071 hurry up
夜凪星斗はベットから飛び起きた。
そして何度も何度も目をぱちくりとさせ、ベッドの側に置いてある目覚まし時計に目をやった。
「うわっちゃぁ……」
今日は地区予選3回戦が行われる予定である。
そんな大事な試合を前に寝坊してしまったことに星斗は青ざめる。
監督、先輩、同級生からどれだけ怒られてしまうか。なぜかマナーモードにしていたスマホには着信が何件も入っていた。
相手は甲子園出場経験を持つ強豪高。野球部エースである星斗が登板しても勝てる見込みはかなり薄い。
そんなことをいってもエースが登板しないことはありえない。
星斗は起き上がり、すぐさまユニフォームに着替える。
「ねぇちゃ……あ、先行ってんだっけ」
姉である朝宮美月は早々に家を出ていってしまった。
確か、家を出る直前に一度起こされたことを星斗は思い出す。
だが……うっかり二度寝をしてしまい、今に至るというわけだ。
「自転車を飛ばせば……間に合う。オレならいける」
尊敬する小日向先輩にめちゃくちゃ怒られるだろうなという恐怖はありながらもひとまず電話で一報は入れた。
案の定、バカかおまえはと怒られてしまった。
安全運転で来いと言ってくれたので星斗はユニフォームを隠す上着を着て、すぐさま家を飛び出した。
試合開始まで30分を切っている。
「あぁして、こぅして、……よし、1回から投げられる」
星斗はどうすれば1回表から投げられるか必死に思考する。球場までに到着する時間と到着して1回表が始まるまでの時間でウォーミングアップのやり方をシミュレーションしていた。
星斗は自転車にまたがって全速力でこぎ出した。
市街地を抜け最短距離で突き進む。
大通りを外して、小回りの利く住宅街を駆け抜けていく。
そんな時、突如星斗は急ブレーキをかけて停まった。
「あれは……」
星斗の視線のはるか先には一人の少女が歩いていた。
顔はよく見えないが、その目を見張るように美しい腰まで伸びた黒髪を見間違えることはない。
小日向アリア。
星斗の先輩である小日向太一の妹であり、星斗にとって犬猿の仲の相手である。
ただ、最近は少しわだかまりが解消したようにも見える。
互いにこのような性格であると認識を深めたからだろうか。
アリアの手には幼稚園児くらいの女の子の手が握られており、アリアはキョロキョロと頭を泳がせる。
「……迷子か」
星斗は軽く息をついた。
確かアリアも球場の方へ向かう話になっていたはず。
そのアリアがここにいるということはあの子供の親をずっと探しているといった所だろう。
「……このクソ暑い中ご苦労なこった」
しかし、悪態づく星斗の表情は明るい。
こうやって小さい子に自分の時間を割いて上げられるアリアに対して喜ばしく感じたのだろう。
星斗は自分だったらどうだろうかと考える。果たして……小さな子に手を差し伸ばしてあげられるだろうか。
このご時世。誘拐と間違えられるくらいならと遠慮してしまう可能性が高い。
「だからこそ悠宇せんぱいを好きになるんだろうな」
アリアが野球部のアメとムチのアメ担当である浅田悠宇に想いを寄せていることを星斗は知っている。
少し頼りないけど、真に優しい悠宇を小日向太一と違った意味で星斗は尊敬していた。
女性が苦手すぎるのはどうかと思うけど……という想いを別にして。
星斗はハンドルを握って、進行方向に目を向ける。
暇であればアリアを手伝ってもいいが、今日はやるべきことがある。
今日は絶対に球場に行かなければならない。そのためにペダルに足をかけるその時……。
すでに立ち去ったアリアのいた場所にガラの悪そうな男達が通過した所を見てしまった。
……獲物を見つけたように卑しい顔つきでアリアが進む方へと向かっている。
星斗は嫌な予感がし、進行方向へ回そうとしていたペダルを止めた。
このまま向こうへ行けば確実に試合に間に合わなくなる。
そして向こうだって杞憂ですむかもしれない。
だけど……見過ごすことなんてできなかった。
星斗は自転車を持ち上げて、進行方向を変える。
アリアのいた所は大通りのさらに先だ。大通りの信号待ちがネックだが、急ぐしか無い。
「……くっそ。何もなかったら文句の1つでも言ってやる!」