠らなければならない。
自慢の魔法も、人を癒す魔術や魔法の薬で疲労を軽減する程度。直接戦闘に関わる魔法は、何の役にも立たない。
只人に対して魔力を持つ種族の優位は大したことはなく、数に勝る只人が時代が進むと共に優位になっていった大きな要因ともされている。
仕方ないので、海軍に頭を下げて本来なら陸軍がするべき事の一部を割り振っていた。
もっとも、海軍の主な役目とも重なっているので、あまり出番のない海軍も表向きは渋々、内面は陸軍に貸しを作ったと満足して任務に当たった。
その任務とは人と物の移動。主に海上での輸送任務と護衛だ。
そして何をしているかと言えば、アキツ本国から大陸の自国領の最も遠い場所に向けて軍隊と軍隊を支える一切合切の移動だった。
さらに言えば、これから始まる戦争の準備のさらにその前段階と言える大量移動になる。
しかも面倒な事に、可能な限り他国に気取られる事なくする必要がある。まだまだ情報伝達が未熟な時代だが、注意するに越した事はなかった。
この為アキツは、政府、軍を挙げて幾つかの大きな欺瞞計画を表向き動かしていた。
一つは、黒竜地域南部平原での陸軍の大演習。主にこれは、兵士と物資の動きよりも、諸外国の目を演習に向けさせる事を目的としている。同時に、アキツがこれから起きる事態に備えていると見せる牽制も目的としていた。
また一つは開発。政府は黒竜地域での大規模な経済政策と開発計画を何年も前から大規模に行ってきており、多くの資材、人材を投じていた。
もっともこの動き自体は、約40年前に係争地域を実質的に手に入れてから始まったのを加速しただけ。中央に肥沃な平原が広がる黒竜地域では、二世代近い時間を経て多くのアキツ入植者が暮らすようになっている。
だから、この地域で大規模な開発計画を行う事そのものは、アキツにとって自然と言えた。
もっとも、黒竜地域での開発の進展、現地人口の増加、そして西と北への進出は、タルタリア帝国の警戒感を年々高めさせる大きな要因になっていた。
また一つは貿易。アキツは亜人と魔人の国で、他国に比べるとずば抜けて多い勾玉を生産し、そして輸出する国だ。一方で只人の国は、魔力を持つ種族がいないか僅少なので魔石を買うしかない。
他にも、只人でも傷や病の治療に使える魔法が関わった水薬も輸出している。魔石があれば多少は使える札や呪具についても同様だ。
アキツはそうした品々の取引で、味方とまでは言わないまでも何かが起きた時に敵側に付かないように誘導した。
関連して、貿易の最恵国待遇。そこまでいかなくとも有利な取引。こういったものは、種族が違えど有効だった。
何があろうと金は金。品は品。只人だろうと亜人だろうと商業は対等かつ公平が基本。文明の発展に伴って加速したものなので、この点はアキツも西方地域の商習慣は有り難く感じていた。
もう一つは外交。最恵国待遇とも絡む。
とにかくアキツが戦争を望んでいない事、不要な混乱を望んでいない事、安定を望んでいる事、対話を望んでいる事、何より平和を望んでいる事を、世界各地に派遣された天狗の外交官や商人達が訴え続けた。
貿易で莫大な利益を上げるアキツが、他国に戦争を仕掛ける理由はない、と。
ただし、対立を深めているタルタリアを、アキツを非難する国々のように悪し様に言ったりはしない。
亜人、魔人の国が何かを強くを言えば、中立的な只人の国、只人中心の国がどういう反応を示すのかが分かりきっているからだ。
主に西方諸国にとってのアキツとは、東の果ての魔物の国。征服できない蛮族の国。魔石を大量に輸出している国。必要だから交流しているだけ。
それが西方諸国の表面上の一般認識だった。
それでもアキツが模範的な外交をするので、外交評価は少なくとも表向きは高かった。
一方で、アキツが環大東洋域に広大な勢力圏、植民地、入植地を有している事は、各国要人や知識階層、商人の一部が知っているだけの事だった。
庶民から見れば、アキツとは認識すらしていない国や地域でしかない。アキツ本国もそうだが、大東洋自体が西方世界から見ればまだまだ遠い世界だった。
そして最後の一つが、海軍の活動だった。
アキツは、数百年の間の海外進出によって、世界最大の海洋である大東洋の沿岸地域の殆どに勢力圏を広げていた。また本国のアキツ自体がかなりの大きさを持つも島国であり、四方を海に囲まれていた。
この為、海運は必要不可欠で、海軍は国の必須であり海上交通路という生命線を守る盾だった。
タルタリアとの対立、海外領土の駐留などで陸軍が注目され、規模の点でも陸軍は巨大だが、国の安全保障面、軍事面で見ればアキツは海軍国だった。
アキツが海軍国なのは、約300年前に『魔王』が出現した時に始まったとされる。『魔王』が本格的な海外進出、西方世界が言うところの世界征服を始めたからだ。
その後の天下泰平の時代においても、海外領土の拡大に伴って海軍は常に重視され続けた。
もっとも、近代科学文明が大きく発展する50年ほど前までは、外敵の脅威は小さかった。海軍の主な敵は各地の海賊だった。西方列強の海軍が海賊となる場合もあったが、対処方法自体は変わらなかった。
西方列強も、遠い東の果ての強力な国家に手を伸ばす事が難しかった為だ。
それに帆船時代の軍艦による大砲の撃ち合いは互角でも、一旦接舷して白兵戦になればアキツの海兵は無敵、無敗を誇っていた。
船の上という立体的で狭い場所での白兵戦で、只人が亜人に敵う筈がなかった。撃ち合いで勝っても、その後に突撃を受けて敗北するという事例が1つや2つではなかった。
