024 「魔法の講習」
書類仕事で忙しい上司や同僚の分も兼ねた、鞍馬の関係各所への顔出しは続いていた。
こうした事も、組織が巨大化、複雑化したら避けて通れない。
その日行ったのは、皇立魔導研究所。魔法省に属する国の直属機関で、要するにアキツの魔法の頂点だ。
竜社(神殿)、魔導学園、軍、術医院など、アキツで使われる津々浦々の魔法、魔導、魔術に関わる施設が広大な敷地内にあった。
例外は民間の企業、私学、個人のものだが、民間もここを無視する事は出来ないし、むしろ出資や協力をしている。
そして西方では魔法は全般的に衰退の一途で、大東国は竜の死と共に魔法に関わる者達の大半が雲隠れしたので、今や世界的にも魔法の最高権威となっていた。
そして鞍馬は非常に優れた術者で類い稀な魔力を有する軍人なので、普段から時間があれば皇立魔導研究所には顔を出している。それも任務に含まれている為だ。
さらにその能力を見込まれ、名指しで呼ばれる事もあるし、場合によっては協力する事もあった。
もっとも、この日の用向きは部隊全体としての研修。だが幹部は皆忙しい為、その代表として。
こうした研修は、魔法の知識や技術の発展を促す目的で、政府、軍、行政の関係者に行われている。
全ての民が魔力を有しても、直接魔法に関わらない者は非常に多いからだ。アキツでも資格を持つ術者は等級の低い者を含めても10人に1人という現状が、それを端的に表している。
自己に厳しく日々の研鑽を欠かさない鞍馬にとって、あくびが漏れそうになる研修や講習だが、それを疎かにする気もないのが彼女らしいところだった。
例えそれが、博士号持ちの大学教授が初歩的な講義を受けるようなものだったとしてもだ。
そんな彼女も参加する階段状に席が配置された大きめの講習室で、基礎的な講習が行われている。
「大前提として、『魔力』は特定の種族の内側、古くは『魂』から湧き出づるとされてきました。今では、脳からではないかと考えられています。もっともこの力が何なのか、具体的にはっきりした事は未だ判明していません」
(この説明いる? 子供向けじゃないのに)
「ですが、古代、中世、近世そして近代と、時代とともに魔法の研究は進み、様々な事実が明らかとされてきました。その結果、西方での四大精霊、東方、極東での五色もしくは五行と言った考えは完全に否定されました。一部の宗教が唱えるような正邪も、光と闇もありません」
(あったら、分かりやすくて便利だったでしょうね。勉強や習熟込みで)
「仮にあったとしても、主観的にそう見えたか思っただけ。もしくは幻影の魔術などでそう見せただけです。さもなければ、単なる口からの出まかせに過ぎません。
同様に宗教上での神とされる存在と、魔力やそれに関わるものとの関係性も存在しない可能性が非常に高い」
(こんな基礎の講義って事は……やっぱり、素人が多いのね。おとぎ話も遠くになりにけり、と言ったところか)
鞍馬は参加者を軽く見渡し、術者ではなく官僚、軍人が多いことを見てとる。
そして参加者の表情や態度から、さすがに初歩的な常識は大半の者が理解しているようにも見えた。
「また一部地域、一部宗教で言われる魔界や精霊界といった異世界、異次元は存在しません。天界や魔界についても同様です。少なくとも、今まで確認された事例はありません。
あると思われていた場所は、周囲から隔てられた魔力に満ちた場所というだけでした。これは近代科学的側面からの調査でも肯定されています。もっとも、死して後に行くという、極楽や地獄はどうかわかりませんがね」
そこで小さな笑いが起きる。異世界とでも呼ぶべき場所は、極楽や地獄程度と誰もが認識している証拠だ。
(魔界はアキツの勢力圏って話はあるわよねえ。私達、というか魔力を持つ種族は魔物扱いだし。となると、『竜皇』陛下が魔王になるのか。不敬も甚だしいわね)
「また一方で、様々な利用方法が開発、研究されてきました。魔力で身体能力を高める方法ですら、古代の昔から体感的に研究されています。そして世界各地で、魔術、錬金術、導術、仙術、錬丹術などが発展しました。我が国では、呪符術、陰陽術、法力、神通力、巫術などとして発展してきました。そして近代に入り、勾玉自体を直接利用する方法も開発されています」
(ようやく本題といったところ? いや、この講習は基礎講習だったわね)
「ですが、変わらない事もあります。魔力は亜人、魔人の内からのみ発生する、一定の命令に対してのみ反応する『力』そのものです。場合によっては強固な形をとりますが、力場の一種だと考えられています」
(電気に近いとかも言われるけど、本当に何なのかしら? でもそれなら魔力じゃなくて魔気?)
