第24話 深夜の語らい (瞬弥)
オレはここに来る前、念のために時計を持ってきた。この世界には恐らくしっかりした時間がわからないと思ったからだ。だが、アルジュナ達の時間に関する感覚はするどく、違った言い方ではあったが、昼間は太陽の位置、夜は星の位置から、ほぼ正確な時間を把握していた。
夜はまだ更けたばかり。オレの時計は午前二時を指していた。ガンジス河が作り出す規則正しい水流の音が、鼓膜に溜まった水のように耳に残る。時折鳴いているのはフクロウだろうか。低い口笛が水音をかき消して響いた。
「あれ? 今何時だ?」
瞬弥が形の良い双眸を擦りながらオレに声をかけた。まだ交代には早い時間だ。
「オレの時計で二時だ。寝てろよ。まだおまえの番じゃない」
だが、瞬弥は起き上がると、軽く体を動かした。
「さすがに土の上で寝ると体中が痛いな。ぐっすり寝るのは至難の業だ」
「クリシュナは?」
オレは近くに転がっていた丸太を火のそばに運び、今はそこに座っている。瞬弥も隣に腰を下ろした。
「今は寝てるかな? 体の疲れは同じように感じるからな。不思議だけど」
確かに不思議だ。魂だけでも痛みを感じたり、疲れを感じたり。でも、魂が同居していることほど不思議なことはないわけだから、細かいところは気にしてる場合でもないか。
「珈琲淹れるけど、おまえはもういらないよな? 寝る前だし」
「え? 飲むよ! あれって飲んですぐなら逆に良く眠れるんだぜ」
と、どこかの情報番組で言っていた気がする。
「そうなの? へえ。まあ、いいや。淹れてやろう」
一目で嬉しそうだと分かる笑顔をオレに向け、瞬弥は準備をしている。オレに珈琲を淹れるのがそんなに嬉しいのだろうか。オレはアルジュナに目を移す。仰向けで腹の上に腕組をして目を瞑っている。眠ってはいるのだろうが、神経のどこかは研ぎ澄ましたままのはずだ。
「クリシュナとはどんな会話してるんだ? オレ達の聞こえないところで」
オレは少し声のトーンを抑えて話しかけた。瞬弥もそれを理解したのか、声を顰めて応じた。
「ん? なんだ、嫌な言い方するな?」
「別に深い意味はないよ」
確かに言い方は悪かったかな? 二人だけでとか? 心の中でとか? どう聞いても変な感じだな。でも本当に、例えば悪口言ってるとか思ってないし、あってもそこは聞くつもりはない。純粋にどんなこと話しているのか聞きたいだけだ。
「それがな。俺達最初のうちは、ほぼ業務連絡っていうか、クリシュナが不思議に思う事を説明してやってたんだけど……」
瞬弥はそこで一旦言葉を切った。珈琲が至極の香りを漂わせている。オレの目の前にコップが差し出され、黙ってそれを受け取った。暖かく香ばしい液体がオレの心も体も疲労から解放してくれる。やっぱり瞬弥の淹れた珈琲は最高だ。
「今はもっぱらクリシュナの話を聞いてる。あいつの生い立ちとか、考え方とか」
まだ狩猟小屋にいた時、瞬弥がクリシュナことを『こいつが背負っているものの重さも俺にはわかってる』と言っていたのを思い出した。そのことを言っているのだろう。
「クリシュナは神様の化身と言われているけど、本人には自覚がないそうだ。カンサ王を討ち倒す、っていうのも最近知らされたらしい。それまでは、ただの牧場の暴れん坊かつ女たらしだったそうだ」
女たらしは今も変わらないだろう。
「ヤツは身分を隠すために、最初は牛飼いに育てられたんだ。で、そこで好き放題していた。でもある日、ドヴァラカ国から迎えが来て、自分は王子であり、カンサ王を討つ使命を持ったものだと知らされた」
オレはクリシュナのこともネットでサクッと調べていたが、詳しいことは知らなかった。アルジュナの親友で神様の化身、それぐらいの知識だ。
瞬弥が言うには、クリシュナと話していると、優しさや思いやりを深く感じるらしい。その反面、義を重んじる。カンサ王が統治する国の民が酷い目に合ってることは知っていて、それが自分の使命なら喜んで受け入れると思ったそうだ。
まるで武士みたいだな。アルジュナもそうだけど、英雄と呼ばれる者の資質なんだろうか。
「アルジュナに対する気持ちは、揺るぎない信頼、ってとこかな? そこは俺達と同じだな」
カップを持つ右手の小指が他の指より少し上がっている。あいつがリラックスしている時の癖だ。こんなところでリラックスするのもなんだと思うが、瞬弥とクリシュナは、もうお互いを認めているのだなとオレは思った。だからこそ、早くクリシュナの身体を手に入れて、一人一人個人として向かい合わせてやりたい。
――――揺るぎない信頼か。もちろんオレに異議はない。でも、改まって言葉にされるとなんだか照れくさいや……。
あからさまにオレは視線を外し、珈琲を飲み干す。瞬弥はまだオレを見ているのだろうか、少しこそばゆい。
「オレ、もう寝るよ。後は頼んだ。あと二時間もすれば夜が明けるから、それまで頑張れ」
「わかった。おやすみ」
瞬弥はそれ以上何も言わず、静かに残りの珈琲を飲んでいる。オレは、そんなヤツの気配を背中に感じながら、また眠りに落ちていった