035 「訓練の目的」
「まずはご苦労だった。合わせて96時間。途中、何度か仮眠や大休止をとったとはいえ皆疲れているだろうが、もう少し僕に付き合ってもらう。
長距離行軍に始まり、合間合間の射撃、白兵戦、魔法、陣地戦、野営、その他諸々。仕上げの24時間の伏在。部隊としての総仕上げの本格的なものではあるが、今回の訓練を注文したのは僕や副長じゃないから恨まない様に」
最後は冗談なので、それが面白くなくとも付き合いで小さく笑みを浮かべる者が数名。だが、甲斐の意図通り全体の態度が少しだけ和らいだ。そしてそれで十分だった。
何しろ隊長の甲斐自身も訓練の大半に指揮以外の面でも参加していて、魔力で支えられた体力面はともかく眠くて仕方なかった。
しかし大隊長としてまだ見栄を張る必要があるので、表情を改めて続ける。
「だが、今回の演習について、十分納得していない者も多いだろう。我々は軍人ではあるが、太政官直属で陸軍に対しては間接的な立ち位置。にも関わらず、歩兵の真似事を何故させるのだと思うかもしれない。だが政府も軍も必要と判断しての事だ。
と、表向きなことを言っても仕方ないな。寝る前に愚痴を言いたい者は許可する。お咎めがあれば、総隊長には僕が言い訳をする」
言葉の後半で全員を見渡すと、それぞれの顔に多少の困惑が広がる。軍では命令が絶対。それは太政官直属の蛭子衆と言えども例外ではない。それどころか、個々に強い力を持つ蛭子衆の方が並みの軍人よりも命令服従を徹底されている。
何しろ歩く兵器も同然の存在達だ。
それなのに彼らの直属の上官が任務中に愚痴れと言っているのだから、困惑しても仕方はない。
だがそれも数秒のこと。一人、また一人と口を開く。
「ここには我々しかいませんよ」
「私達を欺いて聞き耳立てるのも不可能ですわね」
「この場に告げ口する裏切り者がいなければね」
「おいおい、自分達は化け物同士。お仲間だろ」
かなり剣呑な言葉も出るが、誰もが冗談と理解している。
通常の軍隊や部隊と違い、蛭子は生まれてからずっと同じ組織の中で過ごすので、結束や親近感が強い。それを弱点と見る向きもあるが、他に行く場所もないので許容され続けてきた。
それに同じ組織の中と言っても、蛭子だけで一千名。近代国家となって以後は、支援する者達を含めると数千名はいる。
戦闘部隊だけでも、支援を含めた総数は500名に達する。
だから家族というほど親密ではない。学校や中小の会社組織程度の距離感と関係と言われる。
甲斐を隊長とする第1大隊だけ見れば、蛭子が42名。戦闘支援する一般兵が50名。
陸軍の部隊ではないので、編成はかなり変則的だ。
他に、戦闘参加どころか前線にも赴かず、兵営や後方で事務、庶務、兵士達の世話を行う兵士と軍属が10名ほど。
これは身寄りの無い者にも場所を与える目的もあり、戦闘参加しない者は、第一線を退いた通常なら退役する年嵩の者が所属している。
また、所属する蛭子は3人に1人が女性だが、蛭子以外はほぼ男で占められている。いかに魔力の高さが優先されるアキツでも、女性を積極的に戦いの第一線に参加させる事は滅多にしない。
蛭子は生まれから特殊で、特に大きな魔力を持つので例外に近い。アキツ以外の国の兵士に対して、圧倒という以上で上回る力を有しているから参加させている。
そしてこの部隊でも、42名の蛭子のうち丁度3分の1に当たる14名が女性兵で、さらに世界的に非常に珍しい女性将校だった。
何しろ蛭子衆の蛭子は、全員が特務少尉以上の階級を持つ。支援中隊に属する者達も、全員下士官以上。階級で見れば、兵士のいない職業軍人だけの戦闘集団という事になる。
そして非常に高い戦力価値を有するのだから、通常の部隊、兵士と同じ事をする前提にはなっていない。
本来は特殊な軍務、任務に従事する為、特殊な編成を有している。蛭子一人で兵数十名に匹敵するからだが、大隊なのに副長がいてしかも同じ階級の大佐なのは、蛭子衆全体の任務の特殊性にあった。中隊に副長がいるのも同様だ。
だからこそ、こうした会話にもなる。
そして部下達の軽口が一通り出尽くすと、甲斐は軽く咳払いをする。
「総隊長が感じた限りというやつだが、どうも上は戦時の我々の扱いをどうするのか、まだ具体案がないらしい。何しろ大戦さは久しぶりで、その間に近代科学と技術が大きく発展してしまったからな」
「以前より決まっておるのでは?」。中隊長の中でも年嵩な方の磐城が、半ば代表して口を開く。そして言葉を続けた。
「古来より蛭子は裏方、陰で動く者です。近代軍隊の用語に置き換えれば、撹乱と偵察が主任務。あとは、たまに頼まれる暗殺、要人警護あたりでしょう。戦闘する場合は夜襲が基本。昼間でも浸透突破が最低条件です。あとは遮蔽が十分な場所での伏撃と言ったところでしょうか。一般兵のように、正面から並んで撃ち合うのは考えられておりません」
「その通りなんだが、僕達は強いと上は見ている。それと中央の連中もな。何せ蛭子衆は、戦力算定上ではたった百名で1個師団に匹敵するそうだ。しかも、敵となりうる国の大半には、僕達に同数で対抗できる部隊や戦力はない。精々、アルビオンの魔法使い達くらいだ。
