第5話 突然の殺意とか?
紅く染まりだした街路樹は、ここが都心の真っ只中なことを忘れさせてくれる。イヤホンから聞こえるオレのお気に入りも、今は秋の詩を歌っていた。いつもより高く感じる空は、まさに爽やかな季節到来の証だろう。隣でぶつぶつ言ってるオレの親友を除いて。
「だから、彼女といる時は出てくるな! 邪魔だ!」「いや、私も女性にはうるさいのだ。ちゃんとした女性と寝てもらわねば困る」「俺が誰と寝ようが勝手だ!」
ほんとに……。これが十七歳の会話だろうか。まあ、クリシュナはもう少しおっさんかな? にしても滅入る会話。
オレはあのまま一旦帰宅した。二人で一晩話し合って、色々決めたようだが、登校中の今になっても譲れない件があったらしい。二人とも女性問題に関しては、各々ポリシーがあるみたい。クリシュナも元の体でモテまくっていたようだしね。
そう言えば、鏡に映った瞬弥を見て、クリシュナは相当驚いたらしい。髪型や肌の色、眉毛の作り方、瞳の色は違うが、元の自分とほぼ同じ顔だったからだ。なんでだろう? 同じ顔の奴に魂が宿ったってことは偶然じゃないのかな。それと、あの時追ってきたのは彼の敵対勢力で、今後も現れる可能性があるという。冗談じゃない。オレ、瞬弥のところに泊り込もうかな。
「樹、もしクリシュナが俺の意志に反して出張ってきたら、平手打ち頼むな」
学校が近づいて来て、ようやくクリシュナは引っ込んだんだろうか。瞬弥が頼んで来た。有名私立大学の付属高校。中高一貫のここは、裕福でハイソなご子息、ご息女が集う由緒正しき学校だ。
「え。ああ、まあいいけど」
オレは曖昧な相槌を打つ。なんだか危機感が足りないんじゃないかと思いながら、瞬弥の顔を見た。悔しいけど、ちょっとだけこいつの方が背が高いから、オレは視線を上げないといけない。オレの視線を感じたのか、瞬弥が二度見する。
「なんだよ。そんな目で見るな。俺だって、戸惑ってるよ。でも、一晩クリシュナと話して思ったんだ。こいつは嘘はついていない。何千年も昔の世界から、ここに突然落ちてきた。向こうの世界で敵に囲まれて、バルコニーから落ちたんだ。地面に着地したつもりが、何故か俺の体だったってわけ」
何千年も昔。古代の、今でいうインド辺りがクリシュナのいた場所らしい。奴はそこの王子様で神とも英雄とも呼ばれるちょっとした有名人。紀元前の話だから、神話、伝説だよ。そんなとこからいきなり現在に来てしまったとは。しかも意識だけで。
「つまりさ、クリシュナの体、ないんだよな」
オレは視線を前方に移して言った。クリシュナの体は、バルコニーから落ちた時に死んじまったんじゃないか? もしそうなら、彼には戻る場所がない。それは瞬弥にとって最悪な事態だ。
「俺は、実は楽観視してる。クリシュナの体は必ずどこかにある。だから、早いとこそれを見つけて、返してやらないとな。俺だって、いつまでも居候させておくのは嫌だ。あいつの心象もわかるけど、俺の気持ちもバレバレってのが許せない!」
瞬弥の気持ちねえ。オレも大体わかるけど? 嘘付ける奴じゃないし。まあ、色々プライバシー侵害だって気持ちもわかる。
オレは武芸一般なんでもござれの武道オタクだ。これもオレの育った環境に因っている。オレんちは瞬弥ほどではないにせよ、代々続く武家、天堂家の末裔だ。オレの親父も武芸に長け、今は武道塾を開設して都内十カ所に拠点を持っている。オレは五人兄弟の真ん中。五人ともが実にユニークな才を持っているが、武芸に通じているのは全員の共通項。因みにオレは、弓道の高校生チャンピオンだ。
この日も部活が終わり、陸上部の瞬弥、(こっちもエースだ)を待っていた。明日は土曜日だし、今日は瞬弥のタワマンに泊まるつもりだ。
「わりい、今日は実家に帰ることになった」
シャワーを浴びてこざっぱりした瞬弥は、オレの顔を見るなりそう言った。スマホに連絡が入ったらしい。瞬弥の実家は八王子のそのまた向こうの山奥だ。そこで何かあるらしい。
「それは仕方ないな。クリシュナにちゃんと言い含めておけよ」
「わかってる。あ、でもこいつは今、この世界の情報を仕入れるのに手一杯だよ。テレビもスマホも一々驚くんで煩くてさ」
なるほど。そりゃそうだろう。オレ達の世界、王子様にはどう映ってるんだろう。
ほどなく、校門に迎えの車が来た。黒のベンツだ。全くどこの御曹司だ。いや、マジでそうなんだけど。瞬弥は無表情で乗り込むと、左手を軽く上げた。オレも右手を上げる。気の早い落ち葉を踏みながら、黒い高級外車が過ぎ去った。その時だった。オレは背中に悪寒が走った。物凄い殺気だ!
「何!?」
オレは咄嗟に身を翻す。そこに目にも止まらぬ速さで何かがよぎった。
――――矢!?
オレは声も出なかった。オレの制服を微妙に掠り、地面に突き刺さったのは、大きな矢だった。オレが部活で使っているような大人しい矢ではない。鏃が殺傷能力を示すように鋭利に尖り、鈍く光っている。
――――誰だ!? クリシュナの追手か?
高校生のオレに殺意満載の攻撃を仕掛けてくる奴なんざ、心当たりはない。校門に向かって数人の生徒がやってくる。マズい。オレは走ってその場を後にし、校舎の裏に向かった。学校前の街路樹がざわざわと音を立てている。どうやら敵は樹の上にいるらしい。オレはその辺に落ちてた石を拾って気配の方に投げた。
「!」
声にならない音がする。やったか!? だが、その後殺意はおろか、気配すら消えてしまった。オレはしばらく茫然として、樹々の揺れを眺めていた。