025 「新薬」
「特級術師には退屈だったでしょう、『天賦』特務大佐どの」
冗談混じりに聞いてくるのは、皇立魔導研究所で研究員をしている同じ天狗の女性。
ただし穏やかな顔立ちの左側には大きく特徴的な痣を持つ、鞍馬と同じ蛭子の生まれ。濃いめの金の長い髪を後ろに流しているが、痣を隠す様子はない。
彼女は、高い魔力と技術を活用する為、ここに勤めている同じ蛭子衆の一人だ。
「変革」以後の蛭子衆には、彼女のように戦闘部門以外の者の方がずっと多い。鞍馬が先日訪れた皇立魔導器工廠にも、ここと同様に多数の蛭子が勤めていた。
高い魔力を持つ蛭子は、魔術に関わるか魔法の物品を作る者が多かった。二級以上の高位の術医も多い。単純に戦うよりも、国としての魔法技術の底上げの方が重視されているからだ。
アキツの勢力圏がアキツ本土だけだった昔は、同じ亜人同士の戦いなのもあり根こそぎ戦いに投じられたとも言われるが、時代の変化が蛭子にも大きな変化をもたらしていた。
近代という時代は、国全体の底上げが重要で、基本的に数が重視されるという典型例でもある。
魔術の素養に長けた鞍馬も、皇立魔導研究所への所属を熱望されていたのだが、戦闘技量も抜きん出ているので常に人材不足の戦闘部隊に所属している。
ただし本人のたっての希望であり、その理由については少なくとも当人にとって考えるまでもなかった。
そして互いに所属する組織が違っても、蛭子だという連帯感からか鞍馬は冗談を好意的な笑みで流すだけだ。
「基礎の基礎を振り返るのは、ある意味新鮮だったわ。それと、任務以外でその言い方はやめてよ『薬師』中佐殿。それとも、世にも稀な特級術医どのと呼びましょうか?」
天狗だけに見た目は二十歳前後だからか、鞍馬は普段言葉で返す。だが実際は、相手の方がかなりの目上だ。しかし公的な立場になると、階級差で逆転する。
だから余程公的な場でない限り、友人という事で普段言葉を意識して使うようにしていた。
「はいはい、鞍馬。それにしても新鮮ねえ。私達、最近は今日見てもらったような事ばかりで、うんざりよ」
「そうなの、水無瀬?」
「ええ。最近の講習は、素人相手の基礎ばかり。魔法関連の学校はどこも満員御礼かそれ以上だから、こっちにまでお鉢が回ってきているのよ」
そう言って、本来の名で言い直された女性は肩を竦める。国の最高機関でする事ではないから、当然の反応だった。
それには鞍馬も苦笑する。
「見た所の中堅の中央官僚や将校が多いから、今更部下に聞けない人向けかと思ってた」
「フフッ。そういう向きもあるわね。魔法の発動は西方では魔法陣、東方では札が中心という事すら知らない人がいたりするわよ。普段、書類仕事しかしない弊害ね」
「そうなのね。じゃあ、札や魔法陣が仕事道具のようなものでしかないってのは?」
「札だけで使えないのかって真顔で聞く人もいるわね。魔法陣は思い浮かべる必要があるから面倒そうだとか言う人とかも」
「魔法陣ねえ。西方魔術って、固定型以外は魔力で空中に描かないといけないから難易度が高くて、随分と廃れているじゃない。伝説の天狗達も、大東国の事件で全滅したって噂だし。
今や札を使うのが主流でしょ。輸出した札が、西方でも重宝されるって聞くわ。だから構わないんじゃない?」
言いつつ、手持ちの札を何枚か机の上に出す。そうすると水無瀬も自分の腰に付けていた専用の札入れから何枚か出す。
基本的に同じものだが、描かれている術を構築する模様、文字などが違っている。見た目では鞍馬の札の方が模様などは単純だ。
「素人でも使える札は、術者にとっては子供騙しばかりなのにね」
「札は複数掛け合わせて使ってこそ、だっけ? 現場代表としては、単純こそ真理なんだけど。咄嗟の行動が死命を制するもの」
「でもそれは魔力が高いからか、等級の高い札を使いこなせてこその言葉よね。3級以上の術を使える人って少ないのよ。西洋向けは、術者でなくても使える5級が主力。アキツでも、今は低い魔力で誰でも使える方が流行ね」
