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気付いてしまった

 わたしが伯爵のもとに来て、早いもので、ひと月が経とうとしている。

 ……といっても、当の伯爵は、一切、姿を見せることはないが。

 その代わり、毎日、馬小屋に顔を出して、書庫の本を読むというのが、わたしの日課になった。ピオーネとの仲は相変わらずだけれど、スペンサーとは、ほんの少し、距離が縮まったような気がする。

 今日のスペンサーは、物置小屋で古い家財道具の修理をしていた。

「何をしているの?」

 手慣れた様子であっというまに椅子や机を直してしまう彼が、不思議でならない。まるで魔法使いみたいだと、いつも思う。ボロボロで見る影もなかった椅子なのに、彼にかかれば、一瞬で立派な椅子に蘇るのだ。

「あんたも飽きない人だな。こんなもん見たって、つまらないだろうに」

 スペンサーはそう言うけれど、それは自虐なの?

「そんなことないわ。あなたが一心不乱に作業をしている姿を見るのは好きよ」

 言いかけて、ふと視界の端に、乱雑に置かれた道具や資材の山が目に入る。

 これは……なんというか……もう少し、整理して置けないものか、と言いたくなるような有様だ。次に使うときに使いにくくないのかしら?

「なに見てんだ」

「あの……、こんなこと言いたくないのだけれど、もう少し、整理整頓したほうがいいんじゃない?」

 すると、スペンサーは、急に黙り込んでしまった。

「余計なお世話だったらごめんなさい。でも、次に使うときに、どこに置いたかとか、探し回ったりならない?」

 答えないのは図星だということか。せめて何か言ってくれたらと思うけれど、スペンサーは、頑なに口を閉ざしていた。

「もしよかったら、わたしが片付けを手伝いましょうか? こう見えて、わたし、掃除や片付けの類は得意なのよ。ちょっと任せてもらえたら、ここの道具も、すぐに使いやすくなると思うわ」

 一瞬、ぱあっとスペンサーの顔が明るくなったのを、わたしは見逃さなかった。

「あなたとしても、掃除や片付けはわたしに一任してしまったほうが、気が楽なのではない?」

 わたしのその勘は、どうやら当たっていたらしい。ぜひともやってほしいと、逆に頼み込んできた。

「……助かる。実は、俺は掃除とか片付けといったものがどうも苦手でな。あんたができるというなら、ぜひお願いしたい。ああ、いや、こんなことを伯爵の奥さんにやらせるのはまずいか」

 何がまずいの? こんなのは家政婦ハウスメイドのやることだと、そういうことかしら。

 でも、このお屋敷にはそもそもハウスメイドがいないし、使用人も、家令から雑用までなんでもこなすスペンサーがひとりいるきりだから、別に構いはしないはずだ。わたしも、根っからのお嬢様であれば、自ら掃除をするなんてもってのほかだと忌み嫌っていたかもしれないけれど、あいにく、こちらは元借金持ちの貧乏令嬢。実家でも、雇える使用人の数が減ってからは、掃除や洗濯、炊事など、自分たちでできることは自分たちでやっていた。

「わたしは構わないわ。それに、苦手なことは分担してやったほうが、ずっと効率がいいでしょう?」

 わたしが苦手なことはスペンサーが、そして、スペンサーの苦手なことはわたしが担う。お互いに得意とするものをやったほうが、絶対に、双方のためにもいいはずだ。

「……あんたは、変わった人だな。仮にも、貴族のお嬢さんだろう。そんなお嬢さんが、使用人のするようなこと、進んでやりたがるとは思っていなかった」

「あら。わたしは、そこらの『()()()』お嬢さんたちとは違うのよ? これでも、家のことではそれなりに苦労してきたの。自分たちにできることは、自分たちでなんでもやったわ。それこそ、土いじりでも、ね」

 母とふたりで、泥まみれになって花の植え替えをするのは楽しかった。ドレスを着飾って毎日パーティーに行っていた頃は、泥んこで遊ぶなんて考えもしなかったから。

「あんたのこと、ちょっと見直したよ。まさか、そんな風に考えてるとは思いもしなかった」

 そう言って褒められるのは照れくさいけれど、悪い気はしなかった。


 いまは、スペンサーが使ったあとの物置や台所用品を片付けるのがわたしの日課。お屋敷じゅうの部屋の掃除は、わたしの担当だ。あんまり広いから、いっぺんに全部はできないけれど、毎日、少しずつ取り掛かるようにしている。

