第72話 クリシュナの決断
思い思いに喜び合う兵士達。熱狂がようやく落ち着いてから、クリシュナはゆっくりとオレ達のところへやって来た。そしてアルジュナとハグをし、お互いの労をねぎらった。
「瞬弥、樹、そして樹の弟達。世話になったな。貴様たちの力なしで、この偉業は達成できなかった」
「いや、楽しかったよ。オレ達も……」
「何が楽しかったじゃ! わらわの兄上が……。わらわたちが何をしたというのじゃ!」
オレ達が達成感をしみじみ味わっていると、突然高音の声が割って入って来た。レジナ妃だ。まだいたんだ。彼女の事、何となく誰も手を下すことができなかったようだな。
「どこの姫なのだ? 彼女は?」
クリシュナがレジナ妃を見てそう尋ねた。束ねた髪も白い肌も体も泥と雨に汚れてしまっている。それでも涙を一杯に溜めた双眸は力を湛えていた。
「彼女がレジナ妃だよ。で、この人がおまえの体を持ってたの」
と、オレ。それに反応したのは彼女のほうだった。
「ああ……そうか。兄上がわらわにくれたのは、クリシュナだったのか……」
「そのようだな。私は何も覚えていないが」
クリシュナは努めて優し気に声をかけている。レジナ妃はそれでもクリシュナをキッと睨む。
「わらわは! 王に振り向いてももらえず、毎日寂しくてイライラしてて。それを案じた兄上がおまえを持って来てくれたんだ。美しくて、輝いていた、おまえの体……」
レジナ妃はオレが初めて見た時と同じように、座り込み、動かないオジナを膝の上に乗せた。
「おまえの体は生きていた。息をして、心の臓も動いていた。だからわらわは、いつかきっと目覚めると思うたのじゃ。毎日風呂に入れて、長く絹のような髪と引き締まった体、彫像のような顔を丁寧に洗ってやった。それから香油を塗って、マッサージして……」
レジナ妃はオレ達が想像できるに十分な手振り身振りを使いその様子をつぶさに語る。オレはその話を聞きながら、クリシュナの顔をちらちら覗いていた。納得しているのか、口も挟まずじっと耳を傾けている。
「おまえがいつ目覚めてもいいように、わらわは片時も離れず側にいたのじゃ……」
語り終わったのか、レジナ妃はオジナの頬を撫ぜる。髪も顔も判別がつかないくらいに焦げている。それでも丈夫なアスラ族は生きているのか、膝の上のオジナは妹の手に触れたように見えた。
「そうか。そなたのお陰で私は助かったのだな」
――――はい!? 今何と言いました?
オレ達は目玉飛び出さんばかりにクリシュナの顔を見た。だが、その視線に王子さまは全く動じない。あー。オレ、何となくこの後の展開見えてきたわ。
「私は自分の体に戻った時、すぐに動かすことができるか実は不安だったのだ。ずっと使っていないのだから、筋肉も落ちているだろうと……」
言われてみれば確かに……。そんなことはオレ達のだれも考えていなかったことだ。もし、その通りのことが起きていたら、こうやって勝利を噛みしめていることができただろうか。
「だが、おまえが私の体を慈しんでくれたお陰で、魂が戻ってすぐ、いつも通り動けたのだな」
クリシュナはレジナ妃の赤い瞳を見つめながら跪き、同じ目線を演出した。レジナ妃はその姿を呆けた表情で見つめている。泥で汚れた頬をクリシュナが自らの手で拭っている。彼女の頬は瞬く間に朱に染まった。
「おまえの瞳は黄金であったのだな。まるで宝玉のように輝いておる。肌の色におうて美しい……の……」
「レジナよ。既にカンサは討ち果たされた。そなたには何の枷もなくなったのだ。そなたさえ良ければ、私の妻にならぬか? 赤い瞳の美しい人よ」
出たよ……。そう来ると思ったんだよな。アルジュナはもう知らぬ顔を決めたのか、どっか行っちゃったよ。瞬弥と双子は、このどっかの国のドラマみたいな茶番劇を食い入るように見ているけど。
「お、おまえもわらわを一人にするのであろう? 王や王子など、正妃も側妃もないがしろじゃ!」
クリシュナは瞬殺の微笑みを湛え、彼女の手をそっと握る。
「約束しよう。私はそなたに寂しい想いをさせはしない。そなたの兄上も、初めは牢に入ってもらうことになるが、私の元で戦ってくれるのであれば解放できるであろう」
「クリシュナ……」
別に止めやしないけど、この人確か、ヤキモチで他のお妃さまの目玉繰り抜いて殺しちゃったんじゃなかった? それって風評被害?
「クリシュナはレジナにそんなことさせないだろうよ。あいつはそういうとこ抜かりないから」
オレの心の声聞こえましたか? いや、多分声に出てたんだろうな。瞬弥に言われて、そうかもな、と思う。あれほどに妻がいても(そのうえラーダという絶対的愛人がいても)、誰も妬みや争いが起きないという。今、レジナに言ったこともちゃんと守るのだろう。しかし、結局オレのしたことは何だったんだ。道化もいいとこだな。
二人は既に見つめ合い、手を握り合っている。まあいいや。おかしなことになったけど、これで良かったんだと思えばいいんだろう(ヤケクソ)。