099 「戦闘糧食(1)」
・竜歴二九〇四年六月下旬
「ねえ大隊長、タルタリアの鉄道敷設を邪魔しないのはなんで?」
「今更それを聞くのか?」
「でもさ、説明なかったよね。するなってだけで」
地形により周囲からの視界の多くが遮られている場所に設置した野営地で食事中、不意に朧が大隊長の甲斐へと問いかける。
そうすると、同じように食事中だった周囲の者達も大なり小なり興味を持った雰囲気を見せる。普段通りなのは大隊副長の鞍馬くらいだ。
「軍人は命令どおり動けばいい。と言いたいところだが、実のところ僕も聞いてない。ついでに言えば、村雨さんには一度聞いた」
「要塞の人には?」
「大隅閣下にか? 相手は大将だぞ。特務大佐ごときが聞けるわけないだろ」
甲斐は呆れ口調で返すも、朧は首を傾げる。
「でもさ、特務って同じ階級より一つ上扱いだよね。それに特務の大隊長だから将軍扱いじゃないの?」
「階級と役職は関係ない。特務は同じ階級以上、上の階級以下。命令権もない代わり、命令される事もない為に設けられたものだ。学校でも習っただろ」
「うん。そこはね」
朧は頷きはするが納得していないと甲斐は感じるが、彼自身もそれ以上深くは知らなかったので箸が止まる。
「そこもここも関係ない。それとだ、食事中とはいえ、ここは前線で、お互い階級章の付いた軍服を身につけていると思うんだが、僕の気のせいか?」
「ご飯の時くらいいいでしょ。息が詰まり過ぎるよ。ただでさえ僕は海外領出身で古馴染みがいないんだから」
「……まあ、確かに」
大袈裟気味に体を動かして表現する朧に甲斐は思わず頷かされ、それを周りが苦笑していた。
「でしょ。それに前にも一度こんなやりとりあったけど、構わないって言ってくれたじゃない」
「それは正規の任務じゃない時だ。でもまあ、僕達以外はいないから、食事中と任務外だけだぞ。ただし、誰か来たらちゃんとしろ」
「りょーかいであります、大隊長殿。あと、贅沢言えば大隊長が作った料理を食べたくあります」
箸を持ちつつ可愛く敬礼を返す朧だが、甲斐はにべもない。
「そんな暇はない。それにうちの糧食班の飯は美味いだろ。他で料理の修行をした者もいるんだぞ」
「まあ、美味しいけどね」
やや不満げな朧の表情を一瞥すると、甲斐は飯盒の米と麦が混ざったごはんを掻き込む。軍の食事で米と麦を混ぜるのは昔からの伝統だ。
「それに温かい飯が食えるだけ良いだろ」
「僕らには魔法があるもんね。でもこれって、鞍馬や吉野達が用意したんじゃないよね」
「官給品よ」
「あとは、足りない時の魔力の手助けくらいですね」
甲斐と朧の会話に、品よく食事をする鞍馬と静かに食べる吉野が言葉を挟む。
「手持ちの勾玉を使うのも勿体ないもんねー」
「他国だと、兵営でもない限り本当の熱々料理は中々食えないぞ」
「それに綺麗な水は、魔法以外でろ過して煮沸した水くらいですからね」
「軍隊も日常の延長だものね」
大隊本部の4名の将校達が会話するように、食事など生活面でもアキツでは魔法が深く浸透している。というよりも、生活の一部だった。
簡単な魔法は、魔力を帯びた文様や文字で描かれた札と、使用者か勾玉の魔力を使い発現される。
「これがものを温める「温熱札」、こっちが水を浄化する「浄水札」」
「あと普段使うのは、灯りで使う「灯光」と火種を作る「発火」それに、身を綺麗に保つ「清めの札」ですね」
「色々温めるお札は?」
鞍馬と吉野、二人の熟練の術者に朧が問うと、吉野が腰から別の札を出す。
「体を温める「懐炉札」や「温身札」、湯を沸かす「煮沸札」、色々ありますね」
「でも、どれも火はつかないんだよね。発火は別だけど」
「発火も単なる瞬間的な高熱よ。燃えるものが必要でしょ」
「ああ、そうか」
「他の熱を発するのは、札自体に耐熱の術も施されているから燃えにくいだけで、火をつけられるやつもあるわよ」
「それ、したことある。何にせよ、摩擦で火を起こすとかより断然便利だよね」
「それに札は紙だから持ち運びに便利ね。アキツや東方の術が普及した大きな理由よ」
「うわっ。スキあらば講義してこなくてもいいでしょ」
朧のうんざりげな表情に周りも笑う。
だが鞍馬の言うように札は多数を持ち運べ、アキツの軍隊では非常に重宝していた。
只人の国ではこうはいかない。しかも西方魔法は閉鎖的な傾向が強く、アキツほど普及していなかった。
一方でアキツの陸軍は、魔法とは関係なく特徴がもう一つある。
甲斐達の状態が示しているように、高級将校でも一般兵と同じ食事をする事だ。
アキツと同様か似ているのは、西方諸国ではゲルマン陸軍など一部の国に限られている。大半は、階層社会の弊害、旧来の伝統や習慣の影響で将校と兵士は違う食事をとる。
アキツの場合は昔から伝統階級が尚武や質素さを好むため、将兵は量以外で同じ食事を取る伝統があった。
