突然の縁談
両親からその話を聞いたとき、変わった人間もいるものだと素直に感心した。
だってそうだろう。行き遅れの没落貴族の娘なんて、誰が嫁にもらいたがる?
両親としても、婚期を逃した一人娘をなんとかして嫁に行かせたがっていたはずだった。その証拠に、両親は甘い言葉で誘う悪い大人たちにまんまと騙されて、用意していたわずかな持参金さえもまるごと持っていかれてしまった。わたしたちが持ち合わせていたありったけのお金を搾り取って、搾り取れるだけのお金がなくなったとわかった瞬間に、非情にも姿をくらました。まずかったのは、困窮した両親が、ありとあらゆるところからお金を借りて、奴らに渡すためのお金を工面していたことだ。
おかげで、わたしは借金持ちの、少々訳ありな娘になってしまった。
貯金もなくて、あるのは借金だけ。ドレスもアクセサリーも全部売りさばいて、いよいよ家も手放さなくてはならないとなったこのときに、である。この、風変わりな縁談の話が舞い込んだ。
「冗談でしょう。いまさら、どこの誰がわたしのような女を嫁にしたいと言うの? また騙されているわけじゃないのよね。これ以上借金が増えるなんて、わたしは嫌よ」
ただでさえ、借金を返すために窮屈な暮らしを強いられているのに。これ以上の質素倹約を求められるなんて堪えられない。
「いいや、それがな、借金が増えるどころか、帳消しにしてやるとおっしゃったのだ。その上、持参金も必要ない、身一つで構わないと。こんなキズモノの娘でも嫁にほしいと言ってくれる男は他にはおらんよ」
確かに、借金を帳消しにしてその上持参金もなしなんて、そんな都合のいい相手は他にはない。けれど、あまりに条件が良すぎて、逆に不安にもなってしまうのだ。両親は、また誰か悪い人たちに騙されているのではないかと。
父も、母も、『他人を疑う』ということを知らない人だ。
それは俗にお人好しというのだろうけど、とにかく世の中には良い人間しかいないと考えていて、まさかこの人が自分たちを騙すなんて夢にも思っていない。現に今だって、あんなことがあったのに、ちっとも疑う素振りを見せないのだ。
世の中は善人ばかりじゃない。
他人の甘い蜜を吸って、のうのうと生きてる奴らも大勢いる。
「行きたくない、と言ったら?」
もしかしたら生きて帰って来れないかもしれない、そう思うと気乗りはしなかった。この先、二度と両親に会えなくなるかもしれないと思うと。
「まさか。おまえ、こんな好条件の相手を断るつもりなのか?」
好条件。そう。お父様にはそう見えるのね。
「わたしには、そうは思えないわ。こんなの、どう考えたって都合が良すぎる。お父様、それで前のときも騙されたこと、覚えてないの? 甘い話には必ず裏があるのよ」
そう言うと、お父様は気難しそうに眉をひそめておっしゃった。
「おまえという奴は、なんでそう……わしの育て方のどこが悪かったのか、随分と偏屈な娘になっちまって。大体、女のくせに、いつも本ばかり読んでいるというのがよろしくない。学のある女なんてのはな、将来、ろくな大人にならないんだよ。あやつらときたら、理屈ばかりこねてまったく可愛げがないからいけない。女というのはね、男に可愛がられるように愛嬌を振り撒いて、男の尻について回っていればそれでいいのだよ」
出た、お父様の男尊女卑。
そういうのは昨今ではもう古くさい思想だと、なんでわからないのかしら。
「……なんだ、その顔は。父親に文句があると言うのか」
「いいえ。でもお父様、その相手のかたは、なんて言ってるの? キズモノでもいいから嫁にほしいなんて、よっぽどだわ。そこまで言うからには、何か、向こうにもメリットがあってのことなんでしょう?」
こちらには都合が良くても、あちらには不都合でしかない。それでも嫁にほしいというのだから、おかしな話だ。一体、どういう了見だろう。
「うるさい、口答えするんじゃない。おまえには拒否する権利などないのだ。大体、借金持ちで持参金もない娘を、嫁にもらってくれる男などいるものか。このチャンスを逃したら、次はないかもしれないんだぞ」
なによ。その『借金』を作ったのはお父様たちのくせに。
わたしは何度も止めた。それでも、聞く耳持たなかったのはそっちじゃないか。
