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封建制に関する私的まとめ

作者: 高瀬

 前回の記述だとやはり封建制の説明が不足していると感じたのと、自分の今のところの理解をまとめるためにも書いてみたりしました。長くなりすぎて自分でも何を書きたかったんだっけ?となったので要約を兼ねたまとめを最初にもってきてみました。


〇まとめ

 中世西欧の国王がいて、各地を爵位貴族が治めている社会を封建社会と呼びます。小説ほか創作の中だと、国土を統一した国王が功績を挙げた配下に爵位と領地を与えることで出来上がった国家、なんてイメージがあるのではないかと思いますが、大抵の場合はそうではありませんでした。この通りなのはイングランドくらいですかね、ただしイングランドの場合は余所者がそれまでの支配者層を全部叩き潰して支配者になった事例ですが。ヨーロッパ本土では一度は西欧の過半を支配したフランク王国が崩壊する中で各地に爵位貴族の領主(封建領主)が生まれ、封建社会が誕生しました。この封建領主の多くはフランク王国の後継王国によって新たに領主に任命されたのではなく、以前からの在地の権力者や他の土地から流れてきて定住した勢力に対して主従関係と引き換えに爵位と地位が与えられた事例が多く、つまりは現状追認と結果として誕生したところが多数でした。その中でも特に有力な封建領主は「諸侯」と呼ばれ、名目上は国王を主君と仰いでいても、実際のところは自由に活動していました。この辺は割と日本の室町時代あたりのイメージが近いですかね。一応は幕府の統治下にありましたけど有力守護は勝手に活動していましたから。まあ西欧は権威者が複数いるのでよりややこしいですけど。室町時代ってマイナーでは?感もありますが、今は『新九郎奔る!』とか連載されていますから例に出しても大丈夫……だと良いなあ。

 封建領主の収入は領民への課税や各種施設・狩猟場・漁場の使用料のほか、裁判権を持っていれば判決の罰金も領主の収入でした。貨幣不足なのもあってこれらは収穫物などの現物や賦役という形で納められることも多く、納められた現物を売却することで領主は金銭を得ており、売却利益を確保するために領主は優先売却権などの商業上の特権や、醸造など加工の権利も保有していました。こうした収入と引き換えに領主が主君に負っていたのは、軍役や会議・式典への参加などの助力を行う義務でした。領主は助力の一環で一時的に主君に対して金銭を提供することはあっても、恒常的に領地収入に対して国家から税をかけられることはありませんでした。創作だと領地で災害が起きたせいで国に税を納められない、みたいなエピソードが時々ありますけど、あれってどこから来ているのでしょうね。日本史を見ても大名・藩が自領で集めた年貢の一部を定期的に幕府に納める、みたいな例もほぼないですし。

 中世以後の封建領主の行末は地域によって異なります。ドイツのように封建領主的な枠組みがかなり後まで残ったところもあれば、フランスなどのように徴税権や裁判権などの領主権は各種貴族特権と引き換えに国家に取り上げられて貴族兼地主や地方名望家へと姿を変えたところもありました。イングランド(イギリス)の場合は議会への参加権を通じて国政に深く携わり、貴族として現在まで生き残っています。まあイングランドの高位貴族家は薔薇戦争で一度壊滅しているので中世の領主とは断絶があったりもするのですが。