それでも准将以上には従兵の給仕が付くが、食事内容は同じだ。違う食事を取れる制度はあったが、食材から調理人まで自前となる。
それも前線配備の場合は、補給体制を混乱させかねないとして原則禁じられている。
陸軍大将も二等兵も、基本同じものを食べる。
そんな食事に関して、アキツ陸軍は本国の外で戦う外征軍としての側面が強いのも影響していた。
アキツ陸軍は、本国から離れた場所で補給が難しい状況に備えての事だった。また、アキツが広大な勢力圏を有するので、軍全体での均一性の維持に力を入れているからでもある。
勢力圏の大半が、船で移動できる大東洋地域の海に面しているとはいえ、他国との境界線が内陸奥地の場合も少なくない。補給は、アキツ陸軍を常に悩ませる問題だった。
鉄道の時代が来ても、大きな変化はなかった。
しかも甲斐達は、将校と下士官だけで編成されているので、階級の格差はさらに小さい。
兵営以外で食べる場所、環境も同じで、『浮舟』の隣の簡易天幕の下で折りたたみ式の机と椅子は使っていたが、他との違いはそれくらいだ。食器も各自が携帯する飯盒を使う。
飯盒は軽量金属のアルミニウムが安価に量産されるようになった数十年前、西方諸国とアキツでほぼ同時に採用された。
現在の形になったのも新しく、まだ10年ほどでしかない。
原型はどこで出現したのかが議論になる事もあるが、先史文明の遺跡からの発掘だと言われる。
飯盒は容量約2リットル。本体、蓋、掛子で構成され、糧食班が作ったごはん(炊飯した米や麦)や汁、副菜を載せて食べる。
飯盒で米や麦を炊飯したり、蓋で調理できるように取っ手付きがアキツでは試作されたが、糧食班が編入されない小規模な部隊が用いるに止まっている。
この時の甲斐達は、医療、浄水、炊事用の『浮舟』に設置された野外炊具と名付けられた野外用の台所で、炊事兵がまとめ野外調理を行っている。
動く台所の野外炊具自体はアキツ陸軍全軍に導入され、各部隊の糧食・炊事を担当する部隊に馬車牽引の形で配備されている。
アキツでの糧食・炊事を専門の担当部隊や炊事兵が行うのは近代化以前からで、天下泰平の時代初期の海外遠征での苦い経験から導入された。
そしてさらに西方からの技術、文物の取り入れを経て現在の形に変化している。
加えて、甲斐達の野外炊具は最新型で、煮沸、煮炊きは魔法ではなく勾玉を熱源としている。
また、近代技術と魔法の双方を用いた浄水装置も併設されているので、清潔な水を十分に使うことができた。
似たような装備は西方諸国でも導入されているが、アキツ陸軍のものとは違っている。違いは魔法を用いるかではなく、主食の違いから来ている。
アキツなど東方は米が主食の地域が多く、西方や世界の多くの地域では各種麦が主食だ。また半ば副食として、栄養価の高い芋を食べる。
西方諸国の野外炊具は、各種麦を用いた麦餅を焼く竈(パン焼き竈)と、調理釜で汁物などを調理する鍋に別れる。
麦餅は様々な麦を用いる西方世界での主食だが、軍隊では日持ちさせる為に水分が少なくなるように焼く場合が多い。この為、大量の汁物かお茶など飲料がないと食べ辛い。
兵士一人当たりの一日の食事量は、細かな違いがあるが各国ともに似通っている。
アキツは亜人、他の国は只人中心だが、必要とされる食事量に大きな差はないからだ。
ただしこの時代は食事面での熱量の概念が十分普及していないので、半ば経験則からの食事量という事になる。
アキツと関係の深いアルビオンの陸軍の場合、兵士1人当たり1日当たり小麦558グラム、ジャガイモ620グラム、牛肉620グラム、豆75グラム、砂糖100グラム、塩20グラム、ラード、バターなどの油脂合計35グラム、などが支給される。
合計で一人当たり約2000グラムになるが、この量は一般の食事量よりかなり多い。
だがどこの国でも、兵士は食べさせないと力を発揮できない。重い荷物を持って一日中歩くなど、激しく動くためだ。
だから一般の場合より多くの熱量、食事が支給される。
支給物の中には事前に加工された状態で渡されるものもあり、肉も一部が缶詰の場合がある。そして当然だが、調理した上で支給された。
また他に、嗜好品も兼ねて各種酒類が支給される。
アルビオンでは麦酒又は葡萄酒で、酒精の強さによって量が多少変化する。
他に嗜好品として茶葉、煙草も支給される。
アキツの野外炊具は、アキツでの主食である米を炊飯する炊飯釜と汁物などを調理する調理釜の両方を持っている。焼き料理の調理も、専用の鉄板や野外用の調理器具で行うことができる。
甲斐達の装備の場合、併設された浄水装置からお湯を供給する事もでき、それで温かいお茶が飲めた。
そうした配慮は食事は兵士の数少ない娯楽だからで、野営地では二交代ながら野外炊具のある『浮舟』の周りでそれぞれが十分な食事をとっていた。