第48話 再びの旅立ち
翌日早朝。興奮で眠れないかと思ったが、意外にぐっすり眠れた。
風呂に入ってから行くことを決めていたオレは、離れにある兄弟専用の風呂で体を清め、髪を拭きながら渡り廊下を歩いていた。荷物は既に出来ている。簡単に腹ごしらえをしたらあいつが待ってる場所に行く。
あいつがオレを待っているかって? もちろん。あいつはオレをここに帰したこと、絶対に後悔しているはずだ。腑抜けたように虚ろになっているに違いない。
だが、オレはやはり不安だった。ここに戻ってから既に八日が経っている。それでも瞬弥は戻って来ない。あいつらは無事なんだろうか。
体を奪取していないにせよ、もしかしたらと不安が頭にもたげてくる。
――――いや、そんなことは絶対にない! もし危険になったら、アルジュナのことだ。瞬弥とクリシュナをこっちに戻してくる。あいつはそれもあって、オレをここに帰したんだ。
全く根拠のない考えだったが、オレはそれに望みをかけていた。
「今朝、行くのか」
考え事をしていたオレに、聞き覚えのあるどっしりした声が刺しこんだ。すぐ横に次兄の春真がいた。
それまで全く気が付かなかったオレは全身電気が走ったようにびくついた。兄たちにはまだ、オレが帰っていることを知られているつもりはなかったのだが……。
朝稽古を済ませた後だろう。オレよりも一回り体の大きな次兄は、道着をびしっと決めていた。短髪の生え際には、うっすらと汗が滲んでいる。
「二度と負け犬のようには帰ってくるな」
全部お見通し!? 弟達、もしや話したのか? いや、違うな。
「わかっています」
「なら、いい。気を付けて行け」
「はい」
鋭い兄たちが知らないわけはない。多分、長兄の悠里も当然気付いているのだろう。それでもオレの無茶を黙ってやらせてくれる。兄貴たちに感謝だな。
今日、この時代を発つことは、昨夜のうちに円佳さんに連絡済みだった。
「承知しました。お気をつけて」
電話口での彼女はいつも通り、全く動ぜずオレの話を聞いていた。
「うん。瞬弥に何か伝えることはない?」
彼女は少し考えてこう言った。
「いえ、お帰りになったら、私が直接お伝えします」
つまりオレを介しては伝えられないってことね。まあいいさ。ライバルだからな(笑える)。けど、彼女は意外な情報を教えてくれた。
「以前、瞬弥さんのお屋敷で襲ってきた連中なんですが」
「え?! あのアスラ族のこと?」
円佳さんが瞬弥と初めて会った夜、オレ達はアスラ族の襲撃を受けた。七、八人はいたと思うが。そう言えば、あいつらまだこの時代にいたのか。
「はい。連中らしき一団が、どこかのモールで騒ぎを起こしたのを、警察が取り囲んだそうなのですが」
警察? いやいや、せめて自衛隊でもこなきゃ、あいつら捕まえられないだろう。オレはちょっと青くなった。まさか、惨殺事件でも起きたんじゃなかろうか。
「それで? どうなったの!?」
「はい、それが、そこで急にみな消えてしまったそうです」
「え? 消えてなくなった? どういうことだ……」
「あまりに不可思議なことなので、機密事項になっているのですが……」
機密事項? そりゃ、こんなことが公になったら大変なことになるけれど……。
「その機密事項を何故、円佳さんが知っているの?」
素朴な疑問だ。
「あ、それは、私の父が警察官僚トップなので」
ああ、なるほど。さすが瞬弥の婚約者。只者ではなかったのね。
「これは、アルジュナさんに伝えておいてください。それ以降、彼らが暴れたと言う話はないので、そちらの時代に戻ったのではないかと思っています」
「了解。ありがとうね」
奴らはどうやって帰ったんだろう。オレはスマホの電話を切って考えをめぐらした。が、これはアルジュナ達に聞けばわかることだと、すぐに思考を放棄した。
「樹兄さん、いよいよだね。頑張ってね!」
オレは全ての準備を整えた。『時渡りの粉』を皿の上に乗せ、後は火にあぶるだけだ。
「ああ、今度は瞬弥と一緒に帰ってくるから」
「うん」
双子が涼やかな双眸を向けている。オレが目で合図すると、諦めきれない顔をしながらも部屋を出て行った。
オレは深呼吸をして、柄の長いライターで粉を炙る。ぐっと上瞼を下瞼に押し付けて、集中し、瞬弥の気を探した。
――――いた!
オレは目をぼんやりと開ける。まだこちらの時代だ。扉の向こうに双子の顔が揺らいでいる。にこやかに笑うあいつらの手には、粉の入った瓶があった。