072 caution
「おねーちゃんってお姫様?」
「う~ん、どうかな」
小日向アリアは否定せずにそんな言葉をもらす。
所属している野球部の試合会場へ向かっている所に散歩へ出て、帰り道が分からなくなり泣いていた女の子を見つけたのだ。
身分を表示するものもなく、交番が近くにあるかどうかも分からなかったので女の子の記憶を頼りに一緒に歩いていた。
夏の制服に身に、時々汗を拭いながらも真夏の暑い中で手をつないで歩いて行く。
まったく検討もつかなければ交番へ行こうと考えていたアリアだったが、女の子も帰り道が分かってきたようで、家まで送る形となった。
「おうじさまとけっこんしてるの?」
アリアは有栖院女学院の中等部の時代に学祭でお姫様役を何度かやったことがあり、その思い出にひたっている。
その王子は同性の女の子だったが、今も元気にやっているだろうかと空を見上げる。
現実問題、アリアの王子様といえば誰を思い浮かべるだろう。
まずは想いを寄せる兄の親友である浅田悠宇である。
温和な雰囲気で心優しい所を好意的に思っている。
ただ、女性苦手で頼りない所が見えたり、特定の人を大切にするより万人全てを大切にする、そのような印象を受ける。
(兄様が悠宇様は聖人みたいだと言ってましたが。言い得て妙ですね)
そしてもう一人、思い浮かぶのは同い年で野球部のエースである夜凪星斗である。
容姿端麗で女子人気でルックスだけなら王子様といっていいだろう。
(夜凪さんはもう少し可愛げがあればねぇ……)
初めて出会った時は険悪な仲であったが、度重なる言い合いと交流を経て、ある程度の仲におさまっている。
それでも良い仲であると到底言えない。
(……世の中もっと優しい男性ばかりなら)
兄を含む、知り合う男性達を思い浮かべ、アリアは子供の手を引き、ゆっくり歩いていた
人通りの少ない、少し暗がりの高架下へ足を踏み入れる。
その時……アリアの前を遙か大柄な男達が道を塞いだ。
その大柄な男達が影となり、アリア達の姿は暗闇に隠れてしまう。
「ヒュウ、近くで見るとすっげーかわいいじゃん」
「このレベルの女ってそこらにはいねぇっすよね」
「な、なんですか……」
アリアは強い視線に身震いし、男達の横をすり抜け、立ち去ろうとするがあっと言う間に前を塞がれる。
3人の身なりの荒れた男達はアリアが普段交流する人達にはほど遠い人物像である。
明らかに狙いはアリアであることが分かる。
アリアは視線を側で震えている女の子に向けた。
アリアも運動神経には自信がある方だが、女の子が側にいる状態だと全力で走って逃げることはできない。
側にいる女の子を巻き込むわけにはいかない。
今だったら女の子だけでも逃がせるとアリアはぎゅっと女の子の手を握った。
「このまま後ろに走って逃げてください」
「……で、でも」
「アリアなら大丈夫です。家についたらお父さんを連れてきてください」
「う、うん!」
後ろに下がるフリをして女の子に触れて合図し、走らせる。
男達もそれに反応をしたが、同時にアリア自身も別方向に逃げようとしたのでその隙もあり、少女を追いかけることを防ぐことができた。
ただその結果、壁を背に三方向から囲まれてしまい、完全に逃げ場を失う。
アリアは武道などの心得はない。兄と違ってそこに秀でた父の才をほとんど受け継がなかったのだ。
何とか時間を稼ぐしかない。
「……わたしに手を出したらどうなるか分かっているんですか」
「わかんねぇなぁ、しかっし、震えちゃってかわいいねぇ。暴れなきゃ優しくしてやるからよ」
「いいトコのお嬢様か? まっ、何でもいいや」
この男達に有栖院の名前を出した所で恐らく通用はしないだろう。
アリアはすぐさまスマートフォンを取り出そうとポケットに手をいれる。緊急時のコールができるようにワンタッチで操作できるようにしていた。
しかし、取り出した途端、別の男に手を払われて、スマートフォンはあらぬ所へ行ってしまう。
「だから暴れるなって言ってんだろっ!」
「きゃっ!」
大声で詰め寄られ、アリアは腰を抜かしてへたりこんでしまう。
恐怖で美しい顔が歪み、目尻からは涙が浮かぶ。
そんな姿も男達の欲を盛り上げるのか、男達の表情は醜く笑ったままだ。
「さっさと運ぶぞ」
「いやぁ……やだぁ!」
アリアの体に男達の手がゆっくりと迫る時……。
暗がりの高架下の先から車輪の音が聞こえていく。
その音は少しずつ、少しずつ音を増し、近づいていく。
暗闇から抜けた先の自転車は容赦なく、男の1人を突き飛ばした。
「ぐあっ!」
衝撃が跳ね返る自転車から飛び降りて直ぐさまアリアの前へ守るように立つ。
やや薄めの黒髪と上着は着ているものの、中のちらっと見えた神月夜のユニフォームは見間違えることはない。
「……よ、夜凪さん?」
「相変わらずアンタはモテるよな……」
夜凪星斗は吹き出た額の汗を拭って、男達を見据える。
「ギリギリセーフか……。ふぅ……」