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第59話 西から東へ!

 誰かがあの奥に控える赤と黒、二色で彩られた扉の向こうにいる。危機的状況で。声の主は男で間違いない。だが、それはクリシュナの体でないことは一目瞭然である。いや、この場合は一聞だが。

 クリシュナの体はもぬけの殻だ。もし、生体反応があって、ちゃんと息をしていたとしても声を出すわけはない。


「どうするの? 兄さん」


 オレ達には時間がない。すぐにもクリシュナの体を見つけないと、瞬弥に危険が及ぶのだ。だが……。オレは街であった、大工の奥さんを思い出した。幼い子供をかかえ、途方に暮れていた。旦那が生きていると信じて待っていたけれど、今にも後を追いそうだった。


「さっさと救出しよう」


 焦る気持ちはあった。だが、そこにいるのは女官たちだけだろう。大丈夫。やれる。


「うん!」


 弟達の双眸が輝く。こいつらも同じように思っていたことにオレは嬉しかった。




 アンバリー妃の周囲には、手練れの女戦士がいた。多分、マトゥラー国ではなく、妃自身の私兵だろう。さすがに他国の姫だっただけあり、女とはいえ、男の兵士と遜色なく戦える。だが、所詮は人間である。アスラ族と何度も戦ってきたオレにとって、強敵ではなかった。加えて、弟達もよく戦ってくれた。


 この国の法を犯しているとしても、オレ達が裁けるわけでない。アンバリー妃も動けないように拘束するにとどめると、囚われていた若い男を助けた。


「アンバリー妃、それから捕まってたあんた。教えてくれないか。今、ここに捕まっている男性のこと。とびきり美しいと噂されている人はいないかな」


 オレは女官達も含め、情報収集した。貴重な内側の話は必要不可欠。ここでの情報が次の一手になる。


「それなら、ここの女官達が噂しているのを耳にしたことがあります。なんでも、あっち側のサティヤのところに若くて美しい青年が入ったとか……」

「この下郎が! 黙らんか!」


 捕まってた若い男が教えてくれたのを、アンバリー妃が遮る。


「あんた、これバレると大変なことになるんじゃないの?」


 オレの言葉に滾る双眸を投げかけ、唇を噛みしめている。よほど悔しいらしい。


「そんな顔しないで。オレ達は急いでる。そのサティヤ妃の屋敷の場所。教えてもらえるかな」


 男は大工の旦那じゃなかった。オレ達に彼を連れて逃げる時間はない。てっとり早く『時渡りの粉』を使い、自分の帰りたい場所に帰ってもらった。もちろん、ちゃんと服を着て。彼は涙ながらにお礼を言っていたが、それをみなまで聞く時間はない。


 オレ達はアンバリー妃が渋々教えてくれたサティヤ妃の屋敷へと急いだ。どうか、ここにありますように。アルジュナに現状を伝えると、今のところ順調に勝ち進んでいるらしい。試合としての形態もギリギリ保たれ、クリシュナも既に二勝しているとのことだった。


『いずれにしても急いでくれ。あいつらは、こちらが負けるまで試合を止めるつもりがない』


 アルジュナの感情を抑えた口調は、かえっていつもよりずっと危機感を感じさせた。


 西から東へ渡るのは、簡単なことではなかった。武芸大会に人が流れていても、さすがに分け隔てる橋には見張りがいた。第一正妃と第二正妃は要するに敵対関係なのだ。それについている第三以下の妃から女官に至るまで、勢力争いを繰り広げている。おいそれと反対側の領域には入れない。元々レジナ妃は西の第二正妃側だったので難なく潜り込めたが、今度ばかりはそうもいかない。


「大丈夫。僕たちに任せて」


 橋が見渡せる屋敷の屋根の上にオレ達は上っていた。外側の位置する屋敷なので、数人が同居する場所だろう。この辺りでは大きめだ。持って来ていた双眼鏡を見ながら航がそう言うと、背中のリュックからドローンを取り出した。


「まずは僕たちがあっちの領域に入るから、兄さんは『時渡りの粉』で来て」


 なんだか、こいつらがいないと何もできなかったことになりそうだ。いや、実際、どれだけ助かっているか。ドローンで見張りを翻弄した奴らは、まんまと橋を渡り切る。オレはその後を追った。

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