020 「鉄道談義」
「鉄道は、陸上での大規模な物流と物的な情報の伝達を担います。軍事的に言えば、鉄道は侵略の大動脈であると同時に最も強力な尖兵です」
狼の獣人にしては犬の獣人以上に穏やかな風貌の兵部卿、つまり軍の最高責任者である叢雲は、最初にそう結論を伝える。
軍人だからか、彼は最初に結論を言うのが癖だった。
もっとも、そのあとの説明が長いので、ついたあだ名は『教授』。実際博士号を持つ上に軍の教育関連にも長らく就いており、兵部卿になる前も軍人の育成・教育を統括する教育総監の地位にあった。
「特に文明的に発展の遅れた地域で植民地を拡張する際、絶大な威力を発揮します。何故か分かりますか。……そう、一度鉄道を引いてしまえば、素早く、安価に、かつ大量に人と物を運べるからです。その費用対効果は馬など比較にならず、場合によっては汽船にすら匹敵します」
「わたくしらには『浮舟』があるのでは?」
神祇卿の東雲が合いの手のように入れるが、それに叢雲が頷く。
「確かにあります。ですがあれは、古い技術をようやく復活させたばかり。しかも魔力を有する者か、質の良い勾玉を必要としており、亜人の少ない国での運用は出来ません。そもそも我が国しか技術を持たず、普及もこれからです。
それよりも、我々も西方で発明された蒸気機関とそれを利用した革新的な移動手段を利用しているではありませんか」
「その蒸気機関にも勾玉を使うじゃないか」
今度は伯耆民部卿の言葉に返す。だが叢雲は、質問されるのがとても楽しげに見える。
「はい。ですが蒸気機関とは、文字どおり効率よく蒸気を起こせる熱源であれば何でも構いません。現に西方諸国の多くは、熱を発生させる燃料として石炭を活用しています」
「南天大陸でも大量に見つかったやつだな。だが、質と必要量を考えると、輸送経費まで考えたら比較にならない。なのに国内の良質なものは既に枯渇して質が悪い」
「はい。ですがそれは世界中も同様。だからこそ只人の多い国々では、大量の勾玉を輸入しております。お陰で主要輸出国の我が国は大儲け。しかも、原価が高く元手が殆どかからない上に輸送経費も安い。商売上では、理想的な輸出品と言えるでしょう」
「そんな経済の講釈を聞きたいのではないのですが?」
「おっと、そうでした。鉄道の話でしたね。細かい数字を言い出したらきりがないし、ここで話しても仕方ないので飛ばしますが、とにかく鉄道は一度敷いてしまえば敷いた側がその先で好き放題できます」
「だがタルタリアが敷いている鉄道は国内だ」
「はい。しかし完成すれば、世界唯一の天羅大陸を横断する鉄道となります。同時に広大なタルタリア帝国を東西に横断する鉄道であり、タルタリアの中枢部から東部辺境へ伸びる鉄道となります。性質的には、植民地に敷く鉄道と同様、もしくはそれ以上の価値と効果があります」
「そしてその先には、我が国の勢力圏があるわけね」
「向こうからすれば、「ある」ではなく、立ちはだかるなどといった表現の方が正しいのではないか?」
そこからは、閣僚達の雑談を交えた議論の場となった。
「しかも今回は、連中の密偵を向こうが文句言うくらいに潰し、情報を与えなかったのだからなあ」
「向こうが、こっちが掴んでいると見ている情報はどの程度だ?」
「駐タルタリア大使館職員と駐在武官は、相当窮屈を強いられている」
「だが物資の流れ、貿易の動きから推測出来る。向こうもそれくらいの事は理解しているだろう」
「どうだろうな。あの国の上層部の多くは、高等知識を学ぶ学校へロクに行かないで特権に胡座をかいている貴族連中だ」
「そうだな。どうせ今頃、『小鬼』どもと我々を小馬鹿にして酒でも呑んだくれている事だろうよ」
「全員がそうであれば楽で良いのですがねえ。あれだけの大国。知恵者、切れ者には事欠かんでしょう」
そんな風に雑談が少し長引いたところで、少し大きいお茶をすする音が上座から響く。太政官の白峰だ。
雑談が過ぎているという合図だった。だから気づいた者達は順次口をつむぎ、次の議論なり報告を待つ動きをする。
それを見て、議論する学生を見る目線だった兵部卿の叢雲が軽く周囲を見渡す。
