結婚してくださいませ。殿下。
私はその日、返済手帳の管理をしていた。離婚をして侯爵家を出て約3年10か月くらい。コツコツ積み上げたものと賭けに出たような投資など色々なことをして減らした借金はあと少しで完済できる。
そう思って計算しなおした。
「あ。完済できそう」
めぼしい財産全部売り払って、貯金も注ぎ込めば、2、3日のうちに完済できる見込みができてしまった。
普通に貯金とかを残したまま返済するとあと半年余り。予定より返済が滞っているんだよね。将来への投資としての散財が詰みあがってそれなりの金額になってしまったし。
なにかあったときの貯金もわりと多めにとっている。いざというときの保証は金で買うしかない身の上だから仕方はないが。
「……うむ」
私は、自分の部屋を見渡した。
「売るか」
長く待たせてしまったのだからできる努力はしよう。
その日のうちに売れるものを選んだ。翌日に装飾品や着ない服は売り払った。家具などは運ぶのも難しいので査定に来てもらった。
引っ越しですか? と聞かれて家の整理と答えた。
まあ、変ではあるだろう。急に部屋のものをすべて売り払うのだから。さすがにベッドとクローゼット、絨毯などは残した。
鏡台は少し悩んで手放した。代わりに壁に掛ける鏡を買った。
査定してもらった次の日には運び出す算段をつけた。さすがに即日運び出すのは難しい。ただ、急いでいるということで三日のうちには取引は成立する見込みだ。
「ちょっと売りすぎたかな」
銀貨数十枚分くらい余りそうだ。貯金か新しく何か買うかは悩ましい。
おいしいケーキの一つでも買えばいいような気がしてきた。
がんばったんだからいいよね! と部屋を出ようとしたところで、扉を叩かれた。
「アイリス」
扉の向こうにいたのは息せき切っていたルーベンス様だった。
「何です? 坊ちゃん。そんなに慌てて」
「引っ越しするのか?」
がしっと両肩を掴まれた。やや力がこもっているのはなぜだろう。
「家の整理をしています。
あ、坊ちゃんにもらったものはちゃんと残してあるので」
「どうして?」
「どうしても欲しいものがありまして、金策のためですね」
「お金なら貸すし、買えるものなら買うよ」
「そう言う甘やかしはいけませんね。それに、私が私で買わねば意味がありません。
気になるようでしたら三日後くらいにお話します」
そのあたりには色んなものが現金になっているだろう。
それまでは秘密だ。
「そういうの甘えてもいいと思うんだけどな」
「だめです。
ほら、お帰りください。忙しいんですから」
それはお互いにということだ。確か今日はルーベンス様は娼館のほうに行っている日だ。私もあとで顔を出すつもりだったから覚えている。
「やだ」
子供じゃないんだからと言いたくなるような言葉である。
ルーベンス様、時々ものすっごい子供っぽい。そう言うと私のほうが恐ろしいもののように見られるんだけど。
もしかしたら、私の前でだけ子供っぽいのかもしれない。
「仕事ありますよね」
「したくない。昨日からなぜか仕事が増えた」
「……なぜでしょうね」
少々、心当たりがある。この売却について関係者に一週間くらいは黙っててほしいとお願いしたのだ。色々勘の良いルーベンス様に察知させないために誰かが仕事を増やしたのだ。あるいは誰かが複数である可能性すらある。
いま、振り返ればなんか変な勘違いされたような気がする。心配そうに見られたような気も?
「手伝ってくれる?」
甘えたような拗ねたような声に絆されそうになるが、付き合うと自分のやることが片付かない。
「手伝いません。
忙しいならお昼は食べてないんじゃないですか?」
「それどころじゃなかった」
「じゃあどこかで買い物して、お店で一緒に食べましょう。行く予定はあったんです」
そう言うと途端に機嫌をなおしてぎゅっと抱きついてくるのはなんなのか。嬉しいという気持ちが伝わってくるが、やや重めであることは察して余りある。
押しに負けて、口約束とはいえ結婚の約束をしてしまったのが間違いだった気がする。とりあえずはお付き合いからという話には絶対ならない。すぐに結婚しようとか言う。それどころか、こっそり準備が始まっていても驚かない。このあたりは、ラント夫人を含め妹様たちも止めるどころかそそのかしてそうなところで……。
要するに、すでに退路はない。ならば、さっさと次に進むほうがいい。
別に嫌いというわけではない。むしろ、好きというか……。
それにしても近くで見るとより顔がいいなと思うところは、口にしない。
破壊力あるイケメンである。今日は化粧をしているので、艶っぽくてドキドキする。別の日は、かっこよすぎて動悸がすごい。
私の婚約者、顔が良すぎる。
ただ、これに流されると望んでない結果になりそうなので、ほどほどなところで胸あたりを手で押す。
おしまいだと口で言ったところでもうちょっとなんていわれるだけだ。
あれも甘い感じで腰砕けが……。そこを頑張って気合いでなんでもないですと言う顔をしている。
やはりそこで甘い顔をするとなし崩しになりそうだからである。
これだから天然ものは。
それから三日後の今日。ラント夫人のお城にルーベンス様を呼び出した。
「こちらをお納めください」
どーん、金貨の袋だ。
感慨深いものである。
しかし、思ったような反応はなかった。しーんと沈黙である。まるでお通夜みたいな。
「……なにこれ」
「これで完済です! ちゃんと数えてくださいね」
胸を張ってそう言えば、ルーベンス様ががっくりとしていた。
横でラント夫人がぷくくと笑っている。
「どうしたんですか?」
「別れ話されるんじゃないかと思ってたらしいわよ」
「へ?」
どこにどう別れ話が?
「秘密裡に家のもの処分してたら、どこか逃げ出すんじゃないかって噂になったらしいわね」
「そっちは想定してませんでした。
ルーベンス様が喜ぶんじゃないかと思って秘密にしたのが裏目に出ましたかね……」
「そぉねぇ。アイリスちゃんのことだけは、冷静なつもりで時々見誤るから」
「もう少し予告とかない?」
当のルーベンス様がぼんやりとしたような声で言う。事態についていけてない感はある。
「驚かせたかったんです」
別な意味で驚かせたようだけど。
ルーベンス様は頭を抱えてしまった。で、その横でラント夫人が楽しそう。
「お金は数えてあげるわ。
あとは二人でどうぞ」
金貨の袋をもって彼女は部屋を出ていった。
ふむ。それならばとルーベンス様の隣に座った。
「完済、ですよ。喜んでもよくないですか?」
「紛らわしいことするから……。
なんでそんな急に色んなもの売ったわけ?」
「計算したら、足りそうなので。普通にしたら、あと半年は過ぎそうでしたし」
「半年後でも待つよ。これまで四年近く待ったんだから」
「でも、すぐに、したくなって」
「それって」
ルーベンス様はそう言いかけて口元に手を置いて真っ赤になった。
「俺と一緒にいたいってこと?」
随分と濁した言い方をする。
この三年とちょっと結婚しないかと迫ってきた男とは思えない。
「ええ、結婚してくださいませ。殿下」
はっきり結婚を申し込んでやろうじゃないか。
完済と結婚の話がなかったと気がつきました。
短く三話程度の予定です。