 最後に、創作と封建制ですが、戦記物なんかは当然相性がとても良いです。西欧の場合は下克上はあまりないのですけれども、オリジナル設定ならば小邦からの拡大など色々と胸躍る話が出来るでしょう。また中世西欧の歴史物を題材にするのであれば避けては通れないところでもあります。一方、本当は相性が良くないと思うものとしては、色んなジャンルで国中の貴族子弟が全員集められて通うことになっている学園が出てくる作品がありますが、封建制下では王家と領主の力関係はかなり複雑というか王家(国家)の力が強くないので特殊な事情がなければ学園の成立は難しいのではないかと思います。あと貨幣経済も封建制の成り立ちと終焉を考えると相性が良くないですね。国家体制がしっかりしていて役人の頭数を揃えられるなら各地の領主は世襲制にせず任命制・任期制にする方が国家の統制上は有効なわけですし、お約束となっているのはわかりますが、百年単位で領主を世襲に任せていてよく国がまとまり続けていられるなとも思ってしまったり。王侯貴族が治める国家、というのはテンプレ化していて使いやすいのはわかりますし、舞台背景として使うだけならばテンプレで構わないと思うのですが、主題ではないのだとしても「社会」が変わる話を書きたいのであれば、その変わる前の社会についてもある程度の精密さ(実際の歴史通りである必要はなくて、どうしてそんな社会なのかという設定)は必要なのではないかなと思います。裏設定的な話になると思いますので作中に出せるとは限らないでしょうが、何も無ければ自然と封建制社会が誕生するかというと決してそんなことはないので。


 手短にまとめるつもりで書いたまとめ部分だけでもなんだかんだ長くなったのでもうここまでで良いのではないかなという気もしますが、せっかく書いたので残りの本文も下記に載せておきます。内容的に重複するところもあります。



〇封建制という言葉について

 封建制とは?という話の前に寄り道を少し。日本語の「封建制」という言葉の由来としては、古代中国の王朝「周」の社会制度に関する議論が中国古典を通じて伝来したのが最初でした。江戸時代には鎌倉時代以来の武家による支配体制を示す言葉として使われるようになり、その後明治時代に伝わった西欧のレーエン制などに対しても「封建制」という訳語が当てられたことで「封建制」という言葉は古代中国から日本の鎌倉~江戸時代、西洋の中世といった幅広い時代・地域の制度を指し示す言葉になりました。現在では「土地の収入と引き換えに軍役を求める制度」という大枠の意味合いからビザンツ帝国やイスラム諸国などの一部制度も封建的制度と解されており、同じ「封建制」であっても対象の地域や時代により内実には様々な差があります。


〇西欧の封建制の成り立ちについて

 封建制の成り立ちについても触れておきます。西ローマ帝国の滅亡後、西欧はいくつもの国家が興亡を繰り返していましたが、やがてフランク王国による統一が進み、九世紀初頭シャルルマーニュ王治世の最盛期には現在のフランス・ドイツ・オーストリア・イタリア北部などがフランク王国の領土となっていました。しかし、シャルルマーニュ王の死後、分割相続の習慣による王国分割からの内乱、東からはマジャール人などの遊牧民族の侵入、北からはノルマン人の襲来、南部の地中海沿岸ではイスラム海賊の襲撃といった具合に各地で戦乱が相次ぎ、王国領内は荒廃が進み、地域毎に孤立化していきます。この結果、各地で交易が止まって貨幣が不足し、現物によるやり取り(物々交換)が主軸となっていきました。そしてこのことが現物を生む土地のやり取りを基軸とする封建制の誕生へと繋がっていったと言われています。ざっくり言えば給料として支払う金がないから土地から取れるものが給料ね、という話になったということですね。

 あとこれは蛇足ですが、フランク王国は各地を治める方法として、一定の範囲毎に管区を設定し、管区毎に「伯」と呼ばれる地方長官を置く方法を採っていました。この伯が独立・世襲化し、伯爵へと繋がっていきます。伯の中でも異民族との最前線(つまり辺境)に置かれて広い権限を与えられていた伯は辺境伯と呼ばれていました。宮中に置かれた宮中伯もそうですが、この〇〇伯という称号は爵位称号というよりも役職としての意味合いが強い称号と言えます。単語としての辺境伯(ラテン語marchio)は侯爵(英語marquess)へと転化していきましたが、実際の辺境伯家は必ずしも侯爵になったとは言えないのがややこしいところです。