「互いの情報に関しては、皆さんの見識通りの可能性が高いでしょう。ですが、今現在においてタルタリアの大陸横断鉄道は、近日完成予定。我が国の勢力圏の、すぐ向こう側にまで伸びてくる。こちらも彼らを歓迎できる場所まで鉄道を敷き、様々ものを運び込んでいる。どちらも、従来の馬車や馬を連ねては出来ない事です。
動員しなければならない人員規模が違うし、速度も違うし、何より運べる量が決定的に違う。何しろ今日の貨物列車の1編成で、従来の大型馬車200台分の物資が運べます」
「たった2編成で師団の輜重大隊と同じ輸送力か。その魅力を前にしては、鉄道沿線からは離れられんな。しかも移動速度も馬車よりずっと速いとくれば尚更。その上馬は、人の十倍も食うからなあ」
実戦部隊を預かる総軍司令官の大隅が、思わず唸るように呟く。よく見れば、冷や汗すら出ているかもしれない。
そしてその声は呟きにしては大き過ぎたのだが、それを叢雲は利用する。
「今、総軍司令官がおっしゃられたように、鉄道から離れた場所での輸送力は100年前と何ら変わりありません。馬と馬車だけです。つまり、鉄道で大量の軍隊と物資を送り込めたとしても、その先で広く展開する手段は従来通り。大軍同士がぶつかり合うのは、基本的に鉄道沿線という事になるでしょう」
「騎兵は例外だろう」
とは、参謀総長の周防の声。それにも叢雲は頷く。
「限定的には。ですが、草原の民のように大量の馬や羊を連れて移動するわけにはいかず、近代陸軍の騎兵も大量の物資が必要です。しかもあまりに大軍で動けば、行く先々の草を食べ尽くすので、秣などの馬糧も運ばねばならず、当然ながら膨大な量になる。結局は、限定的な動きしか出来なくなる可能性が高い」
「で、鉄道を侵略の尖兵として使う大規模な近代の戦争は、鉄道沿線でのみ発生するという解釈で良いのかな?」
次の結論が出たとばかりに誰かがそう言った。
それに叢雲は、狼の獣人とは思えない温和な笑みを返す。大正解というわけだ。
「その通りです。ですが今回の場合は、まだ2つ、恐らくタルタリア側に問題があります」
「2つ? 一つはタルタリアがアキツ側の情報を持っていないという事だろう? あと一つは?」
「その逆です。アキツが、どれだけタルタリアの情報を持っているのか分っていません」
「だから今回、あんなにわめき立ててきたわけか」
「それだけ連中にとっての開戦も近いわけだな」
「どうしてそうなる?」
「北氷州やあの辺りの冬は寒過ぎる。まともな軍事行動は無理だ。我々でも現地在住でなければ、少数での活動が限界だ。それすら訓練を受けた兵と余程の術者を複数伴う必要がある。最悪、歩いたまま氷漬けの世界だぞ。
つまり、相手の様子をこっそり探ろうという真似は、春まで出来ないという事だ。当然だが、戦争そのものもな」
誰かの質問に、実戦部隊を預かる大隅が軍人としての常識的見解を並べる。政治や行政には詳しくとも軍事や現地の気候に詳しくない者としては、そういうものなのだと納得するしかない。
そして同時に、タルタリアの大陸横断鉄道の敷設状況の説明から始まった話は、政府首脳の間で一つの共通認識へと至った事にもなる。
双方は、輸送の要となる鉄道敷設を軸として辺鄙な場所での戦争準備を進めている。だがタルタリアは、早ければ春にはアキツに対する戦争を仕掛けるという認識に。
そんな閣議の流れを、話し終えたあとは傍観者として見ていた甲斐だったが、ふとまだ肝心な事の一つに議論が及んでいない事に気づいた。
(戦争がいつ始まるのかという議論をしているのに、誰も何故戦争が始まるのか、タルタリアは何故戦争を始めようとしているのかの話をしないんだな。
これからするのか? いや、そんな雰囲気じゃない。……つまり、今回の俺をダシにした慎重派を納得させる茶番以前に、戦争そのものは確定しているって事か。まあ、蛭子の精鋭を借りてまで覗き見に行かせたんだから、相手が戦争を始めるかどうかを議論するなんて今更なんだろうな)
甲斐はそんな事に気付かされ、これが『雲の上』、自分達下っ端の上で行われている事なのだと妙に納得がいった。




