おまけ では、手を組みましょう。
先輩のイケメン彼氏を奪ったつもりが捨てられてしまった理沙のその後のことと慰謝料についてとじゃあ、水谷女史って誰という話。
私はバカだ。
こうなってから気がついた。賢くもなく要領もよくない。もちろん、幸せからも遠い。
子供ができたら、結婚もできて幸せに暮らせると信じていた。誰でもいいから、私を幸せにしてほしいと。
理沙はため息をつく。
婚約者は逃げ、家には連れ戻され、結婚も絶望的な中、お腹は大きくなるばかり。出ていった娘を心配するように両親には外に出ることも禁じられた。
その一方で、愚かな娘だと目の前で嘆かれる。それだけでなく、婚約者に慰謝料の請求を求めると弁護士をさがしているという。
一方的に相手が悪いわけではない。私も人のものに手を出したのだ。悪いところはあったし、謝罪の一つもしていない。
そう思っていても彼女は口にすることはなかった。
私も間違っていた。それが許されない。
こんな家が嫌で出ていったというのに。兄に見つかったのが悪かったのだ。一人ででも育てていったほうがましだと突っぱねればよかったと思っても遅い。
幸いというべきなのだろうかつわりもひどくなく、ただ眠くだるいだけの日々。会社もやめてしまった身の上ではやるべきこともない。
そんな中、弁護士が決まったということを彼女は聞いた。ろくに金になりそうもないのに物好きな人がいるものだ。
水谷涼子と名乗った人物は彼女より10才は上に見えた。
「あら、かわいそうね」
涼子は笑っていった。それも心底、楽しそうに。
「報酬は一割で結構です。
搾り取ってやるのでご期待ください」
そう両親と兄に告げ、理沙を外に連れ出した。家族の前で話をと主張する母にちらりと視線を向けただけで無視したことには驚いた。父は何も言わず、兄も黙っていた。
何者なのだろうかと怖くなるほどだった。
涼子は理沙を個室のあるレストランへと連れて行った。それも普通のではない。ホテルの中にある、レストランだ。移動もタクシーで、理沙の家を訪ねるときに待たせていたらしい。車中では特に話すこともなく、理沙も一言も口にできなかった。
個室に案内されると涼子はメニューをちらりと見てから理沙に渡した。
「好きなものを頼んでいいわ。
私は珈琲だけもらうから。匂い、嫌なものもあるって聞いたし」
「あの、じゃあ、カフェインレス珈琲で。匂いも特に気になるものはありません」
「そう。なら、スイーツもおいしいらしいから食べていいわよ」
「あの、でも」
「あ、じゃあ、アフタヌーンティーセットを分けましょ。可愛いのがあるのよ」
「……はい」
機嫌よく涼子は注文しているが、理沙はその金額に慄いた。コーヒー一杯1500円の世界だ。アフタヌーンティーセットは8000円。さらにサービス料20%。
気軽にいくような場所ではない。誕生日とか久しぶりに友達に会うときにそれなりに服装を整えてくるようなところだ。
理沙は今更部屋着の延長線上の自分の服が気になりだした。ろくにメイクもしていない。
頼んだものが届くまで涼子は理沙の体調を気遣ったり、今の境遇を尋ねたりしてきた。隠すこともないと理沙は素直に答える。初対面の相手であるが、やけに話しやすかった。
アフタヌーンセットがテーブルにセットされ、飲み物も置かれた。
そこで話を仕切りなおすように涼子は座りなおした。
「さて、私が誰か、という話をしておきましょうか」
にやにやしながら涼子は切り出した。
「水谷藍里。という名前は覚えているわよね?
