第41話 消された意識
これが夢なら、あの夢の続きで、まだ夢の中にいるのなら、どんなに良かっただろう。だけど、オレを叩きのめそうとするアルジュナの鉄拳が、これは夢じゃないと叫ぶ。
オレはそれでも必死にヤツに抵抗した。頬を張られ、腹にボデーブローを喰らって膝を折っても、ヤツに向かって行った。『瞬弥を返せ』と唸るように叫びながら。
「瞬弥はもういない。だからもう、おまえには用がない。さっさと元いたところに帰れ!」
ゴミのように投げられ、床に無惨にも転がったオレに、アルジュナが吐き捨てる。
「どうし……て、急に……」
オレはそれでも這うようにして、アルジュナの方に体を動かしていく。口の中は自分の血の味しかしない。アドレナリンのおかげで痛みはほとんど感じないのに、正直な体はいつもの動きを拒否しやがる。
「貴様が私から『時渡りの粉』を盗んでいたのは知っていた。それをどうするか、黙って見ていたのだ」
やはり知ってたのか。それなのに黙っていた? オレが瞬弥と帰ってしまわないかと見張っていた?
「オレを、試した、のか?」
「そうだ。私が見過ごすとでも思ったのか? 貴様の弱い心が瞬弥をクリシュナと共に連れ帰ろうとするのを。そんなことは絶対に許さない」
「でも、瞬弥は、瞬弥は何もしていない! 悪いのはオレだ! オレが勝手に。なのに、何故?! もういないって……どういうことだよ」
オレはもう一度立ち上がり、アルジュナに向かって行った。片目が良く見えないのは何故だろう。右足にうまく体重が乗らない。でも、そんなことはもう、どうでも良かった。
「瞬弥には消えてもらった」
死刑判決のような宣告。オレは再び、歩みを止める。まるで幽霊のようにふらふらと体が揺れ、アルジュナの口が動くのを見ていた。
「いいか。こんなことは私達もしたくはなかったのだ。あいつの意識を消すことなどクリシュナには何時でもできたんだ。それをしなかったのは、瞬弥がクリシュナを受け入れ、体を得ることに協力してくれたからだ。あいつは、もし体が手に入らなくても、クリシュナの使命を遂げるまでは体を貸すことも辞さないつもりだった」
そうだよ……。オレはそれがわかってた。だから、だから……。
今、瞬弥を連れて帰っても何にも解決しないことぐらいわかってた。でも、ここに居たら、おまえ達に飲み込められそうで、怖かったんだ。なのに!
「消えて……。おまえたち、それは、瞬弥を殺したってことか……?」
口にするだけでオレは震えた。嘘だ! こんなこと嘘に違いない! 瞬弥がオレの前からいなくなるなんて、絶対に許さない! たとえこれが自分の撒いた種だとしても、許さない!
「オレを、オレを殺せばいい話だろう!? なぜ、なぜ!」
それからオレは自分が何をしたのか、全く覚えていない。火事場の馬鹿力じゃないけれど、もう動けないと思っていた体が熱を帯びた塊みたいになってアルジュナに向かって行った。
気が付いた時にはアルジュナの首を絞めていた。オレの涙がヤツの頬に落ちていくのを見てハッとした。
「アルジュナ……」
アルジュナは首を絞められているのに、オレの泣き顔を憐れむように見つめている。
「うっ!」
その時、後頭部に重い衝撃を受け、オレはヤツの堅い身体の上に崩れていった。
ハーブを燻したような匂いがオレの鼻腔から思念へと届いていく。嗅いだことのあるこの香りにオレは意識の中で戦慄する。
やめてくれ、今、それをするのは止めてくれ。意識は必死で抵抗するのに、オレの体は一ミリも動かない。
――――瞬弥……。オレは……取り返しのつかないことを……してしまった……。
ふわりと体が浮いた。殺せ……。お願いだから、オレを殺してくれ。
――――樹、貴様は自分の時代に戻るんだ。貴様には、耐えられなかった。それだけのことだ。
オレの意識にアルジュナの声が届く。悔しくて、苦しくて、辛くて、悲しくて、死んでしまいたいくらいぺしゃんこに潰れたオレの心。そのオレに、アルジュナは信じられないことを告げた。
――――心配することはない。これは、瞬弥からの頼みだったのだから。