「軍でもそう言っているわね。それどころか、一般兵が使える治癒札まで作ろうとしているって、こないだ行った皇立魔導器工廠の多々羅が無理難題だってぼやいてたわ」
「戦争準備でどこも大変だものね。多々羅は、隠居した年寄り連中も駆り出したって聞くわね」
「天狗や大鬼も、同じように隠居してる人達を同じように駆り出したそうね。それどころか、大天狗達まで」
「大天狗ねえ。そう言えば、竜都に鞍馬のご先祖様の大剣豪がいるって噂があるけど、ホント?」
「ええ、いるわよ。私、少し前まで刀の手ほどきを受けていたもの」
「へーっ。どこにいるの?」
思わぬ言葉に水無瀬が軽く身を乗り出す。
だが鞍馬は澄ましたままで、身内だという事を伝える気もない。
「内緒。一応、政府案件らしいから」
「ふーん。伝説級の人だと、気まぐれで山から降りてこない限り政府案件なのは道理ね」
「そんなところ。それより、他にはどんな講習しているの? 一応把握しておきたいんだけど」
「適当にお茶を濁しておけばいいわよ。と言っても、自分に厳しい鞍馬は聞かないか。でも、本当に基礎的なことから話しているわよ。種族ごとの得意分野とか、魔力は投射すると拡散しやすいから、近距離以外では近代戦には向いてないとか。簡単な攻撃の札を使うくらいなら防御系の札を肌身離さず持って、攻撃には拳銃持っとけとか」
そう言いつつ、水無瀬は板に挟んであった紙面を見せる。
「種族ごとねえ。天狗は魔術が得意とか?」
「そんな感じね。天狗は魔術、多々羅は物品相手、大鬼、鬼は身体強化、硬化が得意。獣人、半獣は、身体強化に加えて知覚を高めやすい。あ、でも、獣人、半獣の一部が幻影、隠密が得意というのをかなり詳しく話したわね。上は、もっと軍事に転用したいみたい」
「知覚向上や隠密は、少数で活動する時に重宝するものね。それに幻影は、遠くからの方が誤魔化しやすいから、遠くで撃ち合う近代戦には有利なのは確かね。うちでも使っているわ。ただ魔法だと、向こうも探知の道具くらいは持ち歩いているから、距離によっては魔法は逆効果かも」
「そうなのね。とは言え、魔法は優れた術者の数が限られているから、上の方はあまり重視していないわね。重視しているのは、防御と治癒の魔法くらい。道具の方は、武具全般と傷用の水薬くらいかしら」
「霊薬は?」
「知っての通り、何でも癒す万能薬はアキツ中で量産体制の強化中。戦争になれば幾らでも必要になるのが分かりきっているから、かなり無理押ししているわね」
「去年ぐらいから輸出も減らしたから、海外からは随分と文句が来ているらしいって聞くわね」
「魔力を持たない人に、治癒術はともかく治癒札は効果がないもの。でも魔力があれば、薬の効果は何倍にもなる。霊薬なら何でもござれ。魔力の多い者だと、五体バラバラや心肺停止でも直後なら復活した事例があるくらいの万能の治癒薬。戦争になれば、戦死者の数を10分の1に出来るとすら言われる」
「知ってる。実体験込みでね。でも、それは誇張しすぎ。術者が高位の治癒術を施す方が効果あるくらい、水無瀬ならよく知っているでしょう」
「まあね。だから上も、治癒術を使える術者の育成拡大を鋭意推進中よ」
「2、3年前から、本格的な拡大は始まっていたわよね。でも、短期間で術者の養成なんて無理でしょ。国は3年先、5年先も戦争するつもり? そんなのより、戦病減少の為に野外での衛生状況改善に力を入れて、浄水、身体浄化の術でも覚えさせたら良いのに。あれなら、素質があれば1ヶ月でなんとかなるわよ」
「私達じゃないんだから、簡単な術でも習得には3ヶ月はいるでしょ。それにそういう初歩的な術は、逆に札の増産で何とかするつもりらしいわよ」
「札ねえ。100万の将兵に日常的に使えるように行き渡らせられるほど数が揃えられるの?」
「努力目標でしょうね。でも、軍も政府も、それに私達も色々と考えているのよ。で、これが今日のお題」
そう言った水無瀬は、金属製の小さな瓶詰めを3つ懐から取り出す。中身から高い魔力を感じることができる。
「新しい霊薬?」