〇西欧の封建制について

 あれこれ寄り道しましたが西欧の封建制とはどのようなものであったか述べていきたいと思います。前回の記述とかぶるところもありますがご了承ください。

西欧の封建制社会とは主君が臣下に一定の土地の領主権(支配権)を与えてその土地の保護を約束する代わりに、臣下は主君に対して軍役や助力を行うことを約束した契約の積み重ねによって成り立っている社会制度のことを言います。契約の積み重ね、と書いた通り、臣下(封建領主)は主君への軍役を果たすために与えられた土地の一部を自身の家臣に与えて軍役を約束させ、場合によってはその家臣はさらに自分の家来に土地の一部を与えて軍役を約束させ……という具合にいくつもの契約関係が積み重なっていました。契約関係の最下層には常に耕作地や保護と引き換えに収穫物による納税や兵役を含んだ各種賦役の義務を負う農奴が存在しており、封建制と農奴制は切り離せないものとして論じられたりもします。とはいえ農奴制はそれだけでも十分深い話になるのでここでは流しておこうかと。単純化すると下図のようになりますが、間に中間層がもっと増えることもありましたし、また主君や封建領主も自身が直接支配している土地を持っていましたので、あくまでも全体の一端を切り取って上の立場から見た例示だと思って貰えればと思います(この図の一番下の農奴から見れば領主家臣が農奴にとっての「領主」に当たるわけですし)。


挿絵(By みてみん)


 全ての関係に土地のやりとりが入っていることからもわかる通り、封建契約は必ず土地を媒介として結ばれる契約であり、人々は土地に紐付けられていました。保護の関係が必ず入っているのは下からの封建制成立に至る流れとして当初は戦乱から身を守るために自身の土地・財産・身柄を有力者に差し、その代わりに庇護を受けるという動きがあったからです。ただしこれはやがて結果としての支配権の追認を求めて庇護を求める、という流れに代わっていきます。

 上図だけだとシンプルな社会制度に思えるかもしれませんが、実際は様々な理由により複雑な構図を描いていました。一つは、一人の人間が立場の異なる複数の地位を兼ねることができた点です。例えばフランス諸侯の一人であるノルマンディー公ウィリアム一世はイングランドを征服しイングランド王になりました。ウィリアム一世はその後も引き続きノルマンディー公でもありましたのでフランス王の臣下として軍役の義務などを負うことになっていましたが、あくまでもノルマンディー公としての範囲の負担であり、イングランドの領地は負担を計算する上での対象に入りませんでしたし、イングランド王の臣下はフランス王の臣下として扱われることはありませんでした(自意識としてはフランス人だったようですがこの辺は本題から外れるので省略)。しかもノルマンディー公のような複数の伯管区を束ねた大規模領主は「諸侯」と呼ばれ、建前上は国王の臣下でしたが実質的には同盟者のような立場であり、臣下としての義務を常に履行していたとは言えず、国王の意向を気にせず自由に活動し、建前と実態には乖離がありました。上図で「主君」と書いて国王と書かかなかったのは、このような諸侯が実質的には主君の立場に置かれることもあったからです。

 他の理由としては封建契約では複数の主君を持つことは制限されておらず、複数の主君を持つ封建領主がしばし存在したこともあげられます。一つの土地を複数の主君から保護してもらっている場合もあれば、複数の主君から別々の土地を与えられている場合もありました。これは忠誠という概念が無かったからではなく、それぞれの主君に対して軍役を果たせば良いと考えられていたことや、それまでその土地を治めてきた人間に対して既存権益の追認という意味で封建契約が結ばれる場合も多々あり、実際に土地を統治している下の立場の方が強い面もあったためです。前述の国王・諸侯といった世俗勢力だけでなく教会も教皇領・司教領として領地を形成しており、主君となりえる勢力が複数存在していたこともこうした事態を招きました。このため封建制下においては国家同士の勢力圏が常に明確であるとは限りませんでした。

