015 「出頭」
「報告ご苦労。休暇中のところ悪かったな。だが、やはり生の声を聞くと現実感が持てるな」
「ハッ、恐縮です周防参謀総長閣下。過分な評価痛み入ります」
実用性を重視した黒い革張りの椅子に腰掛け、甲斐に気さくに声をかけるのは大鬼には珍しい直毛の頭髪を持つ青鬼。
大鬼らしく大柄だが細身で、鼻筋の通った色男として知られていた。既に100歳を超えるも大鬼としてはまだ若く、今も浮名を流していると噂がよく飛び交っていた。
「感謝するのはこちらだ、『凡夫』特務大佐。三日月湖などというタルタリアの懐深くまで入り込み、しかも相手に気取られずに情報を持ち帰るのは他の連中ではまず無理だった。流石は特務の精鋭。太政官からお借りした甲斐があったというものだ。まあ、そっちに座れ。酒は無理だが、茶でも飲んで行け」
「重ねて恐縮です」
参謀総長は、文字通り陸軍中枢の参謀本部の長。軍全体の文官の長である兵部卿除けば、陸軍の頂点と言える役職になる。それを示すかのように、着用する黒い軍服の肩や袖、胸元などの階級は陸軍大将を示している。
通常なら、特務大佐が直接話す機会などなく、ましてや今のように参謀総長の執務室に入る事もない。
だから報告の後とはいえ茶を振舞われるのは、破格の待遇と言ってよかった。
そうして二人が部屋の片隅にある来客用の机を囲む頃には、香ばしい香りを漂わせた取っ手付きの白磁の湯のみが二つ、従兵によって運ばれてくる。
従兵の動きは洗練されており、兵士というよりは使用人や一流の給仕のものだ。それもその筈、従兵は周防個人の使用人もしくは家臣に当たった。
貴族出身の周防は、特権の一部として自らの家臣や使用人を従兵として側に置く事が出来る。そしてこうした状態と制度が、西方列強から見てアキツがまだ近代に至っていないとされる一因にもなっていた。
「この焙じ茶に驚かないんだな? 珈琲と言ってアルビオンの最新だぞ」
「流行りの店で飲みました。古代から残された変わった豆の栽培に成功したものを焙じたお茶だとか。この香りはとても好みです」
「流行りものに目ざといんだな。振る舞うと大抵は面白い反応を見せるんだが」
こんな細かいところに見せる周防の人物鑑定方法に興味を持ちつつも、軽く頭を下げるに留めた。
「ご期待に添えず恐縮です」
「仕事で期待以上してくれたら文句もないさ。それよりも、まだ少し疲れているようだな。北の地は、それほど大変だったか?」
「ハッ。いえ、十分に休息は取り、昨日も連れと街中に出ておりました。珈琲もその時に」
「そうなのか? ……ああ、そういう事か。羽目を外せるうちに外しておくのも軍人の務めのようなものだが、程々にしておけよ」
周防のニヤリとした笑みに、何を察し何を言われたのかを察した甲斐だったが、今度は言葉すらなく頭を下げる。何故疲れているのか、彼自身がこれ以上ないほど身に覚えがあったからだ。
「それでだ、心身共に十分に休養を取ってからだが、来週の閣議に顔を出せ。太政官の了解も得てある。そこで頭の固い連中を説得する材料になってもらう。色々と見てきた本人だからな」
「ハッ。……その」
「戦は近いのかと聞きたいんだろう。近いな。貴官らの『覗き見』でさらに確信が深まった。連中、早ければ春にも仕掛けてくるぞ。何かこう、焦りのようなものを感じなくはないが」
「……早くても夏頃と考えておりました」
「ほう。だが、夏からでは十分な戦争は出来まい。お前達も見てきただろうが、北の大地の冬は早い。連中、この冬の間に急いで兵と物資を運んで、急ぎ足で仕掛けてくる筈だ。連中の本国近くでは、随分な数の兵と物資が準備されつつある」
「そうでしたか。それで春に」
「うん。だが戦争には相手がある。こちらも事前準備が出来れば、躊躇わせるのは無理でも、付け入る事が出来るだろう」
「その為に法螺を吹けとおっしゃられるのですか?」
甲斐は少し試すように聞いてみると、切れ者と言われる周防の口元が上がる。
「そこまでは求めん。話のダシに使うだけだ。それに何かあれば、責任その他諸々は俺が全部被ってやる。お前はお偉方への顔見せくらいに思って、しっかり色男になっておけ。期待はしてないがな」
そう話を結び周防は快活に笑う。
甲斐としては、参謀総長に気に入られたと思うしかなかった。
「期待外れだ。悪いが、明日また出直してきてくれ。それに今日は沢山食べて、沢山寝た方が良い」
午後、平服に着替えてからとても上機嫌の鞍馬と合流し、ゆっくりと二人で食事を楽しんでから皇立魔導学園に行くとと、会った瞬間に金剛が露骨に落胆した表情を見せた。
加えて、側にいた三之御子が大人二人に半目がちの視線を送る。
「鞍馬、甲斐の匂いがいっぱいするわ」
