第33話 雷雨の出来事
雨季というのは、突然やってくるのか?
オレは今、突然降りだした滝のような雨のなか、屋敷に向かって走っている。瞬く間に道は川のようになり、オレの足元は既にぬかるんで、つま先に力を入れながら走ることを強要した。
「おい、樹、ここで少し雨宿りしよう。この雨はすぐに止む」
大きな屋根のある館の軒先で、アルジュナがオレを手招く。こういう南国の雨をスコールって言うのかな。確かに気温は高いから、肌を濡らす雨粒はすぐに蒸発していく。ただ、足元だけが不快だ。これは舗装道路にしか歩いたことがない現代人にはどうしようもないことだろうな。
「はあ、参ったなあ」
オレとアルジュナは、クリシュナと瞬弥を置いて、宮殿の出入りを束ねる商人の所へ出向いていた。オレらが宮殿の裏方に入るためには、そいつに許可をもらわないといけないらしい。要するに金を渡すってこと。
アルジュナはマトゥラー国に入る前、ドヴァラカ国から大枚持ってこさせていた。いや、これはクリシュナが準備させたのかな。一国の王子様だから、金に困ることはなかった。ここの家だって、それがあってこその屋敷なのだ。
「貴様がくれたタオル、というのか? 水をよく吸ってくれて使い心地が良いな」
アルジュナはオレが貸してやったタオルを機嫌よく使っている。こちらに時渡りするとき、弟が三枚用意してくれたものだ。オレの替えのつもりだったんだろうが、アルジュナが不思議そうに見ていたので一枚やった。
「お役に立てて何よりだよ」
オレもタオルで頭を拭きながら応じる。そのときだ。オレの目にあるものが飛び込んで来た。
――――時渡りの粉……。
アルジュナの上半身は既に裸だ。いつもの恰好でなく、商人風の衣服を着ていたからだろうか。無造作に時渡りの粉の入った袋が帯からぶら下がっている。手を伸ばせば、すぐにも取れそうだ。もちろん、アルジュナが気が付かないとも思えないが。
「おっと!」
目の前に眩しい閃光が弾けた。と同時に轟音が鼓膜をぶん殴る。いつの間にこれほど暗くなっていたんだろう。稲光が空を龍のように駆け巡り、幾度も破壊的な音を響かせる。時には大木や地面に落ちて、地震のように大地を震わせた。
「すごいな」
「すぐ終わる。だが、神の雷は気まぐれだが危険だ。雨宿りは正解だったな」
「瞬弥……大丈夫……」
オレはみなまで言う事ができなかった。オレ達の目の前に稲光が突き刺さった。オレは眩しさで一瞬目を閉じる。爆弾が落ちたような衝撃と轟音を全身に受けた。
アルジュナは驚いたのか、ヤツにしては珍しく慌てたようで体を小刻みに震わせている。
――――袋だ……。取れる……。
それはオレの指のすぐそばにあった。これほどアルジュナが無防備なのはオレの知る限り初めてだ。雷はまだ攻撃を止めない。再び眼前を一瞬の光でくらませている。
だが、オレは雷の正体を知っている。この時代の人はアルジュナですら、雷が神様の怒りや畏怖するものと捉えているようだ。危険な自然の仕業ではあるが、正しく対処すれば恐れることはない。
堅く縛られているはずの紐に小さな綻びが見えた。呼吸を整える。オレはアルジュナから『時渡りの粉』を手に入れた。