第40話 失言の代償
言ってからいくら後悔しても、外に出た言葉は戻っては来ない。相手の耳に届いた時点でアウトだ。
「何言ってるんだ? 帰るさ。問題が片付いたら……」
そこまで言って、瞬弥は唐突に口を閉ざした。沈黙のままオレ達は同じ方向を見て座っている。雨季の湿った風が窓から入ってくるのを背中に感じた。
「いつ……」
「そうだな、早くクリシュナの体を奪還して、帰ろうぜ。おやすみ!」
オレが何故そう言い出したのか、瞬弥はわかっていただろう。だけど、オレはまだ足搔きたかった。失言が、あの嫌な夢のせいであったとしても、あんな事を言うなんて!
オレは自分で自分を恥じた。瞬弥が何も言わないのを幸いに、オレはシーツを手繰り寄せ、寝たふりをした。
それから、なかなか寝付けなかったが、夜明け前に訪れた睡魔によってまどろみを得ることができた。
雨季に入ったこの地で、今朝も朝日は昇らなかった。じんわりとわきの下にかく汗の不快さに、オレは目が覚めた。
「起きたか」
オレがごそごそと体を起こすと、アルジュナが声をかけてきた。いつもの、いや、どこかいつもと違う、乾いた声だ。オレは否応なしに、昨夜の瞬弥との会話を思い出す。
――――アルジュナは、多分、昨夜オレが言ったことを、わかっている。
「おはよう」
それでもオレは、いつもと変わらないふりをした。この、どこか胸がざわつく、違和感。それを振り切るためにも、それは必要だった。
「瞬弥? オレ、珈琲飲みたいんだけど」
オレは背を向けて座る瞬弥に声をかけた。奴は窓の方を向いて、まるで雨を見るかのように、ぼんやりと上の方に顎を上げている。なんだか、妙だ。瞬弥は寝ているのだろうか。昨夜、変な時間に起こしたから。
「すまないな、樹。珈琲を淹れてやることはできない」
そう言って振り向いた金の瞳。クリシュナの落ち着いた声がオレの背筋を凍らせる。
ヤツはそのまま窓際へと歩き、窓枠に両手をついて外を眺めている。雨の音だけが部屋を伝う。
――――おかしい……。何かがおかしい。
「どういうことだ。瞬弥は寝ているのか?」
オレの声が震えている。はっきりと言ったはずなのに、唇から漏れ出た声は妙に掠れて弱々しい。左手で胸のあたりを触れる。心臓の鼓動が指に伝わるほど大きく打っている。その左手を、そのまま下へとずらし、目指すものを探った。
――――ない!
アルジュナの双眸がオレを捉えている。オレの間近に立ち、微動だにせず、冷ややかに。オレの様子を注視している。
パンツのポケットの奥底に、沈めていたイヤホンケース。それが跡形もなく消えていた。
「何をした……」
「樹……」
「おまえたち、瞬弥に何をした!?」
オレは言うが早いか窓辺まで突進した。そしてクリシュナの腕を力任せに握ると振り向かせ、同時に頬を張った。
風船が割れたような破裂音が鼓膜を直撃する。クリシュナの頬が見る見るうちに赤く腫れていく。だが、瞳は金色のままだ。
「そんな……! そんな、そんな!」
オレはもう一度頬を張る。だが瞳の色は変わらない。クリシュナは何も言わず金色の瞳でオレを見ている。
オレは自分の感情が沸騰していく音を聴いた。その後は自分でも何をどうしているのかわからなくなった。感情のまま、本能のままに体が動き、手を振り上げる。
でも、もう一度振り下ろすことはできなかった。
「よせ! 樹!」
オレの右腕をアルジュナが掴んだ。オレの右手は、セメントで固められたかのように動かなくなった。
「アルジュナ、てめえ……。許さん……」
「何を許さんのだ? 盗んだ『時渡りの粉』を使って、クリシュナ共々、自分達の世界に逃げようとした奴が?」
「そうだよ。何が悪いんだ。おまえたちが、勝手に瞬弥の体に入り込んだんだろうが!」
オレは全身の力を使って右腕をヤツの拘束から振りほどき、そのまま殴り掛かった。勝てるとか勝てないとか、そんなことじゃない。
怒りと苦しさで息ができない。なんだか前が見えない。涙が両目から溢れ出ている。何の涙だ? それもわからない。胸の中が、胸の中が、焼けるのように熱くて、熱くて!
「ちき……しょう! 瞬弥を返せー!」
オレは自分の体の中にある全ての感情を右拳に乗せ、アルジュナの顔面に叩き込んだ。




