第30話 苛立ち
「まだはっきりとはわからないが、クリシュナの身体は、カンサ王の国、マトゥラー国にある可能性が高いようだ」
カリヤとの話を終え、アルジュナがオレ達のところへ戻ってきた。既に起き上がり、体操座りしていたオレは、ヤツの顔を見上げる。さぞかし落胆しているだろうと思ったが、全くそんな気配もない。
だけど、淡々としてはいても、オレの目を全く見ないのは、ちょっとは動揺してんのかな。
「じゃ、そこ行くか」
「今度はそう簡単に行ける場所ではない」
オレの言うことを予知していたかのように、アルジュナは被せてきた。
「で? それが何? 行くしかないだろう」
被せてきたうえに被せてやったぜ。ようやくアルジュナがオレを見た。
「カンサ王にしてみれば、飛んで火にいる夏の虫ということだな」
落ち着いた声はクリシュナのものだ。
「私はまだ、カンサ王が私の体を持っているとは思っていない。あの残酷な男なら、体を無事に保管していることなど有り得ない。今頃八つ裂きにされていることだろう。魂があろとうなかろうとだ」
それが意味することは何なのか。クリシュナは、何が言いたいのか。オレは隣で立ち上がるヤツを追うように腰を上げた。
「おい、まさかもう、体を探しても無駄だって言いたんじゃないだろうな!」
クリシュナは黄金の瞳でオレを一瞥した。
「その逆だ。私の体はカンサ王が気付かない場所にあると思っている。宮殿は都市そのもの、広大な敷地の中にある。闇雲に宮殿内をウロウロするわけにはいかん。なあアルジュナ、情報収集したうえで、慎重にいかないとな」
「そうだ。私が言いたかったことはそういうことだ。樹、貴様の方こそ、急ぎたいのはわかるが、それこそ命取りになるぞ」
右側の口角を上げ、アルジュナは鼻で笑う。オレはつい頭に血が昇る。なんだよ、みんなでオレを馬鹿にしているのかよ。急いで悪いか……。
オレは、落ち着かないんだ。このまま、瞬弥がここにいることを受け入れちゃうんじゃないかって。クリシュナの持つ因縁を引き受けて、一緒に戦うって言うんじゃないかって。
もちろん、そうなったら、オレも一緒に戦うよ。アルジュナは関係ない! オレは、天堂樹として、この時代に生きてやる。それくらいの覚悟は、ここに来た時から出来てるよ。
「好き放題言ってくれるじゃないか。わかった。腰据えるってことだろ。上等だよ!」
「樹。待て、おまえ」
それはオレが今、一番聞きたくなかったハスキーボイス。瞬弥が真面目な顔をしてオレに手を伸ばしてきた。オレは反射的にその手を払う。
「なんだよっ!」
瞳は黒曜石のような漆黒。全ての光が吸収されたかのように輝いている。オレは眩しくて、つい目を逸らした。
「いや、何でもない。なんか、力入ってるからさ」
そういうおまえは、今起こっていることが、まるで他人ごとのように平然としているな。どうしてそんなに落ち着いているんだ。その落ち着きが、逆にオレを不安にする。
「力なんか、入ってないよ……。平気だから」
パンパンに張った風船が急にしぼんだようになって、オレは瞬弥に返した。あいつは、少しだけ寂しそうな匂いのする笑顔を見せる。
「話は済んだか。カリヤが川を下ってくれるとのことだ。それなら、すぐに下流の街に着くだろう。カンサ王のマトゥラー国はそこからすぐだ。ドヴァラカ国のガンジス河を挟んで反対側が奴の領地だからな」
アルジュナがオレ達のやりとりが終わるのを待って、そう声をかけてきた。オレはヤツの腰に付けられた袋に目がいった。
――――時渡りの粉。
焦るな。まだ望みが断たれたわけじゃない。アルジュナもクリシュナも諦めてないなら、それに賭ければいい。
オレは自分にそう言い聞かせた。その様子を、じっと瞬弥が見ているのも気が付かずに。