第20話 分身の術
朝からオレはアルジュナにたたき起こされ、もとい、陽も登らぬうちから、オレはアルジュナにたたき起こされ、稽古を受けていた。昨夜のことを根に持っているのか否かはしらないが、いつも以上に厳しい。
「構えが甘い!」
「いてえ!」
持っていた木剣を簡単に打ち落とされてしまった。握りしめていた手がジンジンと痺れ、指は折れたかと思うほどだ。だが、休んでいる暇はない。すぐに剣を拾って構えないと、容赦なくヤツの棒が頭上を襲う。
そう、アルジュナはそこらに落ちている棒でオレとやり合ってる。それだけでも屈辱的なのに、ヤツは、右腕一本でオレの相手をしているのだ。
「アルジュナ、腹が空いたぞ。まだ終わらないのか?」
背後で呑気なクリシュナの声がした。王子様、お腹が空いたそうです……。
瞬弥の場合、クリシュナのイメージで体を動かせれば、クリシュナ本来の力、技が繰り出せるらしい。なので、打ち合いよりも筋力、瞬発力トレーニングが効果的だという。その部分はオレと一緒にやるのだが、この打ち合いはオレ一人の鍛錬になってしまうのだ。
「そうだな。樹、片付けておけ」
「はい、ありがとうございました!」
武芸の稽古である。礼に始まり礼に終わる。そこはオレの譲れないところだ。アルジュナは片方だけ口角を上げ、小屋に入っていった。
「樹、あいつが右腕を使うとは、珍しいことなのだぞ」
膝に手を置き、肩で息をするオレにクリシュナが声を掛けてきた。
「え?」
「私ですら、奴は右腕でなく、左腕を使うのだ。だから自信をもって良い」
ああ、そうなのか? 本当だったら嬉しいな。なんだかオレは嬉しくなって、頬が自然と緩んだ。
「良かったな。樹」
今度はハスキーな瞬弥の声。オレは片目を瞑って喜びを表現した。奴もふふんと鼻で笑うと満足そうに踵を返した。
それから三日、良くも悪くも何事もなく、時間は過ぎた。城との情報は鷹のカワリが運んできてくれたので、オレ達は鍛錬以外特にやることがなかった。狩りも初日に獲った分を色々加工していたので、新たに行く必要はなかったのだ。
けれど今日は、アルジュナが珍しく城へと出かけていた。カワリが運んできた手紙を見て行ったので、なにかあったのかもしれない。
残されたオレと瞬弥は二人で打ち合いをすることにした。クリシュナの攻撃センスはさすがで、今まで一度として瞬弥に負けたことないオレもかなり苦戦した。だが、ここのところ、アルジュナに徹底的に絞られている甲斐があってか、一本も取らせることはなかった。
「いい感じに仕上がってきたな。樹」
瞬弥の汗と白い歯が陽を反射して光った。負けても腹が立つほど清々しいヤツだ。いや、別に怒っちゃいないけど。
稽古の後は、何はともあれ珈琲を飲む。瞬弥が淹れてくれた珈琲だ。これが五臓六腑に染み渡るー! 大人たちが良く言う、サウナの後の一口目のビールってこんなもんかな?
「ところでクリシュナ、あんなに奥さんがいて、困らないのか? 時間取るのも大変だろう?」
ずっと聞きたかったことをオレは聞いてみた。アルジュナのいない今こそがチャンスだ。
「ああ、それは全く困らないのだよ」
クリシュナが、なんだそんなことか、とでも言った表情で答えた。
「なんで?」
「私は体を幾つも分けることができるからな。一度に何千人でも相手ができるのだよ」
「えー!」「何!?」
これはオレと瞬弥が同時に叫んだの。こいつ、今は体ないのに、元々は何千と分身できたってわけ? どういうことだよ、それ!?
「全く情けのない話だな。何千という体を持っていたというのに、今は一つもない」
クリシュナは両肩をそびやかし、いつもの自信満々な顔を少し曇らせた。
「襲われた時は、分身作ってなかったのか?」
と、これは瞬弥。オレも同じことを思った。
「ああ……。ラーダに会う時は、私は分身しないのだよ。彼女には心身ともに捧げているのでね」
「しょうもね……」
でも、敵もそこを狙ったのかも。確実に分身していない時のクリシュナを狙うなら、ラーダとの逢瀬を狙うだろう。
「クリシュナは神様の化身だから、そういうことができるのか?」
「まあ、術の一つだからな。あまりにもモテるので、神仙よりその力を授かったのだよ。だから女性のためにしか使えない」
もっとましな力を授かれよ、とオレは心の中で突っ込んだが、言葉にはしなかった。気持ち的にも言葉にするつもりはなかったが、物理的にもできなかったからだ。
「おい! すぐにここを発つ! アスラが攻めてきた!」
閂のかかった扉を足でけり倒し、血相を変えたアルジュナが小屋に飛び込んで来たからだ。
神話のお話
クリシュナには8人の正妻と16000人(一説にはもう少し多い)の妻がいます。
この16000人の妻というのは、悪魔に囚われていた女性たち。
クリシュナはこの悪魔を倒して女性たちを開放しますが、悪魔といた女なんて!て誰も嫁にもらってくれません。
それで愛の神、クリシュナは彼女たちを全て妻としたのです。形だけではなく、一人一人に妻として対応しようとしたクリシュナ。彼が分身の術を授かったのも、当然かもしれません。
※諸説ありです!