第17話 神を名乗る者
狩猟小屋から深い森へと足を踏み入れる。熱帯雨林そのもののそれは森というよりジャングルだ。樹々も揺れる葉も下草も花までオレが知っているサイズを遥か越えてでかい。鼻先を擦る雑草までゴーギャンの絵画に出てくる南国の植物そのものだった。
鬱蒼と茂るそれらを手で掻き分けながら、オレ達は進む。前を行くアルジュナの肩には、担いだ弓矢が規則的に揺れていた。
オレは今回、弟達がくれたコンパクトな弓矢ではなく、狩猟小屋にあった狩り用の弓矢を持ってきた。弓道の和弓は実は世界最長と言っていいくらい大きさだけは大きいのだ。だから、何とか扱えるんじゃないかと。
今回は敵と対峙するわけじゃないし、こっちの方が遠方を狙うには威力があるはずだ。色々言ってみたけど、つまり使ってみたかっただけだ。
「クリシュナの身体のことなのだが」
筋骨逞しい背中を向けたまま、アルジュナが話し出した。オレは前のめりになって次の言葉を待つ。でもこの言い方、なんかヤラシイ感じするな。
「今、私の兄弟達にも頼んで調べてもらっているが、一つ、有益な情報がある」
「本当か!? 早く言えよ! なんでもったいぶってんだ」
「有益ではあるが、良い情報とは言っていない」
落ち着き払った声がオレの高揚した声に被さる。オレの纏っていた熱い空気が一瞬で下がった。
「どういうことだよ……」
「クリシュナにはカンサ王だけでなく、複雑な敵がいる。例えば、妻になれなかった女神とか」
「はい?」
あんだけいて、まだなれなかった人いるの? もしそうなら……、恨み持っているかも。すごいブスだったとか、じゃないよな?
「または、かつてあいつに葬られた悪神たちもいる。カリヤという、蛇の王もその一人。私はこいつが最も怪しいと睨んでいる。カンサ王にクリシュナの所在を伝えたのもこいつじゃないかと思っているんだ」
蛇の王? それって蛇なのかな。それとも人間なんだろうか。あの塔の下からクリシュナの身体を瞬時に持ち去ったのだ。普通の人間ではなさそうだけど。
「カリヤってどんな奴だよ」
「カリヤは昔、村で大暴れしていたところをクリシュナに殺されかけたのだ。だが、妻に懇願されて許された」
出ました。そういうとこだよ、クリシュナ。蛇の奥さんは美人だったのかな?
「蛇王って言っても、人型なわけ?」
「わかりやすく言うと、彼らは神と獣のハーフなのだ。だから、人のような姿にもなれるし、蛇、大蛇だが、にも変われる。だが、そのようなものにクリシュナが負けるはずはない。カリヤの妻の願いで命を助けたのに、恩を仇で返したか……」
行方はアルジュナの兄弟や国の家来たちが探してくれているらしい。早く見つかればいいのだけれど。
しかし、神と獣のハーフね。やっぱりそういう妖怪みたいなのはいるんだな。そういうのは何か術とか使いそうだけど。因みにアルジュナは神様と人間のハーフだそうだ。
「神様ってさ、人間とも蛇みたいな獣ともやっちゃうんだ。意外と雑食なんだね。なんだか複雑な心境だよ」
「愚か者が! 授けるってことだよ。人間と同じにするでない! その世界に必要と思われた時に、子供を授けられるのだ。私も本当の父上にはお会いしたことはない!」
率直な感想を言ったらアルジュナに怒られた。なるほどね、プラトニックで子供を授けるのはどこかの宗教でもあったような。それもこれも神仙ってのが告げるらしい。おまえはだれそれ神の子を授かるだろうー。みたいな感じで。
ここには魔族や妖怪はいても、神様の姿がない。そう簡単には姿を見せてくれないのが神様が神様たるところってわけか? なんだろう、この違和感。
「待て! 頭をさげろ、樹」
考え事をしていたオレに、アルジュナが歩みを制した。どうやら獲物らしい。オレの胸は高まる。
――――見ろ!
指と視線で合図する。アルジュナのキラキラした碧眼がオレの両目を捉えた。興奮しているのがわかる。
太い指先の示す先には、鹿に似た獣がいた。群から離れたのか、三頭しかいない。ゆっくりと呼吸し、オレは気配を消そうと努力する。アルジュナがオレを見て顎をしゃくる。恐らく、弓を持てと言っているのだろう。オレは細心の注意を払って背中から弓と矢を取り出した。
しかし、オレ、楽しみにしてたけど、これであの可愛い(と思えてしまった)鹿さん(さん付けしている時点でアウト)を射ることができるだろうか……。でもここで躊躇しちゃったら、アルジュナに馬鹿にされるし。
オレは頭の中でグルグルと巡る思考に押しつぶされそうになりながら、何とか矢を番えることができた。この矢は殺傷能力抜群な金属でできている。鏃はもちろん、シャフトの部分も鉄っぽい。一発で死んじゃうよな。額にも脇にも汗が滲んできた。
――――射ろ! 今だ!
アルジュナの双眸が言っている。耳にも聞こえそうなくらい、はっきりと。よし! これは今晩のご飯だ! これが獲れないと瞬弥がお腹を空かせる!
「はっ!」
オレは息を止め、そして一気に弓を引き絞る。土台は安定している。しっかりと獲物を捉え、息を吐きだすと同時に矢を放った。
「きゅいん!」
鹿の驚いたような顔が見えた。真っ黒な瞳がオレを見ている。
「馬鹿者!」
と、同時にアルジュナの罵倒がオレの耳のすぐそばで弾け、鼓膜がドラみたいに震えてしまった。矢はかすりもせず、音に驚いた獣が一目散に逃げてしまった。
「ごめん……」
やっぱり、オレには射れなかった。無理だ。無抵抗の動物に矢を放つなんて……。
「樹!」
なのにまだ責めるのか、アルジュナの怒声が響く。
「悪いって言って……」
アルジュナが後ずさり、オレの足を踏みそうになっている。驚いてヤツの視線の先を見ると。
「トラ……!」
肩を怒らせ、獰猛な金色の目を向けた大きなトラが、オレ達に向けゆっくりと歩を進めていた。
※本作のアルジュナ、クリシュナの設定は古代神話「リグ・ヴェーダ」、「マハーバーラタ」などを基本としておりますが、
曲解、アレンジ等加えておりますので、神話通りではございません。
因みに神話でのアルジュナのお父さんはインドラ神です。