 また、封建契約が双務的なものだったことも封建領主の立場を補強しました。主君に対して不満があれば臣下の側から契約を打ち切ることも可能であり、実際に臣下が反乱を起こした例も多数見受けられます。これらの反乱は王位を請求するものではなく、臣下の権利の保障を要求したり、交渉の一環であることが多く、反乱軍が勝利しても玉座の主が変わるとは限りませんでした。イングランドのマグナ・カルタの制定なんかこのパターンですね。

 上記のような話をざっくりまとめると、中世西欧の封建制社会下では国王がいて各地を有力貴族領主が治めていましたが国家としてのまとまりは緩く、有力諸侯は国王に従わずに好きにやっていました、という話になります。このあたり、特に現在のフランスがいかにバラバラであったかはWebではWikipediaの当時の王朝・国王関連のページに掲載されている勢力図を見るとよくわかりますし、ゲームだとParadox社の「Crusader Kings」「Europa Universalis」シリーズにおいてよく反映されています。


〇封建領主について

 ざっくり言って、国家(主君)が地方を直接治めるには金もなければ役人の数も足りないので、対象の土地から取れる税を給料とする代わりに、その土地の統治の一切を領主の権利(領主権)として認められているのが封建領主でした。この領主権が西欧の封建制の特徴の一つで、ビザンツ帝国やイスラム諸国の封建的な制度では与えられるのは土地の徴税権に限られており、土地を統治する権利は与えられませんでした。そんな領主権にはどのような権利があり、それと引き換えに封建領主はどのような義務を負っていたのかについて本項では触れていこうと思います。とはいえ例によって地域・時代によって変化がありますので以下に記述していく権利をすべての封建領主が保持しているとは限りませんでした。また、封建制が崩れるにつれてその権利がどうなったのかについても触れていきます。

 収入に関する権利の話からすると、どのような規模の領主も自身が支配する土地に対して直接税・間接税を問わず課税権を持っており、税額やどのような税を設けるかも自由に設定できました(調べると真偽のほどはともかく色々な税があって面白くもあります。税をかけられる方はたまったものではなかったでしょうが)。かまどや水車小屋などの公共施設の使用料や、狩場・漁場の使用権、関所の通行料のほか、裁判権を持っていれば判決の罰金も領主の収入となりました。ただし貨幣は常に不足しており、税は収穫物や獲物のような現物で納められることが基本でした。そして税として納められた現物を売却することで領主は金銭を得ており、利益確保のために優先先買権や優先売却権といった商業上の特権を保持していたほか、醸造などの加工の権利も領主が保有していました。領内の各種資源のうち鉱物資源のような重要資源については国家の所管とされましたが、産出物を買い取り加工して販売することは認められていましたし、産出量が落ちた鉱山などは払い下げられることもありました。この他、各種賦役や兵役も税の一種と見做すことができるでしょう。ただしこうした収入と引き換えに領主は領内に関するすべてに責任を負っており、行政権を持っていたというと聞こえは良いですが、その負担は重いものでした。各種公共施設の維持や後述の主君のための軍役などのために支出も多く、財政に余裕があるとは言えないどころか商人から借金をすることも多く、そしてそれを踏み倒すこともしばしありました。

 上記のような封建領主の「給料」は国家の中央集権化が進むと共に国家の管轄に移っていきます。特に裁判権は立法権との兼ね合いもあって早めに取り上げられる傾向がありました。課税権などの行政権についても段階を踏みつつ免税特権などの貴族特権と引き換えに国家のものとなり、旧封建領主家には爵位などの名誉以外には土地の所有権と土地の利用料(地租)のみが残されることとなります。大規模地主となる家もありましたが、多くの旧領主家は分割相続によって財産が散逸し、国家に官僚・軍人・役人など様々な形で仕えることで家を存続させました。