帳面に思いついた事を書き込むが、周りに話を聞いていると見せる為で、高い知性と合わせて記憶力もあるので、鞍馬にはそうした作業自体が本来は不要なものだった。
だが周りでは熱心に書き込みをしている者は少なくない。
「ですが、術により質量は変化しませんし、他の物質に変化する事もありません。錬金術は単なる金属加工の術で、金は出来ません。同様に何かが突然生み出されたり、どこからともなく湧いてくる事もありません。勘違いされがちですが、無から有は生まれないのです」
黒板に『無』や『有』を書いて説明するが、聞いている方は半数程度が曖昧にしか理解できていない顔をしている。魔力を持つ種族で、しかも国の中枢に属する人ですら、専門家や術者でないならこの程度が一般的だった。
基礎教育や生活の中で学んだり得たりする知識は、本当に基礎的な「一般常識」に限られている。
それだけ魔法が、前提となる適性と知性を必要とするだけでなく、習得に手間と時間と根気が必要な証だ。そして学んだだけでは役に立たず、実際の術の構築と行使が必要だが、それがさらに大変だった。
このため何らかの魔術を使える術者は、国民すべてが魔力を持つアキツでも、10人に1人程度と統計数字が出ている。実用に足る敷居が高い軍隊ではさらに低く、20人に1人程度となる。
また術者は魔力、知力、経験などの違いにより格差があり、アキツでは試験によって5級から特級まで分かれている。
専門家、術師として有効なのは3級以上で、高度な術師の目安とされる1級以上の資格の保持者は総数で1000人ほどしかいない。
こういう場では、どのような術者かの証を胸や二の腕に付けるのだが、鞍馬は施設に訪れた時点で驚いたように見られていた。
鞍馬は若くして特級という最上位に位置している稀有な存在だったからだ。
もっとも、鞍馬は気負ったりはせず淡々としていた。
(無から有か。できれば便利なのになあ。魔術による何かしらの実体化も、大抵は術者や周囲の物質を使っているだけだし)
「しかし、魔力を持つというだけで、大きな利点、利益があります。魔力は体の内から湧いてくるものなので、勾玉への蓄積や魔法という形で利用する以前に身体に大きく作用します。古代においても、身体能力の向上を意識した所から魔法の研究が進みました。
適性にもよりますが、まず身体能力が高くなります。魔力を持たない只人と接する機会が無くとも、他の亜人、魔人、または魔力の高い同族との差で実感された方も多いでしょう。魔力には種族差、個体差があるからです」
一旦そこで言葉を切り参加者を見渡す。そしてこの言葉に対しては理解がある事を確認。
さらに言葉を続ける。
「また、適性によって知力が高かったり、怪我や病気に強かったり、種族や魔力量によっては不老となったり寿命が伸びます。特に怪我や病気への強さ、そして不老と長寿は只人にとって嫉妬と羨望の対象であり、只人と亜人、魔人との対立の一番の原因とすら言われます」
また言葉を切るが、ここが話の一つの重要点とばかりに少し言葉が強まる。
「その結果、西方では多くの亜人、魔人が滅ぼされるか、そうでなくとも隷属させられるか、まるで檻の中に押し込められるような状態です。暗黒大陸では、魔力や長寿を得られるという迷信から食べられ絶滅した地域が数多くあります。今はこの件に関して話しませんが、頭の片隅に留めておいてください」
参加者に合わせた話なのだと、この時点で鞍馬は結論した。
戦争が近いので、こうした学術や実技の場ですら戦争からは逃れられないのだ、と。
そしてさらに自分のような軍人もどきが、これを聞く羽目になった理由も理解できた。
(このまま只人への敵愾心を煽ったりするのかしら? だったら興ざめね)
そう思ったが、留めておけと結んでから講師の雰囲気が変わる。
「一方で、魔法は全ての者に扉が開かれているなどとお題目を掲げたところで、魔力以外の素質が必要で、そもそも学ばねば身につきません。高みを目指すなら、大変な努力と研鑽が必要です。実際、道具に頼らず術を使える者は、最低級の5級を含めても10人に1人程度に止まっています」
(そもそも5級じゃあ、どの職に就いても見習いか雑用。実際は4級以上の100人に1人程度。それに医療と通信、道具の生産が大半。即座に札を使って術を制御する魔術が多い軍向けは、難易度が高いせいで数が揃わないのよね)
「魔法を学ばずに札などを用いて勾玉や自身の魔力により術を使ったとしても、それは使っているだけに過ぎません。術者のように自身で術を構築出来ないので、応用のない簡単な術に限られます」
(札は便利だと思うけどなあ。西方魔術は、固定型以外は魔力で空中に魔方陣を構築するから見た目は派手だけど、思考上での構築だけじゃなくて全部記憶して行使するのが大前提。学ぶのも使うのも大変で廃れたのよね。
アキツで魔法が盛んなのは、全員が魔力持ちなのもあるけど楽な札を使うからでしょう)
講義を聞きつつも、頭の片隅で寸評を挟み込んだりする。もちろんそれが、表情や雰囲気に出ることはない。感情の制御は、彼女の得意とするところだ。
「だからこそ、様々な術者の存在は貴重であり、そして有用なのです。さらに、人口に対する術者の比率が非常に高い我が国は、この分野に関して他国に対して圧倒的に優位にあります。そして、優位をさらに活かすべく、術者を育成し、各機関、組織において有効活用する必要があるのです」
話はそんな風に締められた。
正直なところ、熟練した術者である鞍馬にとっては、単に義務的に聞いたという以上のものでしかなかった。
そして鞍馬にとっての本来の目的は、講習の後にあった。