017 「限界は?」
「も、もう、限界です」
「ハァ、ハァ、ハァ……私も」
「そうだな、今日はこれくらいで良いだろう」
大講堂の真ん中で倒れ臥す甲斐と鞍馬に、涼しい顔のままの金剛が実に爽やかに言葉を返す。
そしてその言葉に二人は軽く動揺した。
今日と言ったからには、今日以外も相手をしないといけないと。
二人は次の瞬間に顔を見合わせ、言葉を交わす事なく、魔力による意思疎通をする事もなく、同じ結論に達した。
体感5分だった、と。
それほど激しい、何年振りかという激しい手合わせが終わったので、半ばため息で息をつき、ようやく周囲を見渡す。
大講堂に設置された時計の針は、2時間以上経った事を伝えていた。
老齢の犬の獣人は、始めた時と変わらず淡々と立ったまま見続けている。金剛が護衛するべき三之御子とアナスタシアは、退屈しきっているものと思ったが真剣な眼差しを向けていた。
一方の二人は、抑え気味だった筈の魔力をかなり消耗し、精神面を考えると感覚的な肉体の疲労は、戦場で丸一日走り回る以上だった。
それでも有意義なのは疑いようがないので、可能な限り金剛との手合わせを続けるべきだと考え始めていた。
もっとも、その相手をするであろう金剛は、終えるとすぐにも普段の自然体に戻っていた。
「疲れただろう。大食堂で何か食べよう。汗も随分かいているから、水も飲んだ方が良い」
「それと魔力もね。二人とも手を出して」
それまで意外なほど真剣に3人の剣の手合わせを見ていた三之御子が、近づいてくると二人に両の手を差し伸べる。
「手を?」
「うん。はい、手を出す。立つのを手助けするわけじゃないからね」
「はあ」
そう返し二人で一度軽く目線を合わせてから手を差し出すと、三之御子がその手を両手で取り目を閉じる。
すると3つも数えると、何かが二人の中に流れ込んでくるのが分かった。
「魔力?」
「これって……」
「そうだ。『竜の御子』の力だ。三之御子様、人目がないからとはいえ、あまり使われないように」
驚く二人をよそに、金剛が言葉をかけつつ三之御子の肩をごく軽く手で叩く。すると魔力が流れ込むのは止まり、三之御子は目を開き二人から手を離す。
「金剛の言う通り、これが私の特技。楽になったでしょ?」
「はい。大変ありがたく存じます。魔力を人から人へ直接送るのは不可能とされていますが、流石は三之御子様」
「こんなの大した事ないよ。本番は陛下から力をお借りして、大勢の人にするんだけどね。でも、甲斐も出来るでしょ? 私と同じ匂いだし」
「甲斐様も『竜の御子』でいらっしゃるのですか?」
「いいえ違います、アナ様。三之御子様の勘違いでしょう」
「その割に甲斐も鞍馬もあまり驚いてないな。私は最初の時は随分と驚かされたのに。……まあ、いい。それより、夕食までまだ少し時間もある、甘味でも食べに行こう」
関係者と言えない者がいるので次の言葉に一瞬詰まった二人だったが、金剛の言葉と共に軽く笑みを浮かべるだけでだった。
「……美味しい」
「色々な具材が喧嘩せず、それでいて絶妙な甘さ加減」
「でしょ、ここの最中とあんみつは絶品なのよ! 私は今日の甘味のお団子だけど」
「私はこの栗の入った羊羹が好みです。有名なお店から仕入れているのだそうで」
鞍馬、甲斐、三之御子、アナスタシアとそれぞれが色々な甘味を口にする中、金剛はお茶を口にしつつ小さく微笑んでいた。
「二人は塩分もとった方がいい」
「はい。それは軍でも推奨されています」
「軍では、南鳳財閥が10年ほど前から売り出している行軍飲料というものが導入されつつあります。味は今ひとつですが」
子供が甘味に夢中なせいか、軍という言葉に金剛が反応した。
雰囲気は変わらないが、二人に向けた視線は違っていた。
「軍か。軍では、私達の刀はまだ役に立ちそうか?」
「……そうですね、開けていない場所、少数同士の場合、刀槍中心の騎兵相手、それに夜間戦闘。この辺りは十分に」
「加えて各種術と、亜人、魔人の魔力に裏打ちされた高い身体能力と合わせれば、さらに高い効果が見込めます」