 掃除して、片付けして、本を読んで、それからピオーネに挨拶をして(相変わらず威嚇はされるけど)

 そんな変わり映えのない平穏な日々が、ずっと続いていくと思っていた。



――あの日が来るまでは。




 お屋敷の掃除を始めてから、前より増して、いろんな部屋に出入りすることが多くなった。自分の部屋。リビング。ダイニングルーム。台所。応接室。バスルーム。書庫。ピアノ室。それから、伯爵さまの書斎と思われる部屋に、寝室と思しき部屋まで。

 それで、気付いてしまった。

 1階の奥――廊下の先に伸びる、地下へと続く階段のこと。まだ入ったことのない扉が、そこにある。このときのわたしは、お屋敷じゅうの部屋を掃除するのに頭がいっぱいで、初めに言われた『地下室への出入り禁止令』のことなどすっかり忘れていた。

 恐る恐る、扉を開ける。

 すると、そこには……とても地下とは思えないほどの、真っ白い壁に囲まれた清潔な空間が広がっていた。見たことのない大勢の子どもたちが、あちらこちらで走り回っている。

「わあ……!」

 お屋敷の地下に、こんな場所があるなんて知らなかった。スペンサーとたったふたりだけだと信じていたこの家に、こんなに大勢の子どもたちが住んでいたことも。

「おねえちゃん、だあれ?」

 褐色の肌の子どもが、ひとり、物珍しそうに寄ってきた。

 よく見れば、この子だけではない、ここにいるほとんどの子どもたちが褐色の肌に黒っぽい髪をしている。もしかして、南方の僻地へきちから連れてこられたという、奴隷の子どもたちだろうか?

 それで思い出した。そういえば、伯爵には『黒い噂』があると。

 噂では、奴隷商人から子どもたちを買い取って、手足を切り刻んで遊んでいるとかいう話じゃなかったかしら? 子どもたちの中には、片足がなくて杖をついている子どもも、両腕の肘から先がない子どもも、たくさんいた。まさか、本当に、そういうことなの?

「ボクはね、コーディーっていうんだ。8歳だよ」

 コーディー(所有物)。なんてひどい名前だろう。ありふれた名前でも、マイケルとかジョンとか、もっとマシな名前をつけてやればいいのに。奴隷少年なんて所詮はそんなもの、ということか。

「おねえちゃんは? おねえちゃんの名まえもおしえて」

 なんと無邪気な笑顔だろう。自分の境遇を知っているのか、いないのか。仮に知っているとすれば、それでもなお、笑顔を保とうとする健気な姿にいたわしくも思える。

 わたしは、彼のその心境を思って精一杯微笑んだ。

「アンジュよ。アンジュ・フラクスン――いえ、今はアンジュ・フラクスン=ヒルバーグね」

「じゃあ、アンジュおねえちゃん」

 差し出された手を、そっと握り返す。なんと小さくて愛らしい手なのだろう。ぎゅっと握ったら壊れてしまいそうだ。

 ――と、そのとき、突然、向こうのほうから駆け寄ってくる声がした。

「コーディ! また勝手にうろついて……大人しくしてなきゃダメじゃないか!」

 少年たちよりも、いくらか年嵩としかさの白人の少女。白人ということは南方の奴隷とは違うのか。ならハウスメイド? それとも乳母ナニーとか?

「へーきだよ。ボク、病気じゃないもん……」

「何言ってんの。そんなこと言って、またいつ発作が起きても知らないからね」

「だいじょーぶ……それくらい、止めてみせるよ……」

 病気? 発作? なんのことだろう。この子は、何かの病気なの?

