第36話 貞操の危機 その2
アルジュナが選んだ西の国の商人というのは、一見してアラビアと呼ばれる地域とオレは思っている。子供のころテレビで見た、アラジンみたいな服を着ている。
オレは使用人だから、粗末っぽい感じはあったけど、白い帽子にそんな印が付いてるとは知らなかったな。
「さあ、こっちだ。入りたまえ」
オレは連中を相手に大立ち回りをしても良かったのだが、少し考えを変えた。
あの〇モのおっさんは、この男を官吏長とか呼んでいた。ということは、結構偉い人ってことだ。それなら何か聞きだせるかもしれない。でもどうやって? そりゃオレの色仕掛けで……。全然自信ねえよ……。
「固くならなくてもいい。何か聞くつもりはないから。もちろん、大人しくしてたらだけどね」
紳士ずらしたヤツがオレの耳元で囁いてくる。鼻の下に整えられた髭が触れそうだ。やっぱり心折れそう……。なんか泣けてきた。
かなり歩いて招かれて入った場所は、宮殿の並びにある建屋の三階だった。随分中心に近くなった。これってやっぱり収穫ありなんじゃない? 多くの犠牲を払ってここまで来たんだ。てか、これ以上の犠牲は絶対無理だけど。
部屋へ通されるとたくさんの使用人がいた。ほとんどが肉体美を誇る男性だ。やはりこの人は偉い人のようだな(そっち系の人であることは一目瞭然)。
風通しの良い広い応接間? 居間? のような場所には、座り心地の良さそうな長椅子がいくつか置かれている。敷き詰められた赤い絨毯は、鳥や樹々といった凝った刺繍が施されているし、周りにある調度品もいかにも高級そうだ。
木で編んだような椅子には柔らかそうなクッションがいくつも置かれ、ソマカ官吏長はそこにどかりと座った。続いてオレが対面の椅子に座ろうとすると、お茶を持ってきた使用人が首を振る。
「こっちだよ。君の椅子は」
――――待って……。
指示されたのは彼の隣だった。
「あの、私の主人はどこにいるのでしょうか?」
オレは仕方なくそいつの隣に座った。もちろん、出来る限り距離を開けて。そしてさりげなく目を逸らしながら会話を続ける。
「このようなところにお邪魔していては、主人に怒られます」
「おまえの主人など知らんが? 話のわからんやつだな。それともとぼけておるのか?」
はあ……。やっぱりそうですよね。折角開けた距離がだんだん詰められている。なんかすごく顔が近いんですけど。もう腹括るしかないかな。もちろん、こっから逃げ出すってことだよ。
「えっと、ソマカ官吏長様、そのお衣装、とても素敵でございますね。ここの人たちは、皆、上半身ほぼ裸なので……」
矛先をちょっと変えてみた。すると、近くなっていた顔がちょっとだけ止まってくれた。お洒落好きな男なのか、ピンと張った髭を手でくねらせ口元をほころばせた。衣装を褒められたことが嬉しいようだ。
「そうだろう? 全くここの住人は、暑いからといって、服を楽しむことを知らん。まあ、体つきのいい男も多いので、目の保養になるがな。君もいい身体してるじゃないか」
と、結局オレの上腕二頭筋を触ってくる。ギリ、これくらいは触らせてやる。でも、気持ち悪い。今度は全身を毛虫が這い出した。
「ああ、いえ、それほどでも。そうそう、体と言えば、別のお城でそれはそれは、ずっといい身体をしている人を見かけましたよ! えっと、なんだろ、クル族の英雄とか……」
一体オレは何の話をしてるんだ!? 男の話とか全然したくない!
「アルジュナのことか?」
よし来た! ようやくオレの涙ぐましい努力が……。オレは上腕二頭筋を触るソマカの指遣いに悪寒を感じながら(あくまで悪寒だからな)、興味津々のような瞳を投げかけた。
「ご存じでございますか?」
「ふんむ。興味あるのか、あやつに。あやつは我が王の仇敵、クリシュナの腰巾着だからな」
腰巾着……。あいつが聞いたら、こいつの首、一瞬でへし折られるな。そう思いながらもオレは愛想笑いしてみる。ひ、ひきつる……。絶対オレにはこんなこと無理だっつの。
「そうでございましたか。お会いになられたことは?」
「いや、ない。だが、噂は聞いておるからな。是非、会ってみたいと思っていたのだ」
まさに舌なめずりの音が聞こえるようなヤツの言い方。心底きもい。だがそれよりも、
「思っておられた?」オレはその微妙な言い回しが気になった。思っていた、というのは、今はもう思っていないのか、それとも?
「会えるんだよ。そのアルジュナに」
腕を触っていた右手が今度は大胸筋のあたりに伸びてきた。鳥肌が立つ。だが、ここは聞きだしたいところだ。オレは、そっとヤツの手に右手を添えて静かに引きはがす。なんだってこんなことをオレはしてんだよ!
「アルジュナ様に! それは、なんと羨ましい。彼がこの国を来訪されるのですか?」
「うん? ふふふ。まあ、おまえはよそ者だし、帰すつもりもないから言うけれど……」
今、すごく聞き捨てならないこと言いやがったが、ここは敢えてスルーする。
「あいつとクリシュナを誘き出す策があってな」
オレはそうと悟られないように息を呑む。表情だけはにこやかな笑顔を絶やさず、こいつの右手の指を握った。……握り返されたけど……。
アルジュナがアラビアの商人を選んだのは、こういうことも加味してなのだろうか?
とかく人間というのは異郷や異教の者を蔑み、軽んじる。そういう時、上に立ったと勘違いする馬鹿は、油断するものだ。
このお触りは高くつくと思い知れよ。オレはゆっくりと口角を上げた。