 封建領主に税を納める領民の大半は農奴でした。すべての領主は自身の支配する土地に属する農奴の移動・結婚・転職・土地の購入などを制限する権利を持ち、賦役や兵役も領主の判断で自由に課すことができました。賦役は年間に働く日数が決まっていましたが、短いところは年に数日、長いところは年に数か月というふうに領地によってかなり違いがありました。仕事内容も基本は領主が所有する畑を耕すことでしたが、なかには領主館の周囲でカエルが鳴かないように追い払う仕事、なんてものもあったようです。いくつかの要因により(詳しくは後述)農奴制から独立自営農民(自身で土地を保有し、土地の使い道を自由に決められる農民)への転換が行われるとそれにあわせて農民に対する領主の権利も失われていきましたが、代わりに土地使用料は農奴制の時よりも高く設定することができました。ちょっとこの辺、まだ自分も勉強不足で掴み切れていないところがあります。

 他に領主の重要な権利として議会への参加権があります。すべての領主に必ず参加権があったわけではないですが、イングランドのように国政に関する場合もあれば、フランス・スペインなどのように地方議会への参加が主だった場合もありました。前者は有名なので省略するとして、後者の地方議会も場合によっては国政に大きな影響を及ぼしました。特にイベリア半島では国家同士の合併が繰り返された都合で国家行政も地方毎に別れており、スペインでもその前身となったアラゴンでも地方議会の影響は大きなものでした。

 上記のような諸権利と引き換えに主君から領主が一番に求められたのが軍役であり、国王や諸侯の権威は各地の封建領主から集められた軍隊によって支えられていました。軍役の期間はゲルマン法の習慣から年に四十日間と定められており、それ以上の従軍には主君が補償を行うことになっていました。ただ実際のところは支払われないこともしばしあったようです。当時の軍隊の主力は重武装した騎兵つまり騎士たちであり、動員できる騎士の数を増やすために領主たちは自身の土地の一部を家臣に分け与え騎士に任じました。当初はあくまでも軍役を果たせない場合の臨時の代替措置として軍役を金銭の納入で済ませることが認められていましたが、時代が進むにつれてこの金銭での代納が主流となり、これにあわせて国家の軍隊の主力も領主の軍から傭兵や常備軍へと切り替わっていきます。常備軍の制度が設けられた当初は領主が兵の募集を担当し、そのまま集めた兵を率いることもありましたが、制度の整備が進むと国家の役人・軍人が全て行うようになり、領主からは一切の兵権が失われました。また身分としての「騎士」の叙任権も国王のみの特権となっていきます。

 軍役の他に領主の義務として主君が領主に求めたのは宮廷の会議・式典への参加や一時的な資金援助でした。常にすべての領主に対して会議への参加が求められたわけではありませんが、この主君の宮廷への参加は前述の議会への参加権へと繋がっていきます。資金援助は王の身代金の支払いや王子の騎士叙任、王女の結婚といった特定の事柄に限られており、一時的なものであって恒常的なものではありませんでした。基本的には国家が課す税は国家の役人が集めるべきものであり、物語でしばしあるような、領主が領地収入から国家に税を支払う、ということはありませんでした(所得税が生まれるのは近代以後ですし)。

 封建領主が軍役その他の義務を履行しないことによる懲罰は様々でしたが、主君と封建領主との力関係によっては有耶無耶になることも多々ありました。前項で触れた国王と諸侯の関係とかがまさにこれですね。

 封建領主の地位の更新についてですが、封建契約は主君と臣下のどちらかが死亡する度に更新されることとなっており、特に臣下の側が死亡した場合は形の上では一度与えられていた権利を主君に返還した上で、改めて後継者と封建契約が結ばれることになっていました。軍役の都合もあり幼少の継承などに主君が介入することがないわけでもなかったようですが、基本的には直系男子の世襲によって継承されました。後継男子が複数いた場合は分割相続が行われることがあり、逆に後継者がいない場合はその領地は主君のものとなりました。婚姻を通じて遠縁の人間が継承することはありましたが養子による継承は認められていませんでした。