私は彼女の兄の妻、つまりは義理の姉なわけよ」
理沙は慌てて立ち上がり、床に膝をついた。
「ごめんなさい。慰謝料はお支払いします」
「……うーん。
なんか聞いてた話と違うんだけど」
涼子が首をかしげていた。
「私は悪くないとか叫ばれるかなと思って、個室にしたのよね。
妊婦さんに土下座されるのもこれはこれで問題あるけど」
私が悪人に見えるから立ちなさいね?と強制力をもって理沙を立たせた。そして、膝を払ってそのまま座らせる。
「婚約していたわけでもないから、藍里からのあなたへの慰謝料の請求は難しいわね。
本人も全くやる気がないし。今は別の推しがいて楽しいらしいから、その点は全然大丈夫。振られたショックかと思いきや助けてくれた人に一目ぼれしたらしいのよねぇ。仏像みたいにかっこいいのですって。全く、あの子ときたら」
「そ、それじゃあ、なぜ?」
「無罪放免の男が嫌だと思わない? まあ、無罪ともいえないようだけど」
「良い部署に異動したと聞きました」
藍里がケガをしたことも、理沙を捨てたこともないこともなかったように。
会社は彼を評価したのだと失望していた。
もっともあの会社は仕事ができれば多少のことは目をつぶるところはある。外から何か言われれば対処はするだろうが痴情のもつれのようなものに何かするとは思えない。
暴力事件にでもなればなにかするだろうが、彼はその点慎重だった。
涼子はなぜか微笑んだ。
「そうね。なぜかなって思ったら、異動先での手腕を評価してと是非にと頼み込んで地方に飛ばされていたわ。
あの会社、地方行ったら帰れないそうだから事実上左遷になるそうよ。恨まれないように上手に送り込んだ人がいるみたい。本人は出世だと思っているらしいわね。
でも、それだけで済ますなんて腹が立つじゃない? 可愛い義妹を弄んで捨てたっていうのに」
「……そ、そうですか」
理沙の記憶が確かならば、藍里は義理の姉が苦手で胃が痛いと言っていたはずだ。結婚したらとかうるさい。ほんとなんなのあのマウントはと。
まるで真逆のような話を聞かされているようだ。
「というわけで、手を組まない? ほら、あなたも捨てられて、生活も困窮しているし、自由もない。それなら悪い男から金だけでも搾り取りましょ」
「私の手にそれは入ってこないので、嫌がらせ以上になりそうにないのですけど」
「そうよねぇ。あの家族ならお金全部取り上げられそう。
そのあたりの手続きは任せてちょうだい。
養育費は月額と進学費用も合わせて一括払いしてもらうこと。
慰謝料は多めに見積もって吹っ掛けるけれどそれほど取れないと思って。認知はしてもらいましょう。それから」
「慰謝料は、藍里さんにもらってもらえないでしょうか」
「藍里はいらないと言うと思うけれど、伝えておくわ。
貯金はある?」
「一年程度の家賃分くらいは」
「十分、十分。早速、あの家から夜逃げしましょ」
軽く、涼子は言ってウィンクした。
「大丈夫。荒事には慣れているの」
少しだけ理沙は後悔した。どうにもまともそうな気がしない。
そういえば、うちの家族はみんなどこか変でと藍里はこぼしていた。理沙から見れば清楚そうに見えて、強すぎる彼女も変ではあった。
入社したてのころは藍里に気にかけてもらったこともあったのだ。周囲は、優しかった。
ただし、仕事中は鬼しかいない。ほんわか上司ですら、冷酷な面もある。
おそらく、彼の左遷の手配をしたのはあの上司である。僕が恨まれるといやじゃんと言いながら鼻歌交じりにやりかねない。
「あの、藍里さんは知っているんですよね?」
「あら。知らないわよ。興味ないみたいだから」
「え」
それってどうなんだろうとさすがに理沙も思った。
「あくまで、私は、仕事としてあなたの依頼を受けて、慰謝料等の請求を行うだけ。
相手が誰であろうとね。今回はたまたま、義妹の元彼だったってだけ」
涼子はスコーンにクロテッドクリームをたっぷり塗り上にジャムも載せる。
「私の家族に手を出したことを後悔させてやらなきゃ気が済まないの」
涼子は優し気に微笑んでスコーンをがぶりと頬張った。
軽い口調ではあるが、全く、少しも軽くない。理沙は青ざめた。事の発端である理沙が例外で見逃されるはずもない。
「私は」
「うん? 本当は制裁とか考えていたけれど、かわいそうになっちゃった。
ちゃんと慰謝料払う気もあるみたいだし、反省もしているならいいかなって。二度目はないけど」
「わかってます」
「それならいいわ。
じゃ、これを攻略しましょう。一人でこれを食べるような胆力はもうないの」
少しだけ困ったように涼子が言う。理沙は思わず笑ってしまった。
「そうですね。
よろしくお願いします」
理沙はそこから長年の付き合いになるとは思っていなかった。
「あのさぁ、猫でも拾ってくるのはダメっていわれるじゃないか。
それを人を拾うってどういうことなわけ?」
「そ、それはその、かわいそうで」
「君が時々、ドツボにはまって人を拾うのは知っているけどそれにしたって、妹の交際相手を寝取った女を連れ帰ってくるってどうよ?」
「あのね、私が誰か言ったら、すぐに土下座されて慰謝料の話してきたの」
「は? また、なにか脅して」
「脅してないし」
「そう。で?」
「反省してるならいいかなって。本当にやつれてたし、家庭環境最悪だし」
「はぁ……。藍里にはどう説明するんだ?」
「説明しなくてもいいかなって。そもそもこの件自体知られたらどうなると思う?」
「……黙っていよう」
「それがいいわ」
「ところで、謝罪しなかった場合、どうする気だったわけ?」
「泣くほど詰めるくらいしかする予定はなかったわよ。あとはこちらの都合の良いようにうごいてもらうだけかしら」
「……どちらにしろ、都合よく動かすつもりじゃないか」
「うん」
「曇りなき眼で邪悪だ」
「うふふふ」