彼女の横ではアナスタシアが何も理解できていない表情を浮かべているが、それに三之御子があまり子供らしくない苦笑いを浮かべる。
「アナはまだ知らないでいいわよ。私は匂いで色々分かるだけで、知りたくて知ったんじゃないから」
「は、はい。甲斐様はお身体が優れないのですか?」
「そのぶん鞍馬はお肌ツルツルみたいだけどね」
子供にそんな事を言われては、甲斐だけでなく鞍馬も大きく苦笑いを浮かべるしかなかった。
思い当たる事が大いにあり過ぎた。
「御子様は、匂いで色々と分かるのですか?」
「うん、まあね。あ、でも、悪い事じゃないし、大天狗にはそういうのがあった方が良いって事も知ってるから」
「そうだな。大天狗に必要なのは、気力や生きがいのようなものだから」
「そうなのですか金剛様?」
「うん。千代の命を持つと言っても、生きる気力を失い、それが何年も続くと病み、やがて死に至る。大天狗は千代に生きるが、魂が徐々に死んでしまう事がある。何人も見てきた」
思いもよらない金剛のしんみりした話に、聞いた一同は言葉を続けられなくなった。
だが金剛は自身の言葉は気にしていないらしく、言葉を続ける。
「だが鞍馬はまだ子供も子供だから、気にする必要もないよ。若いうちは関係ない」
「もう十分に大人です」
「私から見れば、御子様達も鞍馬達も同じ子供だ。百歳を超えてから、生意気な口を叩くんだな」
少しムッとした表情で言葉を返した鞍馬に対して、金剛はあくまで自然体だった。彼女にとっては当たり前すぎる事だからだろう。
だからこそ甲斐は、彼女の年齢が気になった。
「ところで、我々の命令系統上での上官に当たる太政官の白峰様が齢千年を越えると噂で聞き及びますが、金剛様は同じ時代の方なのでしょうか?」
「白峰? ああ、白峰山の太郎坊か。いいや、私の方が随分と年嵩だ。私と同じくらいかそれ以上の歳の者は、どこかの霊山に行かないと会えないだろうな。かくいう私も、何年か前に何十年ぶりかで山から降りてきた。鞍馬と会ったのもその時だ」
「そうだったのですね」
「うん、そうだ」
「……」
「大天狗は、戦国時代以前の古代から中世の世捨て人の世代、戦国時代の激減期の後に増えた隠居世代、それに私も含めた変革に応じるべく多産運動で生まれた新世代に分かれているのは、前に話したでしょ」
甲斐は少し話を聞きたかったが金剛があまり答えようとしないので、鞍馬が助け舟のように話してくれた。
「確か、古い世代が半数、残り二つの世代がさらに半数ずつ。合計で千人いるかどうか、でしたっけ?」
「ええ。多くが竜都と古都周辺、もしくはどこかの霊山。密度で言えば、この学園が一番多いんじゃないかしら。講師で随分と招かれているし」
「うん、私も目立たずに済んで助かっている。でも、鞍馬のように軍に居る者は少ないな」
「私は生まれとこの髪の色もあって天狗と見られていますけどね」
「大天狗の蛭子も、私が知る限りでも十人は居るんだけどね」
「そんなにいるんですか?」
予想外の言葉に、甲斐は思わず声を上げてしまった。
鞍馬も少し意外そうな表情をしている。知らなかったという表情だ。
「いるよ。大天狗は高い魔力を持つだけに、蛭子に生まれやすい。古い昔には随分と赤子が死んだ。今は種族内に蛭子を癒せる者が多いから、表立たないだけだ」
「そうなのですね。その方々はどうされているのですか? 蛭子衆には、鞍馬以外にあと一人しか見ないのですが」
「古い貴族の家の者が多いし、それに年嵩の者が多い。表に出てくる事は殆どないだろうな」
「そうですか。その方々のお力を国の為に発揮して頂ければ大変心強いのですが、そういう事情では致し方ありませんね」
そんな話をしていると、「金剛と甲斐達が手合わせしないんなら、私たち行くね」という声が少し下から聞こえてきたので三人がそちらに向く。
そうすると、もう三之御子がアナスタシアの手を引いて駆け出すところだった。
「そういうわけだから、私もこれで。甲斐、今夜はほどほどにして明日は万全の態勢にしてくれ。本当に楽しみにしているから」
「はい。ご期待に添えるよう尽くします」
「尽くさなくても普通で構わない」
苦笑しながら、金剛も三之御子とアナスタシアを追っていった。金剛は護衛だから、彼女達が立ち去ると言ってもつき従わないわけにはいかない。
その姿を見送りつつ、甲斐と鞍馬は苦笑していた。
「だってさ鞍馬。今夜はお手柔らかに」
「お手柔らかにして欲しいのはこっちよ。それより、今夜は精が付くものを沢山作ってね」
冷静なままの返しに、甲斐の方が軽く意表を突かれる。
「え? 僕が作るんですか?」
「私が作るよりずっと美味しいじゃない」
「僕は鞍馬の手料理を食べたいなあ」
「まあ、その辺は買い物しながら決めても良いでしょう。さあ、まだ官舎の近くの市場は開いている時間よ」