「それに銃や大砲、近代軍制や戦術を組み込んだ我々の方が、限定的な呪具しか組み込めない只人に対して優位です。彼らに魔力はなく、魔法を用いたくても用いられません」
「そうか、次の戦争相手は只人だったな。極西での戦を思い出す」
呟くように言いつつ、金剛が少し遠い目をする。
つられて二人も、同じようなところを見てしまうほどの感慨が感じられた。
「金剛様も従軍されたのですか? 軍の記録ではお名前は見かけしませんでしたが」
「従軍はしていないが、武者修行代わりに赴いた。そこで向こうの天狗達に請われ、随分と酷い戦場にも行った。南側は随分と天狗や多々羅が散っていったが、両軍共にあれほど戦死者を見たのは初めてだった」
「そうでしたか」
「うん。酷い目にあったが、新しい時代の戦さ場を体験できたのは大きかった」
「世界でほぼ初めての、無数の銃と大砲が飛び交う何十万もの兵士が戦場で一堂に会した戦争ですね。我が国は、あの戦争のような大規模な戦争を体験していないので、軍の方ではこれからの事を憂慮しています」
「戦など、体験しないに越したことはない」
「はい。ですが極西での『分裂戦争』の手助けと、その少し前にあった我が国での変革の為の内戦が、我が軍の近代化と現在の様々なものの土台となっています。あとは西方での戦争の記録と知識だけ。大東国や黒竜地域、それに他でも、大きな戦争はしていませんから」
甲斐と金剛が話すのを鞍馬は見続ける。
甲斐が仕事中以外で軍事に関することを熱心に話すのが少し珍しく感じたから、そのまま話させる事にしたからだ。
そしてそれに気づかず、甲斐は金剛との会話に没頭していた。
「だが極西の戦さは40年前。変革はその数年後。私にとってはほんの少し前だが、世の中はそうでもないんだろう。鞍馬も確かその後の生まれだったと思うんだが」
「はい。10年ほど後の生まれです」
「僕も鞍馬の一つ下です。民の多くは、戦争を知らない世代になりました」
「軍はそうでもないだろう。長生きの大鬼やそれ程でもない獣人も大勢いる」
「おられますが、天狗を含めやはり絶対数が少ないですね。上の方は、長命種は頭が固く、短命種は経験不足だと頭を抱えています」
「そうか。いつの時代も同じなんだな。それで、甲斐はどうしたい?」
金剛は甲斐に面白げに視線を向けつつ頬杖をつく。
「どう、と言われても、何かが出来る階級や役職にはありませんし、今後もその可能性は殆どありません」
「そうか、蛭子だったな。なら、蛭子であるならどうする? ただ命じられるままに戦うだけか?」
「はい。僕らは国に育てられ、国に尽くす事で生きることを許された、その、言い方は悪いですが兵器のようなものです」
「そう教えられたのか?」
金剛に少し怒気が見えたので、甲斐は仕草を含めて強く否定する。
甲斐が蛭子を兵器と言った事より、そう言った者へ向けられた怒気だと甲斐には感じられた。
「いえ、決してそのような。育ててくれた人達も教師も教官も、皆立派な方々でした。単に僕がそう思っているだけです。こんな力、個人が好き勝手に使って良いものではありません。おとぎ話の昔ならいざ知らず」
「なら私はどうなる? 今のところ、甲斐より強いように思えるが?」
金剛が今度は少し楽しそうに聞いてくる。
それに対して甲斐は苦笑しかない。
「金剛様は別格です。今の国どころかアキツの歴史全体にすら貢献されてきた、偉人とでもお呼びすべきお方ではありませんか。こうして僕が世間話をしているのが信じられないくらいです」
「私は私でしかないし、甲斐と同じただの人だ。まあ、甲斐に色々言っても仕方ないことを言ったな。許せ」
「いえ、そのような」
「うん。じゃあ一つ問題だ。近代の戦いにおいても蛭子は強い。だが限界もある。なんだと思う?」
「限界、ですか」。そう返しつつ甲斐は少し沈思する。
それを金剛だけでなく、鞍馬やいつしか二人の子供も興味深げに見ていた。
「やはり数が少ない事ですね。そして簡単に補充が効かない。これでは、個体として多少強くとも安易に戦場に投入できない。対して近代兵器と近代科学文明は、兵器と兵士を容易に多数を揃える事が可能になりました。ここ半世紀ほどの西方世界の異常なほどの隆盛は、この点が大きな要因になっています」