「名無しの試作品。魔力の高い人に試して欲しいの」
「だから今日呼んだの? 軍向けの郵送で届けてくれれば良いのに」
「今日こっちに来るって聞いたから、送る予定だったのを今渡すだけ。本当よ。随分前から研究してたけど、ようやく形になったの。もう試験は済ませたから、あとは実際の検証例が欲しいの」
「効果は?」
「魔力回復の強壮薬ってところね。見ての通り魔力が濃いでしょう。勾玉の技術を応用したものだけど、飲めば短時間で魔力を一定量回復可能。ただし副作用というか、一日くらいは魔力の自然回復が遅れる傾向にあるから、緊急用というのが現状。
鞍馬達は魔力も高いから、どれくらいの回復して、どれくらい回復が遅れるのか知りたいの。どうせ春までに激しい訓練や演習をするでしょう。その時に使って。必要なら追加も送るから、お願いね」
「正規の手続き踏まない理由は?」
「蛭子衆は所属が面倒だから、正式な手続き踏んでやり取りすると時間がかかりすぎるのよ。で、今は何より時間が惜しい」
「なるほどね。じゃあ試させてもらうわね。前線では何が起きるか分からないから、緊急時の保険は有難いわ」
その言葉で、鞍馬はようやく小瓶を手に取る。
小瓶は栓も金属で出来ているので中身は分からないが、鞍馬には中身が勾玉のような魔力の反応があるのが分かるので、疑いはしなかった。
「どう致しまして。ただ、報告は簡潔でいいから正確に。それと、私への個人宛によろしく」
「了解。……どこもこんな感じなの?」
鞍馬は少し探るような目線を水無瀬に送る。
しかし表裏がないのか、水無瀬は素直に首を傾げる。
「こんな感じって?」
「勇み足というか、急いでる感じがする。皇立魔導器工廠でも、抜け道として半ば個人的にも動いてるのよね」
「そっちが掴んでる情報はそれだけ?」
「あとは話せない。私より知ってそうな奴はいるけど、口止めされてるらしく褥の上でも話してくれない」
そう言って鞍馬は口を尖らせる。
相手が誰かを知っている水無瀬は、賢明にもそれ以上追求せずに苦笑で応対することにした。
「アララ。余程厳しく口止めされているのね。でもそれって……」
「上は予想より早くタルタリアとの戦争が始まるって想定で動いてて、それが噂で水面下を伝わって急ぎ動き始めたって感じなんでしょうね。私もそれは感じてるけど、私の予測よりも早そうな気がするのよね」
「ちなみに鞍馬の開戦予想は? それも軍機?」
少し冗談めかして聞かれたので、軽く苦笑して首を横に振る。
「私は来年夏頃と予測してる。遅ければ再来年の春。戦争の規模はまだはっきりと予測つかないけど、北の僻地でタルタリアとの規模の大きな戦争ね。タルタリアは、自由にできる勾玉だけじゃなくて黒竜地域と東の海の出口が欲しいから」
「他で聞く噂も、そんなところね。でも、アキツが望まない限りタルタリアは戦争しないって楽観している人も少なくないわ」
「魔法関連の人はそうでしょうね。アキツは世界的に見ても圧倒的優位にある上に、タルタリアは歴史上で国内の魔術師を虐殺してきた上に、過去の記録すらも破棄。数少ない生き残りは、一部の例外を除いて国の外に逃げるか隠れるか。
そのあとで魔石の有効性が分かると、慌てるように周辺の半獣が住む地域を強引に併合して植民地化。奴隷状態に置いた半獣から質の悪い魔石を搾り取っている」
「そんな魔法後進国にアキツと戦争する力はない」
「でも、時代は近代よ。鉄と火薬の時代。刀と魔法の時代も遠くになりにけり。タルタリアは西方列強の中では近代化が遅れているけど、侵略国家だけに軍の近代化は相当よ」
「どの視点でタルタリアの上層部が見ているかね」
「あの国の宮廷貴族の言葉だと、我が国は時代遅れの竜を担ぎ上げた魔物や小鬼の小さな島国だそうよ」
「国土の大きな国だから、アキツ本土だけなら小さな島国に見えるのかもね。となると、何かにつけて急いだ方が良さそうね」
二人してついたため息が会話の最後となった。
そうした光景は、ここ最近のアキツ各地の主に水面下でよく見られる光景でもあった。