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第55話 人間離れ

 

 オレは閉じられた扉をじっと見ていた。それを見たところで開きはしないのに。


 ――――あいつらの回りに人がいなくなったら、すぐにも行こうか……。


 翔達が中に入ったことで、オレはすぐにもこの中に入ることが可能になったのだ。『時渡りの粉』で。弟達が持ってきた「完全版」は、何十回も使用可能な量がある。もちろん、アルジュナからは、オレが入ることで捕まったら何にもならない。行動は慎重にしろと言われていたが。


『私たちはどなたにお仕えするのでございますか?』

『二人一緒にいられるのでしょうか』


 イヤホンに二人の声が届いた。オレはハッとしてその声に耳を澄ます。


『しばらくは一緒にいるがいい。どのみち、手厚い歓迎を受けるだろうからねえ。ヒヒヒ……』


 あのばあさんの声が遠くから聞こえてくる。おい、それどういうことだよ!


『でもおまえ達、いい日に来たよ。今日はほとんど出払ってる。武芸大会があるからね。私もおまえ達を置いて、すぐに行きたいよ! いい男がくるんだってよ!』


 下品すぎる高笑いが聞こえる。背筋に芋虫が這ったような悪寒が走った。

 言われるまでもなく、それを当て込んで今日にしたのだ。弟達も心配だが、瞬弥も心配になってきた。


 大勢の悪意に晒されながら戦いの場に出るのは相当なストレスだろう。卑しく浅ましい連中に瞬弥が視姦されるようでどうにも耐えがたい。もちろんヤツらの愚かな希望は瞬弥たちが粉々に砕いてくれると信じているが。


『この二人かい?』


 耳に新たな人物の声が聞こえた。少し若い女の声だ。オレはまた注意をそちらに振り戻す。


『ああ、そうだよ。レジナ妃は武芸大会に行ったかね?』

『いや、相変わらず籠ってるよ』


 感情を抑えた様な、音だけだと冷たく響いて聞こえる。滑舌がよくて聞き取りやすいのだが、気持ちがこもっていないのだ。平たく、抑揚のない声が耳に残る。


『へえ、まあ、レジナ妃は夜が主戦場だからね』


 レジナ妃。それが双子が仕える妃か。今日はおおかたの妃が武芸大会に出ているだろうから、後宮をウロウロできると思ったのだが……。昼間に外出しないタイプの妃なのか。


『私達どうすればよいですか?』


 翔の声だ。不安そうな声で尋ねている。芝居なのかとも思うが、その心もとない声色にオレは胸が痛むのを感じた。


『おまえ達は私と共にくればいい。妃には夜引き合わせよう』

『良かったねえ。少なくとも夜までは命があるよ』


 何言ってんだ、このばばあ! しばくぞ! 二人が震えあがってる様、あまり想像できないが、浮かんできてオレは焦る。


『よさないか。さっさと武芸大会行ってこい』


 また下卑た高笑いが起こり、それはだんだんと小さくなっていった。ばあさんがその場を離れたのだろう。オレはこの姿の見えない女が気になった。優しそうに思えても、良い奴なんてここにはいない。気を付けるんだ。翔、航。


 オレは一旦扉の前から離れた。後宮の近くでウロウロしているのは得策ではない。宮殿を守るように密集している樹々の中を抜け、商人たちが集う勝手門の方へと向かった。



『樹!? 聞こえるか?』


 そんなオレの耳に瞬弥の声が飛び込んで来た。瞬弥とアルジュナもマトゥラー国王城に到着したのだろう。二人は、ドヴァラカ国選りすぐりの兵士達を親衛隊と称して連れてきているはずだ。だが、もちろん人数は限られている。


「聞こえる。着いたのか?」

『ああ、予想通りのただならない雰囲気だ。出場する選手も、なんだか人間味のないやつばかりだ』

「大丈夫か?」


 どこか楽しそうな瞬弥の声に、オレは心配ないとは思いながらも、やはり気になる。先ほどの下品な声が甦る。今回は瞬弥のそばにいられない。助けるためには、クリシュナの体を見つけなくてはならないからだ。


『大丈夫だ。こっちも人間味がない』


 え? オレは聞き間違えたのかと思って、思わず耳に手を当てる。イヤホンを軽く叩こうかと思った時、少し声を小さくした瞬弥はこう言った。


『クリシュナの兄貴、マジで人間離れしてる。兄弟とか嘘だと思ったよ』


 瞬弥によると、クリシュナの兄貴、バララーマは牛やトラ相手でも素手で伸してしまうほどの怪力の持ち主で、体も弟の倍ぐらいでかいらしい。……人間じゃないな、多分。しかし、声を顰めたって、クリシュナには聞こえてるだろ。瞬弥はどうして弟のクリシュナが皇太子なのか謎が解けたとか失礼なことまで言っていた。


「そうだ、アルジュナ、聞いてるか?」


 オレは弟達が仕えるというレジナ妃のことが気になった。もしかして知っているかもと思ったのだ。回線をオープンにしてアルジュナに声をかける。


『レジナ妃……。そうか、彼女、カンサ王の後宮に入っていたのか!?』


 これはクリシュナとアルジュナ両方とも驚いたようだった。オレは心臓に針を差し込まれたような感覚を覚えた。これは、マズいことなのか?


『レジナ妃は、アスラ族の姫だ』


 アスラ族にも美しい姿をしたものはいる。その中でもレジナ妃は神とも見紛う美しさらしい。だが、残念なことに性格は残虐そのもの。一度、その美しさに一目ぼれした神のところに輿入れしたが、夫の傍に寄り添う側室たちを全て惨殺したらしい。しかもその女たちは全部目を繰り抜かれていたと言う……。

 おい、冗談じゃない。あの婆さんが言ってたことは脅かしじゃないのか。レジナ妃の女官が居なくなると言うのも……。


『樹、レジナ妃は太陽の光が苦手で昼間はずっと寝ているはずだ。明るいうちに事を済ませろ。弟達をレジナ妃のそばに行かせてはならん』

「わかってるよ。言われなくても……」


 だから、オレは反対だったんだ。いや、一度は承諾したんだ。そんなことはもうどうにもならない。


「じゃあ、何かあったら連絡する。瞬弥、気を抜くな。武運を祈ってる」


 瞬弥の「ああ。おまえも」という声を最後に、オレは弟たちの方に周波数を切り替えた。全員が会話できるチャンネルももちろんあるが、今は必要ないだろう。

 翔と航の会話が聞こえる。荷物がどうとか言っている。まずは自分達の寝床に連れて行ってもらったようだ。今のところは順調にいっているのだろうか。そう安心したところだった。抑揚のない女の口調が豹変した。


『今日は人が少ないけれど、ここに残っているのは、別のお楽しみが大好きな連中だよ。さあ、始めようか! 祭りだ!』


 それは強者が弱者に発する音だ。オレはたすき掛けしている鞄に手を突っ込んだ。

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