それどころか、撃ち合いで勝って乗り込んだら返り討ちという例が幾つもあった。
しかも砲撃戦でも、船は魔力が練りこまれた建材で強化され、アキツは年々発展させてきた防御魔法を展開することで優位に運んだ。
『小鬼の海軍』は、いわゆる大航海時代での西方諸国の恐怖の代名詞ですらあった。
そうした海軍の優位もあり、アキツは大東洋に勢力圏を広げることができた。
だが近代科学文明の誕生が、それを大きく変化させていく。
それまでは風を利用した、いわゆる帆船が主流だった。近代科学文明が広がった竜歴2900年でも帆船は十分に現役で、蒸気船への過渡期にあった。
だが、風や海流に捉われず自由に移動できる蒸気機関を用いた船の登場は、状況を劇的に変化させる。
風は地域によって異なり、緯度によって異なり、季節によっても異なる。当たり前だが、気象や時間によって刻々と変化する。
それに、風によって得られる速度には限界があった。海流も同様だ。それに、季節によっては風向きが変わるのを待つ時間もかかった。
だが蒸気機関は、その欠点の多くを克服した。もしくは大きく上限を引き上げた。
何より風に関係なく進めるようになった。
同時に近代科学文明の発展は、鉄、特に鋼鉄の利用を促進させた。加えて大量使用が容易になり、船の材料も木材から鉄へと移行しつつあった。
しかも鋼鉄により、木材よりも大型の船を建造できるようになった。そして鉄、鋼鉄の生産量は年々増え、技術も革新的と言える速度で向上していた。
なお、鉄の原料となる資源は、主に世界各地の二種類の地域の地下に眠っている。
一つは、自然な鉄鉱石の形。アキツの場合は、主に南天大陸の北西部に豊富に眠る良質の鉱石を利用していた。
もう一方は、先史文明のかつての超巨大都市があった場所。
数千年前には、大抵の場所が中心部は巨大な円形の窪地や湖、湾になっていたと言われる場所。だが、利水、利便性から再び都市となっている場合が多く、その地下には鉄や銅、場合によっては金や銀が岩石に混ざって多く眠っていた。
そうした資源は、かつての途方も無い巨大都市を構成していた材料や、備蓄していたものと考えられている。
だが、先史文明を崩壊させた破壊があまりにも破滅的で大きく、崩壊から約3000年が経過しているので、かつての形を止めるのは極めて稀だ。
ごく稀に見つかっても、ほぼ全ては原型をとどめていない。僅かでも技術や文明の痕跡が発掘が出来れば、非常に幸運だと考えられている。
そしてあらゆる物が一度溶けるほどの破壊だったと考えられ、各種資源は特定の場所に蓄積され、半ば塊や鉱石の形で採掘される。
不自然な蓄積が見られる場合もあるが、竜暦2900年前後では理由は判明していない。
そしてアキツでも、竜都と商都を中心に大東洋側の平野部で古くから多くの鉄や銅が多く採掘されている。特に鉄は、現時点では無尽蔵と言えるほど埋蔵されていた。
また、竜都の地下の一部からは、今でも大量の金が採掘されている。
アキツ以外でも、極西大陸の東岸の2つの都市、アルビオン、ヘルウェティアなどで大量の金が採掘されてきた。
逆に自然の鉱山は有望なものが殆ど見つかっていないので、先史文明の時代に掘り尽くされ、特定の場所に蓄えられた影響だと考えられている。
そうした環境なので、アキツは鉄資源を豊富に手に入れる事が可能だった。そして何より、蒸気機関での圧倒的優位が海軍及び海運での優位を確かなものとしていた。
その優位とは、蒸気機関の熱を生み出す燃料資源を石炭ではなく、魔石(勾玉)を使用する影響だった。
魔石は、石炭とは比較にならないほどの少量で、十分な熱を十分な時間確保する事が出来た。しかも燃焼ではなく、一箇所に固めると高熱を帯びる性質を持つ。
また、空気を必要とせず、煤煙も発生しない。蒸気機関で必要なのは、熱で水蒸気を作る為に必要な水だけ。
勿論、魔石の取り扱いには相応の慎重さが必要だし、相応の時間で交換しなければならず、入れ替えの際の面倒もある。
だが魔石は、亜人、魔人の体から漏れる魔力を蓄積した小さく少し特殊な石。住民の全てが亜人、魔人であるアキツでは、豊富に手に入るものだった。
そして自分たちで消費するだけでなく、大量に輸出されているほどだ。
しかも魔石の熱を燃料資源として利用されるようになると、装置の開発、改良、改善が進んだ。さらに、魔法を用いたより効率の良い利用方法が日々研究・開発されていた。
魔石による蒸気機関も、一部に魔鋼を用いて強度を著しく向上させるなど魔法、魔力の応用も進んだ。
そして魔石を用いた機関を搭載するアキツ海軍の戦闘艦艇は、他国に対して大きな優位があった。
当初は石炭を使用する場合と比べて性能の差は殆ど無かったが、それでも積載量が少なく済み、煤煙を出さず、補給作業が簡単という大きすぎる利点を最初から持っていた。
一方で熱処理の面倒さがあり、加えて魔石の交換作業が面倒という欠点はあった。
だが利点の方が大きく、優位性は明らかだった。
また世界的には、魔石の安定確保の問題から大規模に運用するのは簡単ではない。列強だと国内及び勢力圏(植民地)に多くの亜人が住むアルビオンくらいしか、アキツのような贅沢な運用は出来なかった。
他の国でも魔石を使った機関を広く用いる例はあったが、国が小さいか海軍が小さいなどでアキツの対向者にはなり得なかった。
また、西方からアキツ本国と大東洋の遠さが、アキツに圧倒的優位に働いていた。
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