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「エイファさん、それはこちらへ持って来てねぇ」
「はい!マージさん」
ホテルのバックヤードを通り掛けに妹の姿が見えたので、どこかの古い野球漫画のお姉さんの様に、柱から半身だけ晒しながらエイファの働きぶりを観察する。
それでも仕事に一生懸命なエイファは私に気付いていない様子。
うんうん、頑張ってるねぇ~。
結構大きな箱を直属の上司であるマージさんの指示に従ってテキパキと運んでいる様子は微笑ましい。
だって全力で仕事を覚えて、それを上司に認められたい感が見て取れるんだもの。エイファって素直な女の子らしい子だと思う。思いっきり食いしん坊だけどね。ふふ。
エイファが箱を抱えたままマージさんに指定された所に箱を降ろすと、今度は奥の倉庫から別の食材を持って来る様に言いつけられた妹は、張り切って奥の倉庫へ消えた。
「クスクス」
マージさんの横で野菜の下拵えをしていた別の調理見習いは学園から派遣された研修員ではなく、ウチが直に雇って採用試験期間の子だ。
エイファより数か月先輩だけれど、仕事を始めるにあたり数か月の違いは大きい。
「ヤンベ、何を笑っているの?」
「だってマージさん、エイファさんっていつも一生懸命で見ていて元気が貰えるなぁって。オーナーの妹さんなのに偉ぶる事もないし。なんかとっても可愛いと言うか、健気と言うか」
「そうだねぇ。いつも一生懸命で見ていて気持ちが良いねぇ。でも、それも後3ヶ月で別の職場での研修になっちゃうから、あのカワイイ姿も後少ししか見られないのが残念だねぇ」
柱の影に隠れているお姉ちゃんは、『おいおい、人事こと、決定前にばらしていいんかい?』とちょっと眉が鋭角に上がりそうになったけれど、この世界では個人情報とか職場の情報っていう感覚がないみたいなんだよね。
「それって噂通りウチでの研修が終ったらグランドキッチンで研修する事が決まってるんですか?」
「人事の事は私たちには聞かされないからはっきりとは私には分からないけど、こうやってホテルのキッチンでの修行と、グランドキッチンでの工場の様な調理法ではやり方が違うので、どちらも知っておく事はエイファさんのためになると思うよ」
「なるほど!なら私もある程度ここで修行したらグランドキッチンへ配置換えを希望した方がいいのかしら?」
「エイファさんはオーナー一族だから、色んな調理法を身をもって知る事は彼女の為になるけれど、私たちの様な調理人は数年間は一か所から動かず、そこで身に着けられる技術は全て吸収するのが良いさ」
「そうなんですね。オーナー一族って言うのも大変そうですね」
「でも、エイファさんは楽しそうに修行しているから色んな知識や技術を身に付けるのも早いだろうさ」
職場での噂話は歓迎しかねるのだが、大事な妹の事をこんな風に褒めてくれているのを耳にすると、素直に嬉しい。
ホテルの調理場を経験した上でグランドキッチンを経験してもらうのは、ホテルチェーン全体の調理部門を理解してもらい、将来的にはエイファに統括してもらいたいからなんだけれど、どうしても身内と言うことで、お互いに甘えが出ちゃいそうだから、結局は伯父さんや伯母さんの様に調理人としてのみ働いてもらった方が良いのかもしれない。
まぁ、その辺は数年かけてエイファ自身が望む方向を加味しながら決めても遅くないだろう。
エイファの友達のローマちゃんは実の所ちょっと評判があまり良くないのに比べ、エイファの評判は頗る良いので安心だ。
何故ローマちゃんの評判があまり良く無いかと言うと、オーナー一族の友達と言う事を少し鼻に掛けている部分があるのと、イケメンのお客様とそうでないお客様への対応があからさまに違うらしいのだ。
まだ研修員なので直接お客様と接触する場面は少ないが、その少ない場面で既にそういう兆候が見えているらしい。
これではローマちゃんはウチで雇う事は出来ないかもしれない。
まずは一度ちゃんと正式な手続きを踏んで注意をしないとと言った所か・・・・。
ああ、気が重い・・・・。
ローマちゃんは研修が始まる前に実家に遊びに来たりしていたので知っているんだけれど、ちょっと口数は多いけど友達思いで明るい良い子なんだよね。
研修中でも、ウチのエイファには学園での態度と変わらず明るく接しており、二人の仲は変わらず良いみたいだけれど、彼女の異性への関心は飛びぬけて高いのだろう。まぁ、そろそろ異性に興味が湧く年頃ではあるのだと思う。
それを踏まえたとしても、接客業でこれはダメだよ。エイファはローマちゃんの欠点に気付いているのかしら?