〇封建制の終焉

 中世の終わり、十五世紀頃に西欧での封建制は一つの終わりを迎えます。理由としては諸説ありますが、ここでは二つの要因を挙げておきます。一つは中世を通してヨーロッパ各地で開墾が進んで食料生産量が増えたことで人口が増加し、経済活動が活発になって貨幣経済が普及したことです。これによって納税が現物ではなく金銭で行われるようになり、領主たちは増加した現金収入を使って軍役の義務を金銭で代替しました。この結果、主君の下には軍隊ではなく金銭が集まるようになり、この金銭によって国の官僚機構や常備軍の整備が進み、国家権力の強化が進む一方で領主権力は解体されていきました。金が無くて役人を雇えないから領主を任命していたけど、金があるなら役人に任せれば良いじゃないか、ということですね。もう一つはペストによる人口の減少です。下層階級ほど被害が大きく、兵役を担っていた農奴の人口が減少したことで領主たちは兵士の数を集められなくなり、軍役の義務を果たすことができなくなりました。この結果、従来の制度のままでは国王や諸侯の権威を支えた軍隊を集めることができなくなり、新たな制度が模索されていきました。先に少し触れた農奴制から独立自営農民への転換も減少した農奴が逃散して更に減ることを防ぐための待遇改善措置の流れによるものと言われています。とはいえこの農奴制からの転換も農奴の側に土地を買えるだけの経済力の下地があったから、つまり経済発展と貨幣の普及の影響のおかげと言うこともできます。このように貨幣経済の普及とペストによる人口減少のどちらの影響がより大きいかを明確にするのは難しく、単に封建制の基盤となっていた農奴制の解体の理由をまとめる時に話の流れで使いやすい理由が使われているだけなのかなとも思われます。なおペストにより人口が減少したのなら封建制成立期と同様に経済活動も縮小したのでは?と思われるかもしれませんが、そんなことはありませんでした。中世末期の人口を古代末期~中世初期と比較すると約二倍の人口だった考えられており、ペストによって社会規模が封建制成立期まで逆戻りしたわけではありませんでした。

 封建制というものはその成立期の社会状況にあわせて成立したものですから、人口の増加や経済発展により社会状況が変化すればまた別の制度が求められるのは必然でした。しかし数世紀続いた強固な地方分権的な仕組みを変更するのは容易ではなく、絶対王政と言える制度を確立できたのは一握りの国だけで、一応は主権国家として一つのまとまりを作れた国々でも様々な形で近世以降も影響を残し続けましたし、強力な国家権力が生まれなかった地域(有名どころではドイツやイタリア)では封建的な仕組みが近代まで残り続けることになりました。


〇創作と封建制

 冒頭のまとめでも書いた通り、封建制と相性の良いジャンルはやはり戦記物でしょう。あとは当然中世~近世の歴史作品を書くのであれば避けては通れないところになります。冒頭で書かなかったことを書くとすると、作中に安定した封建制国家を登場させたいのならば西洋の封建制を参考にするのではなく、江戸時代の幕藩体制を参考にして、要所を抑え広大な国王直轄領を持つ国家とか設定すると説得力があるんじゃないかなと思います。ファンタジー作品でいくなら特殊能力とかそういうのでも良いと思いますが、とにかく権力の基盤となる権威や武力がしっかり確保されていれば、どんな制度であってもそういう国なんだと押し切れるのではないでしょうか。


 色々と書ききれなかったところや調べが足りなかったところもありつつ、一応きっちり書いてみたら大分と長くなってしまったのですが、節ごとに話を分けるくらいの方が良かったでしょうか。とはいえそれだと、短い話が続くだけで却って手間な気もしますし、どうなのでしょうね。

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