第16話 王子様は欲求不満
「で、なにゆえ私の左頬はこれほど痛みを感じ、腫れあがっているのだ。美しい顔が台無しであろうが」
オレが図らずも瞬弥の頬を殴ったせいで、クリシュナが出てきてしまった。そういう法則があるのをうっかり忘れていた。
勢いとは言え、マズったな。でもちゃんと手加減はしてる。あいつの気持ちはわかってたし……。オレの照れ隠しでもあったから。
「ちょっと喧嘩したんだよ。悪かったな」
痛みも共有するようだから、ややこしい。王子様に痛い思いをさせてしまった。
「ふうん。珍しいな。痴話喧嘩か」
「何が痴話喧嘩だよ! 違うわ!」
言うに事欠いて、何を言ってんだか! そもそも喧嘩の発端はてめえが瞬弥の体に入って来たからだろう!
「そうなのか? おかしいな?」
「おかしいって、何がだよ」
おかしいのはおまえの方だろ、と続けたかったが、さすがに王子様にそれは失礼だろうと飲み込んだ。
「いや、まあいい。アルジュナはどこに行ったのだ?」
「あいつは、王子の体の手掛かり探しに行ったんだよ。もう戻ってくると思うけど」
歯切れの悪いクリシュナだったが、オレはあまり気にしなかった。何となくこの王子さまはぶっ飛んでいる。それより、アルジュナの方が気になった。狩りもそうだけど、いいニュースを持って帰ってきてくれるといいなと期待している。そこに、計ったように小屋の扉が開いた。
「今戻った。ん? なんだ?」
そこには荷物を背負ったアルジュナがいた。オレ達が雁首並べて扉を見たものだから、何事かときょとんとしている。ちょっと可愛いとこあるな。
ヤツの荷物には食料、穀物や野菜、果物、それに調味料なんかが入っていた。アルジュナはここを拠点にしてクリシュナの肉体探索をするつもりみたいだ。
「よし、樹、狩りに行くぞ!」
荷物を一通り片付けると、アルジュナは満面の笑顔でオレに声をかけた。やはり彼は狩猟が大好きらしい。オレも心躍ったが、いやいや、その前にやることあるだろうと思い直す。
「待てよ、アルジュナ。城に行ったんだろう? 首尾はどうだったんだよ」
「それは道すがら教えてやるから心配するな。そうだ、クリシュナ!」
「どうした? 狩りに行くのだろう? 早く行こうぞ」
クリシュナは既に行く気満々だ。狩猟小屋には装備も全部揃っている。さすがに猛獣相手に裸では行けないよな。王子様は長袖の上着等々を早々に着込んでいた。
「残念だが、おまえは連れてはいけない」
「え? ええ! 馬鹿を言うな! 冗談ではない、私は行くぞ! 私は妻といることはおろか、好きな笛を吹くこともできず欲求不満なのだ! 狩りくらい行かせないか!」
「駄目だ。危険だ」
アルジュナは容赦なく言い捨てる。なんだかクリシュナが気の毒になってきた。奥さんのことは置いておいても、笛のことは聞いている。
クリシュナは笛の名手らしい。で、その音色を聞いた女の人はみんな虜になるんだってさ。そんな笛吹いたら、ここにいますよって宣伝してるのも同じだから、アルジュナは笛を吹くことを禁じている。
「それに、ここに私が一人でいるのこそ危険ではないのか? もしここにアスラ族が襲ってきたらどうするのだ!」
クリシュナは駄々っ子のように訴える。言い分はわかるけど、ここに拠点を置いたのは、ここなら危険がないとアルジュナが判断したからだ。無理あるよな。
「大丈夫だ。それほど遠くには行かない。それに、こいつが見張ってくれる」
「こいつ?」
オレとクリシュナが同時にそう言った時、アルジュナが開けた扉から、黒い影が一迅の風のように入って来た。
「わ! カワリか!?」
飛び込んで来たのは、体長が五十センチはある大きな猛禽類。鷹の仲間だろうか。翼を広げたところは、一メートルは優にあった。お腹は白っぽいが翼はこげ茶系。頭に冠というかアホ毛みたいなのがちょこんとあってそこは可愛らしい。
狭い部屋を器用に一回り飛ぶと、クリシュナの肩の上に乗った。
「こいつが上方で見張りをして、何かがあったら私たちのところに報せに来る」
「カワリ、久しいね」
アルジュナの話を聞いているのか、クリシュナは目じりを下げて、鷹の首あたりをこそばしている。鷹はその手を容赦なくつつくんだけど、突かれている本人は、それでも嬉しそうだ。
「あれは、クリシュナのペット?」
「いや、私のだ。狩りにも使うが、どういうわけかクリシュナはカワリが好きでね。雌だからかな」
いや、そこまで?
「凄いな、あんな立派な鷹。間近で見るの初めてだ」
「あいつは利口でね。頼りになるやつだよ。さあ、樹、突っ立ってないで狩りに行くぞ。早くしないと晩飯に間に合わん!」
「あ、ああ、わかったよ」
もう少し鷹を見ていたい気持ちになったが、クリシュナも大人しいし、アルジュナの後を追った。あれほど狩りに同行したがっていたクリシュナは魂抜かれたみたいに鷹と戯れている。
「アルジュナ。おまえ、マジでクリシュナの事よくわかってるのな」
「当たり前だ」
前髪を止める金の輪と、笑みから零れる白い歯が同時にきらりと光った。