第31話 ご一行様まかり通る?
ガンジス河って、今のオレ達の印象はあんまり良くない。まあ、オレの個人的印象かもしれないけど、聖なる河と言いながら、不衛生で汚いって思ってた。
でも、この時代のガンジス河は川底まではっきりと見える位透明度が高く綺麗だ。水面に跳ねる小魚も河から出てこようとする姿まで捉えることができる。そしてこれは島国に住んでいるオレには仕方ないことだが、下流になると、まるで流れる湖のように大きい。これは実感しないと想像もできないものだ。
だから、河を挟んで国があると言っても、向こう岸など見えやしない。
オレ達を運んでくれたカリヤは、自分の姿を見られるのを嫌って少し手前の方で別れることになった。カリヤの懸念はオレ達も同じだ。命を狙っている敵国で姿を晒すほど馬鹿ではない。アルジュナの指示通り、オレ達は変装することになった。
「こんな適当な変装で平気なんかな」
「ネットはおろか、印刷技術すらない時代だ。いくらクリシュナ達が有名でも、顔を知ってる人はそんなにいないんじゃないか?」
「そうかあ?」
「ほら、例のあれだよ。印籠持って歩いてたご老人。あれも風体を変えただけだろ? 顔じゃなくて印籠で判断してたんだ」
オレと瞬弥はアラビアン商人風の恰好をしている。瞬弥は他国からやってきた商人ご一行の若旦那? で、オレはまあ、その使用人だ。なんでだよ、使用人て。
確かに水戸の爺さん一行も、こんな扮装してたな。オレはスケさんカクさん? はちごろうじゃないだろうな。アルジュナは用心棒のヤヒチってとこか、さり気に武器を携帯している。しかも立派な髭を着けてて、ちょっと笑いを誘う。あ、睨まれた……。
それだけの支度を、オレ達はマトゥラー国の手前にあった小さな街で済ませた。明日はいよいよマトゥラー国に向かう。宿の窓からは、霞がかった王の宮殿が見える。
この場所から見えるということは、相当の大きさだ。それを中心に栄える城下町を加えて一つのマトゥラー国と呼ぶ。悪王が治めてる割には華やかに見えるな。
「それは『見える』だけだ」
オレが能天気にそう言うと、クリシュナが冷たく言い放った。どこか浮世離れ感のある普段からは、想像できないくらい冷ややかな言い方だ。
「あの国は、国王に与する者一部だけが富栄え、その余力にあやかろうとする者が王のご機嫌ばかりを窺う。人民は貧しい生活を強いられ、意を唱えるものは捉えられるか殺されるかだ」
クリシュナは生まれてすぐ、ドヴァラカ国の牛飼いの家に里子に出された。高名な神仙、ナーラダに『ドヴァラカ国に八番目に生まれた王子がマトゥラー国の悪王カンサを討ち果たす』と預言されたからだ。
クリシュナは国王の八番目の子供だった。その預言を知ったカンサ王は、ドヴァラカ国に生まれた王子を悉く殺したという。つまり、クリシュナの兄弟はほとんど殺されたってわけだ。しかもカンサ王はそれだけでは足りず、どこかに逃げたとの情報を得た時には、国中の同い年の子供を殺し回ったとも言われている。
キリスト教でも確か同じような伝説があったよな。なんだか、英雄とか救世主には、血生臭い話がついて回るんだな。もちろんクリシュナの話は多少の誇張はあれ、現実なんだろうけれど。
クリシュナは、牛飼いとして暮らしていたときも、隣国の惨状について憂いてはいたらしい。怪力で(見た目からは信じられないけれど)、武術に秀でていたクリシュナは、自分が役に立てればと思っていたと話してくれた。
「ある日、ドヴァラカの王城から迎えが来た。私はこの国の王子だと。驚いたよ。兄弟がほとんど殺されていて、私が皇太子だとのことだった。そして……」
同時に、自分こそがあのカンサ王を討つために、神々が遣わした者だということも、その時に知らされた。ナーラダ仙も、カンサ王からクリシュナを守るために黙っていたとのことだけど、オレ的にはそこのところ、正直信じきれない。後付けっぽいって言ったら怒るかな。
「実は、同じ預言を受けた兄が一人いてな。生き延びているはずの彼を今、探してもらっているのだよ。彼と共に私はカンサ王を討つ」
時が満ちていないってのは、そういうこと? あくまで預言通りにする必要ってあるのかな。そんなのうっちゃっといて、アルジュナとでも行けばいいのに。と思うオレはこの時代的に間違ってるのか?
「預言ねえ。それに拘って、もたもたしてるから、こんな目に合うんじゃねえの? ところで、アルジュナとはどこで知り合ったんだよ」
オレの意見に一瞬憮然としたクリシュナだったが、その問いには快く答えてくれた。
「アルジュナと出会ったのは、私がドヴァラカの王城に入ってすぐだ。奴は森を一人で放浪していた。その頃既に英雄として名高い男だったから、会えたことに興奮したし、必然とも思ったな」
二人はすぐ意気投合して仲良くなったらしい。とすると、四、五年前かな? オレらと違って大人になってから会ったんだな。
オレは珍しくクリシュナと長く話をした。のんびりした王子様と思っていたけど、意外に懐が深いのかもな。
――――しかし、それで樹が納得するとは思えない。
――――私も同感だな。
――――納得とかそんなことはどうでもいいんだ。これは俺らの問題だ。
その日も修練と言う名のしごきを経て、オレは宿で爆睡していた。明日からは敵陣だし、久しぶりに寝床で眠れたのもあって、気持ちよく夢を貪っていた。これは、夢なのか? 三人の声がした……。