「確かに、三百年努力してきたアキツは、あっという間に追い越されたな。だが軍学校の教本通りすぎる。それにだ、それだけじゃないぞ」
甲斐は頭を傾げるが、隣の鞍馬は僅かに何か気づいた表情を見せる。それに金剛は気づいたが、何事もないように甲斐だけを見つめる。
その目を前に、甲斐は自ら持つ知識を披露するより他なかった。
「軍では、高い魔力の保有者の不足は、上流階級の次男坊、三男坊、一部の女子、つまり大鬼、獣人の本格的な動員を計画。実際、既にその準備も進んでいます。また、時代に応じた強力な武具の量産についても。
僕達蛭子の場合は、大軍同士がぶつかり合う戦いに参加する可能性は想定されていないので、僕が今言った不利もある程度は緩和出来ます。ただ、それ以外となると、見当がつきません」
「意外に頭が硬いんだな。鞍馬は分かっているみたいだぞ」
「そうなんですか鞍馬?」
「まあね。私の場合、死活問題でもあるから」
「死活問題?」
「魔力よ。術師は魔力が尽きたら終わり。勾玉で多少は補えても、大きな術は使えなくなる。それに体の魔力が減れば身体能力も落ちて、傷を負いやすくなるでしょ。それに魔力の回復にもある程度の時間がかかるから、連続した消耗は厳禁。常識でしょ。常識過ぎたから、頭から抜け落ちていたんじゃない?」
「かもしれません。つまり金剛様は、一度の戦いが何日も続き、兵士は魔力を回復させる時間が取れないと? ですがその点は、軍としても兵を交代で運用する事で問題回避を考えています」
「だが、極西での大きな戦は何日も連続し、しかもお互いに全ての兵士がずっとぶつかり合い続けた。それこそ休む間もなく。銃弾がいつ、どこから飛んでくるのかも分からなかった。南側の亜人達も、随分と難儀していたものだ。
戦国の世の合戦ように、一日、たった数時間で決戦が終わるという事は、今後ますます減ってくるんじゃないか?」
金剛の見識に甲斐は舌を巻いた。長命の魔人は、頭の固い者、古い考えに凝り固まった者が多いと世間一般には言われる。
だが目の前の大天狗は、彼女にとって直近の戦争を見て体験し、何が起きたのかを正確に把握、分析、そして理解していた。
それに対して甲斐は、教えられた事を鵜呑みにするばかりだった。勿論、軍の傾向と対策がしっかりしていると考えてのことだったが、固定観念に囚われているのがどちらかは、言うまでもないと考えざるを得なかった。
「どうして両手をあげる?」
「僕が愚かでした。化け物、物の怪とすら恐れられる蛭子といえど、ただの人と変わりありませんね。魔力が尽きた状態で戦場に晒されたら肉片になるのがオチです。
そして交代で休息が出来るなんて都合の良い状況を、事前の想定や演習のように敵が許してくれる筈がありません。アキツの敵となる国は、必ず何かしらの対策を考えてくる事でしょう」
「そこまで考えていたわけじゃないが、そういう事だと私も思う。まあ私の場合、合戦でなくとも、一人で戦う事が多いから魔力が尽きたらと常に考えるだけだ。だから、甲斐のように魔力の使い方が上手く極力使わない戦い方は、これからの戦いに向いていると思うよ」
「恐縮です。それに本日は大変勉強になりました。宜しければ」
「うん。これから毎日放課後は付き合ってくれ。私は楽しい」
「えーっ!」。金剛の言葉に首肯しかけた甲斐の横で、三之御子が非難の声。確かに金剛は彼女達の護衛で、護衛がいないと彼女達はどこにも行けないのだから、この非難は正当なものだろう。
それを見越していたのか、金剛が少し強めの笑みを浮かべる。
「退屈はしないよ。鞍馬は手練れの術者だ。しかも実用に長けている。学園の先生より多くを学べるぞ」
「そうなのですね。宜しくお願い致します鞍馬様」
三之御子が何かを言う前に、素早く立ち上がったアナスタシアが喜色を浮かべて鞍馬に丁寧なお辞儀をする。
そんな事をされたら、三之御子もこれ以上勉強したくないと言えなかった。
それから甲斐と鞍馬は、竜都滞在中の暇な時は皇立魔導学園に赴き、金剛達と稽古に励む事になる。