「娘は片付く、借金はチャラになる――いいこと尽くめじゃないか。なあ、わしらを助けると思って、引き受けてくれんか」
そこまで言われたら……まあ、しかたがない。
わたしは『お願い』には弱いのだ。
怪しい縁談に頷くのは嫌だけれど、それが、結果としてお父様とお母様のためになるなら。こんな両親ではあっても、やっぱり、世界で一番大切な、かけがえのない両親だから。
* * * * *
アレキサンドリア伯爵。それが、例の縁談相手の名前だった。
本名はライアン・ヒルバーグ。わたしより7つ年上の27歳。村の外れにある、古びたお屋敷にたったひとりで住んでいるという。
「それが、まあ、表向きの話よね」
「表向き?」
クインビーは優雅にお茶を飲みながら、何か含みを持たせた言い方をした。
「あるのよ、表向きにはできない黒い噂ってやつが」
黒い噂ってなによ。と思うけれど、今回に限っては不思議には思わない。そもそも、おかしなことの多い縁談だ。変な噂だって、あってもおかしくはない。
「ほら、あんな辺境に住んでるひとり暮らしの男でしょう。いろいろ噂もあるわけよ。ほかには類を見ないくらいの男前だとか、そういう噂もあるけどね」
クインビーは噂好きだ。街のゴシップを探りまわっては言いふらす。女王蜂じゃなくて働き蜂みたいだと、誰かが言っていたっけ。
「あの人、社交界の付き合いってのが好きじゃないみたいで、貴族のお姉さまがたが主催するパーティーには滅多に来ることがないそうよ。街ですれ違っても挨拶ひとつ返さないし。あれは、たぶん、尋常じゃない人嫌いね。そのくせ、港の奴隷商人たちとは、やけに仲が良いの。え、どういうことかって? いやだ、わかるでしょう。伯爵は奴隷商人の一番のお得意様だってことよ。なんでも、奴隷の子どもたちを大量に引き取って、お屋敷の地下で手足を切り刻んだりして遊んでいるらしいわ。ふふ。わたし、そんな人が夫でなくて本当に良かったと思うわ。それを考えると、わたしは恵まれているわね。早いうちに、身分相応の、身元のしっかりした相手と結婚することができたんですもの――あら、あなたの縁談相手って、どなただったかしら?」
彼女の、まくし立てるようなマシンガントークは、いつものことだ。発言に悪気がないのもわかっている。
そして――そのゴシップが、かなりの高い信憑性を孕んでいることも。
「ごめんなさい……わたし、ちょっとめまいが……」
急に猛烈な吐き気を覚えて、慌てて中座した。
クインビーの話。あの子の話だから、きっと、確かな情報なのだろう。
人嫌いで、社交界の集まりには参加したがらない伯爵。それなのに奴隷商人とは、やけに親しくて。おまけに、お屋敷の地下室で子どもの手足を切り刻んで遊んでいる、ですって! 信じられない!
縁談の話を聞いたときから、何かがおかしいと感じていた。地位も名誉もあるはずの若い伯爵さまが、わたしみたいなキズモノの娘を嫁に欲しがるはずがないって。やはり、こういうことだったのだ。
わたしは『売られた』のだ。あの伯爵さまに。
借金をチャラにする代わりに、わたしという生贄を差し出した。そういうことなのだろう。きっと、父や母にも甘い言葉で誘ったに違いない。
あなたがたの抱える莫大な負債を肩代わりしてあげましょう。
その代わり、お嬢さんの身の上は私に預けていただきたい。もちろん、『結婚』というていで。そのほうが、あなたがたも気が楽でしょうから……ええ、私にとっても、ね。
そもそも、あなたがたは、キズモノになったお嬢さんの嫁ぎ先が見つからないと、お困りだったのではありませんか?
――まったく失礼な話!
まだ顔も見たことのない男だが、直感的に、いけすかない男だと感じた。
こんな男の妻になって、いいようにされるわけにはいかない。絶対に隙を見て逃げ出してやる。でも、いまは生憎、逃げ出すお金も両親を養う力もない。
そうだ。しばらくは言いなりになったふりをして、それで相手を油断させてやろう。そうして少しずつ、自分の自由にできるお金を貯め、いつか必要な資金が貯まったときに、両親を連れて伯爵の手の届かない場所へと逃げるのだ。
この結婚は、決して幸せな夢物語なんかじゃない。
わたしは伯爵を愛したりしない。
わたしの人生は、誰のものでもない、わたしだけのものだから。