そこで、場合によっては野戦、会戦での戦略単位として使えないかと考えている。机上演習上での僕達の駒はそれはもう強くて、ズルだ、卑怯だと愚痴が出るらしいぞ」
そう結んで笑みを浮かべると部下達も愛想笑いを浮かべるが、複雑な表情の者の方が多い。中には憮然としている者までいる。
しかし言葉にしたくなった者もいた。
山猫の半獣の不知火。まだ若い男だ。蛭子の痣が顔の右半分に出ているが、それがまさに不知火のようにも見える。
普段は閉じたような目だが、今は少し見開かれている。感情が高ぶっている証拠だ。
「それは本来の夜襲、浸透突破、奇襲、伏撃、それに司令部急襲といった前提での戦力算定ですよね? 上は本気で蛭子の兵士一人一人が1個中隊と正面から戦えると考えているんですか? 正気を疑うな」
幹部の中で一番若く一見物腰は低いが、挑戦的ともいえる視線を向けている。勿論、甲斐にではなく、甲斐より上の者たちに対してだ。
「自分も同意見です」。そう続いたのは山犬の獣人の男。嵐という名で、磐城同様に大隊内での年長組。磐城共々、半世紀前のアキツの変革の際の戦いにも参加している熟練者だった。
ただ、陽性な磐城と違い、熟練者らしい冷めた雰囲気が滲み出ている。
「歩兵と同じ戦い方をしては、多少小細工を用いても半分どころか3分の1も実力は発揮出来ません。新しい武具を支給されましたが、根本的な解決にはなりません。軍で開発中と聞く新たな魔鋼製の甲冑も、我々ではなく編成、訓練中の貴族や士族向けと聞きます」
「そもそも上の方々は、蛭子以外の者にも一人一個中隊の役割を求めていらっしゃるのでしょうか?」
さらに続けたのは、蛭子以外と口にした通り支援を担当する第4中隊長の天草。鞍馬以外で唯一の女性幹部の天狗で、蛭子としての力、魔力量は蛭子衆の中では平均程度だが経験豊富だった。
天下泰平の時代から裏方や後方支援に従事している熟練の術者で、今回の部隊編成で久しぶりに前線復帰している。
おっとりとした軍人らしくない丁寧な口調もあって、二つ名とは別に『奥方様』と冗談交じりに親しまれていた。
その彼女が言葉を続ける。
「確かに全般支援をする第4中隊でも、一般の兵士以上の働きは出来ると自負はしております。今回のような連続作戦も問題御座いません。新たな装具や様々な術、札のお陰で、冬でも問題なくこなせる確信が持てました。ですが第4中隊は、総員が戦闘に当たっても通常の一個中隊の戦力は御座いません」
「そうだな。みんなの言う通りだな」
口々に異論を唱えた4名が甲斐の大隊の中隊長達になる。これに、大隊本部の大隊長の甲斐、大隊副長の鞍馬を加えたのが、第一大隊の最高幹部たちだった。
6名でも中隊より人数の少ない大隊を動かすのは問題ないが、想定している事自体が無茶であると甲斐自身も十分以上に考えていた。
しかし愚痴を言わせる場にした以上、甲斐は聞く側だ。だから、最後にとばかりに大隊副長の鞍馬に視線を向ける。
自然、隊長、副長達の視線も鞍馬へと向く。
鞍馬が見た目と違って大天狗であり、『天賦』の二つ名を持つほど様々な事に長け、膨大な魔力の持ち主なのはこの中では周知だ。
さらに言えば、皇立魔導学園でも英才を謳われた、世の中に数える程しかいない特級術師。蛭子でなければ、大天狗なのもあるので魔法使いとしての栄達は思いのままだっただろう。
「軍中央の参謀達に見せる為ではないでしょうか?」
その英才が簡潔に結論と言える言葉を口にする。それに甲斐は片眉を上げて応える。
実のところ、訓練計画を知ってから二人で何度か話し合った事で、二人にとっては既に結論が出ている話だった。
それを薄々感づいている幹部もいるが、まだ何も聞いていないので今から話される言葉を待った。
「歩兵として一個師団に匹敵する事を分からせた上で、何か別の使い方を考えていると?」
「はい。後方撹乱のさらに先、遠隔地か敵後方での奇襲的な攻撃。そして一時的な占領。つまり保持が出来るのか、と。もしくは司令部急襲といった任務に。蛭子衆が軍の部隊としての能力もあると確認できなければ、そうした任務には投入できないと考えます」
「雲の上の方々は、我々をおとぎ話に出てくる無敵の用心棒や凶悪な暗殺集団くらいにしか思ってないからな」
甲斐の少しおどけて言った蛭子衆に対する昔からの風評に、幹部達が軽く笑う。任務の実態は最初に磐城が言ったように、風評ほど単純ではない。そして無敵でもない。
その事を当人達が最もよく知っているからこそ、風評を笑っていられるのだった。
「ですが軍の一部が何を企んでいるのか、透けて見えます」
少し強い視線でそう告げた鞍馬だが、それを受けた甲斐は小さくため息をつくに止めた。
「そうかもしれないな。だが、僕らは国や軍の手であり足だ。余計な事は考えすぎないようにしよう。みんなも、今の話はせいぜい小隊長までで止めろ」
「「ハッ!」」
「うん。では、本題の今回の訓練の現時点での報告を聞こうか」
そうやって甲斐達の訓練と部隊の編成は急ぎ進められたように、アキツ軍全体も可能な限り水面下で来るべき事態に向かっていた。