客室に何かを運ぶ時、お客様がイケメンだとジッと視線を注ぐとか、お客様にしたら落ち着かないしね。メイドなら運ぶ物を運んだら家具になったかの様に存在感を消して、さっさと客室から出ないとなんだよ、ローマちゃん!
数人居るお客様に何かを渡す時必ずイケメンのお客様に渡すとか、どのお客様に渡すかはお客様全体の様子をささっと察知して、渡すべき人に渡すのが仕事なんだよ。もっと言えば、手渡しでなくていいんだよ。お客様が座ってらっしゃるソファーのコーヒーテーブルなんかにそっと置いて軽くお辞儀してささっと客室から出ればそれで充分なんだよ。
こういう事は上司や先輩からしっかり指導されているはずなのに・・・・。
あの子はウチへ遊びに来る時もユーリに対する憧れの眼差しを隠そうともしないし、セシリオ様やフェリーペに対しても事ある毎に近づこう近づこうとしているのが見て取れていたからね。
相手は子供だから目くじらを立てる事は無いのだけれど、それがお客様相手にあからさまだとホテルの信用にかかわって来るしね。
と言う事で、ローマちゃんの直属の上司を私の事務室へ呼び出した。
「お疲れ様です」
メイド長であるシンバさんは肝っ玉母さん風の中年女性で、どっしりとした安心感のある人だ。
怒らせると怖いけれど、個人的な事でも相談すれば嫌な顔をせず、部下の面倒を見てくれるので有名だ。
「お疲れ様です。シンバさん、どうぞソファへお掛け下さい」
「はい」
彼女は物怖じしない。
普段から貴族と嫌と言う程接しているので、オーナーで大公様の精鋭如きではびくともしない。
頼もしい限りだ。
ローマちゃんの働きぶりを聞いてみたが、こちらが知っているのと同じ事しか出て来なかった。
「ローマさんがウチのエイファの友達と言う事をひけらかしているのは問題ですね」
「いえ、アウレリア様。そちらは問題ではありません。実際にエイファ様のお友達ですが、仕事面で何ら優遇されていないのは誰の目にも明らかで、この事で唯一負の面があるとすれば、彼女が職場の仲間たちから煙たがられる事くらいです。それよりも問題はお客様への態度です。お客様の性別や容姿によって対応を変えるのを改めなければ、メイド長として彼女を抱える事は出来かねます」
「・・・・そうですね。接客業で一番大事な部分に問題があるとすれば、お客様の前には出せませんね」
「お分かり頂けている様で安心致しました」
「では、数日後、シンバさんから正式にローマさんへ注意をして下さい。態度を改めない場合は接客の全くない部署へ移動させるか、研修そのものを打ち切りにすると言って頂いて結構です。本人に自分が置かれている状況をしっかりと認識させて下さい。そしてその後1か月様子見をした上で、再度報告してもらえますか?」
「はい。承知致しました」
「注意する場所としてこちらで会議室を用意します。私とランビット氏は姿を見せずに内容を聞かせてもらいますが宜しいかしら?」
「はい。畏まりました」
シンバさんは最後までどっしりと構えたまま、足音を立てずに事務室を辞した。
はてさてローマちゃの未来は如何に?




