第18話 狩るもの狩られるもの
完全にロックオンされた瞳はクリシュナと同じ金色。鳴らす喉は猫のそれとは程遠く、確実に獲物に向けた威嚇だった。
「下がっていろ。樹。こいつも同じ獲物を狙っていたのだ。逃げられて怒り狂ってるぞ」
アルジュナが光る金色の目を睨んだままそう言った。オレのせいだ。しっかり獲物を仕留めなかったから。
オレは矢筒からもう一本矢を抜いた。アルジュナから少し離れ、足場を取ると再び矢を番える。番えようとした。
「アルジュナ! やめろ!」
でも、オレが矢筈を弦に当てる間もなく、アルジュナがトラに向かって跳び出していった。しかも素手で!
トラが咆哮する。弾丸のように迫って来た敵を、しかしトラはしなやかなネコ科の肢体で、迎え撃つ。鋭い爪と鋭利な牙をアルジュナに剥く!
「アルジュナー!」
しかしアルジュナはそんなこと、お構いなし。やや身体を沈めたかと思うと反動をつけ、トラの顔面に右こぶしを叩きつけた。トラの爪がアルジュナの肩に届く寸前、動きが止まる。猛獣は辛うじて地面に着地するが、首を慌ただしく左右に振る。その頭目掛けてアルジュナの回し蹴りが炸裂。再びトラが吹っ飛んだ。
よろよろと立ち上がったトラは完全に戦意喪失。猫のような後ろ姿で藪の中を一目散に逃げ去った。
「すげえ……」
オレは感心するよりも呆れて物が言えない。アルジュナにとっては猛獣も敵じゃないのか。
「樹! 来たぞ!」
去って行くトラの後ろ姿を見送り、すっかり安心していたオレにアルジュナの切羽詰まった声が聞こえる。目の前には青ざめたアルジュナの顔が。オレは嫌な予感がして奴の視線の先を見やる。
「うっわああ!」
何故もう一頭いたのかはわからない。トラは群れる動物じゃないなんて、オレは勝手に思っていたのかな。いや、こいつがアルジュナにコテンパンにやられたトラの仲間と決まったわけじゃない。偶然にもオレ達の匂いを嗅ぎつけて、やってきたのかもしれない。
――――くっそ!
こんな色んなことを考えているオレの脳内。不思議なくらい落ち着いて、トラがオレに襲ってくるのも何故かコマ送りのように見えた。
そう言えば、どっかで聞いたことがある。命の危機が迫った時に起こる走馬灯は、人生の中でこのピンチを救える経験がなかったか、必死で脳が探すんだと。正直、そんな経験ないな。だが、オレが落ち着いているのには理由があった。何故なら。
「くらえ!」
オレの両腕には、オレがガキの頃から慣れ親しんでた武器があった。そして心には、絶対ここで死ねない気持ち。
オレは右脚を引いて地面を強くとらえる。ヤツがオレに被さるように身を跳ねさせる。
やや体を寝かせながら弓を引き、オレはトラの眉間目掛けて矢を放った。
「やった!」
アルジュナの声がした。トラのよだれがオレの顔に垂れてきた。なんか、このまま気絶してもいいかな。ぎらついていた金色の目が色を失う。不格好に尻餅をついたオレの上に、トラの巨体は音を立てて圧し掛かった。
「うわあ……!」
死んでるとわかっていても、おっかなかった。オレは、必死に体をくねらせて、ぐったりしたトラから抜け出た。見ると、思ったより大きくなかった。自分の体の倍はあると思ったのに。
「はああ……」
「よくやったな。褒めてやろう」
額にびっしりかいた汗を拭う。オレのそばにいつの間にかアルジュナがいた。見上げると余裕の笑みでオレを見ている。手に剣があったのは、オレの攻撃が間に合わなければ一刀両断するつもりだったのだろう。まだまだこいつには敵わない。
「それは、光栄だね……」
気の利いた負け惜しみの言葉も出てこやしない。オレは腰が抜けてないか用心しながら立ち上がる。幸いにもちゃんと立てた。
「トラの肉は美味くないからな。さあ、先を急ぐぞ。今度はちゃんと仕留めろ」
オレはもう今日の仕事全て終わった勢いだったんだけど、それは許されないらしい。気付かれないようにため息をついて、汗すら掻いてないアルジュナの後を追った。