「おや、お嬢さん、新入りかい?」

 わたしの姿に気付いた少女が、近づいて声をかけてきた。

 名はクロエ、16歳。この地下室を管理している『先生』とやらに連れてこられて、子どもたちの面倒を見ているのだという。

「コーディはね、可哀想なことに、前の奉公先で悪い病気を貰っちまって、厄介払いされてここに来たんだよ。厄介払いと言えば、あたいと姐さんも似たようなもんだけどね」

「姐さん?」

「あっちのベッドにいる、エラ姐さんのことさ。姐さんは、あたいたちのいた町じゃ一番の美貌を誇る人気の娼婦でね。そりゃあ、毎晩、姐さん目当ての客が見世みせに押し寄せたもんだったよ。だけど、3年ほど前だったかな、姐さんは床を共にした客のひとりから悪い病気を移されちまって……」

 クロエが視線を移した壁際のベッドには、彼女よりも2つばかり年嵩の少女が、痩せた身体を横たえて眠っていた。

「見世の主人は、姐さんを厄介払いしようとした。病気持ちの娼婦なんて、いらないとさ。いままで姐さんの稼ぎで散々甘い汁を吸っていたくせに、よく言うよ。あたいは腹が立ったね。姐さんをここまでコケにされて黙っていられるかって。それで……その日の夜……あたいは姐さんを連れて、見世の外に逃げようとして……」

 そこで、『先生』と出会った。

 たまたま見世の前を通りかかった『先生』は、大荷物を持った二人連れの少女を目にして、即座に、これは只事ではない、と察したのだろう。駆け寄ってくると、一体何事かと訊ねてきた。


――あたいたち、行くところがないんです。姐さんは()()()になっちまったし、あたいひとりじゃどうすることもできなくて。見世に戻ったら、旦那に殺される! あたい、死にたくないよう! お兄さん、お願いだよ、あたいたちを助けて!!


 すると『先生』は、抱きかかえられたエラのほうをちらと見たあと、クロエに向き直って、安心させるようにそっと微笑んだ。


――大丈夫。なら、私のもとに来たらいい。私は医者だ。姐さんの……、彼女のことも、おそらくは性病の類だろうが、うちで適切に治療させる。君も一緒に来たらいい。ちょうど、人手が足りなくて困っていたんだ。


 クロエにとっては、まさしく、天からの恵みのようなひとことだった。

 病気になった姉貴分の娼婦も、自分のことも、まとめて面倒を見てくれる人がいる。行く当てのない自分たちに手を差し伸べてくれる人がいる。医者の手伝いをしろと言われたが、それがどんなに過酷でも、ついていこうと思った。

「あたいたちのことを、まだ見捨てていない人間がいるなんて思わなかった。ひょっとして、神様なんじゃないかと思ったね。神様が、可哀想なあたいたちに、同情してくださっているんだと」

 二人は、『先生』の馬車に乗せられ、この屋敷に来た。

 地下の診療室に連れて来られると、大勢の子どもたちの姿に驚いたが、それがみな、厄介払いさせられた奴隷の少年たちとわかると、ひどく同情した。それから妙な親近感を覚えた。ああ、可哀想だったのは、あたいたちだけじゃない、ほかにもこんなに辛い想いをした少年たちがたくさんいるんだと。


――引き取ったはいいが、面倒を見てくれる人がほかにいなくてね。私も精一杯面倒は見ているつもりだが、どうにも忙しくて、手が回らないときもある。君が手伝ってくれたら、助かるんだが。


 クロエは二つ返事で頷いた。それが彼のためになるのなら、どんなことでも、この恩に報いたいと思った。

「あたいはね、言ってしまえば、あのセンセに惚れてるのさ。一所懸命言うこと聞いて、女房みたいに世話を焼いて――娼婦上がりのあたいが、センセみたいな人の女房なんて、なれるわけないのにさ――バカみたいだよね。でも、やめられないんだよ。こうして尽くしていれば、いつかは振り向いてくれるんじゃないかって、そんなことを思っちゃうんだよ」

 クロエのその言葉は、なぜか、わたしの胸の奥に、ストンと響いた。

 わたしも、同じだったから。

 伯爵さまのこと。それから、スペンサーのこと。今更好かれるはずもないのに、片付けをして掃除もして一所懸命に尽くしていれば、いつかは愛してもらえるのではないかと思ってしまっている自分がいる。そんなこと、どう考えたってあるはずがないのに。

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