064 freedom prince
「小日向さん、俺と付き合ってくれないか」
いつしか小日向アリアにとってそれはありふれた言葉となっていた。
6歳の頃から有栖院女学院に入れられて、中学を卒業するまで彼女は女性の園で育った。
同性での恋も女学院では0ではなかったが、異性との恋路を求める者は多く、親兄弟親族もしくは想像上の殿方でその恋に想いを寄せる形となる。
小日向アリアもその1人であった。
ミス日本のグランプリを受賞した母の容姿を強く受け継いでおり、夜空のように黒く長い髪は男女問わず羨望の象徴となっていた。
また小柄ながら出ている所はちゃんと出ている体は男子受けが非常に良く、間違いなく小日向アリアは神月夜学園一の美少女として君臨していた。
「申し訳ありません。アリアは今、勉強中の身。どなたともお付き合いする予定はありません」
「こ、高校の間だけ……せめて、友達からでも!」
「ごめんなさい」
すがる男性生徒に一礼をしてアリアは離れていく。
月をまたぐたびにこのような腹の立つ告白が増えてくる。アリアは気持ちを抑えるように何度も何度も息を吐いた。
(高校だけって何! 卒業したら捨てるってことなの!?)
外見だけしか見ない男達から来る連日の告白にいら立ちが表に出てしまう。
「悠宇様は……見てくれないしなぁ」
アリアの望む、理想の王子様。それは兄の親友である浅田悠宇のことである。
何とか機会を作って悠宇と話をしたいが、女性の苦手な悠宇はアリアと話したがらず、理由を付けて逃げられている。
話したい人からは逃げられ、話したくない人からは求められる。
アリアの学園生活はその繰り返しだ。
「アリア」
「終わった?」
「2人とも。お待たせしてごめんなさい」
アリアと同じ1年生を表す赤いリボンをした少女達がアリアの名を呼ぶ。
彼女達こそ、アリアの数少ない同年代の友人だ。
完璧なお嬢様であるアリアは周囲から浮いており、この神月夜学園に転校してからまったく友人がいなかった。
兄や部活の先輩である朝宮美月、親族に近い天童ほのかと皆学年が違うため気軽に会いにいくことができない。
そんな中あることがきっかけでアリアは同性の友人を手に入れた。
だけどそれでもアリアの日常に平穏はなかった。
「アリアはさ、この街の夏祭りって知ってる?」
「夏祭りですか?」
「そそ、8月の終わりにあるんだけど……花火大会も同時にあってね。よかったら行かない?」
「行きたいです! ぜひ連れてってください!」
「小日向さん、夏祭りに行くの!? 良かったら」
会話を盗み聞きをして、アリアに迫る男子生徒達。そのたびに会話は止まり、押し寄せる波にアリアは飲み込まれていく。
久しぶりに見る男性に恐怖感を覚えていたが、いつしかそれも慣れ……恐怖以上に怒りを覚えるまでになっている。
矢継ぎ早に夏祭りに行こう。夏休みをどうするのかと聞かれる。その勢いに友人達もアリアを助けることができない。
「や、やめてください!」
アリアのか細い声では大勢の男子の耳には入らない。学園一の美少女と夏のひとときを過ごしたい。男子生徒達の願いはただそれだけだ。
3年のマドンナ、天童ほのかであれば言葉巧みに交わしただろう。2年の朝宮美月であれば危険を察知し、速やかに逃げ出しただろう。
経験の少ないアリアはその波から逃れる術を知らなかった。
1人この波の中で佇むしかなかった。恐怖を超え、怒りを超え、嫌悪な気持ちが鳥肌となって腕から浮かび上がっていた。
思わず倒れてしまいそうなこの状況。ついに腕を掴まれてしまう。
アリアは成す術もなく引き寄せられた。アリアは思わず目を瞑る。
「いい加減にしなよ」
その聞き覚えのある声にアリアは目を開いた。
「あなた……」
端正な顔立ちをした黒髪の少年がアリアを乱暴に引っ張っていく
「悪いけど、せんぱいが呼んでるから連れて行くよ」
「お、おい! 勝手につれていくんじゃ」
「文句はこの子の兄に言いなよ。まーせんぱいに刃向かえる男なんていないだろうけど」
小日向アリアの兄は野球部の副主将で学校内でも有名人である。
鍛え上げた肉体、学園上位の頭脳、おまけに口達者で、名家がバックについているため上級生であってもうかつには口を出せない。
その人物を出されては……大勢の男子も手が出せなかった。
アリアの同級生である夜凪星斗は校庭まで彼女を引っ張ってく。
アリアの前に現れた自由すぎる王子様は彼女の足幅に合わせて歩かないためアリアはバランスを崩してしまう。
「ちょっ、痛いので離してください!」
星斗はその言葉と同時に手を離す。そしてそのまま先にある校門へ向かって歩き始めた。
アリアは慌てて呼び止める。
「待ってください!」
「なに」
ため息をつき、星斗は振り向く。
アリアは夜凪星斗が大嫌いであった。初めて会った時から相性が非常に悪く、出会うたびに口ゲンカが絶えない。
普段は丁寧で冷静な言葉使いをするアリアが口調を荒くするのはこの星斗と話す時だけである。
「……なぜいつもアリアを助けるんですか」
先日も同じように取り囲まれたことがあり、今回と同じように星斗に助けてもらったことがある。
「せんぱいにメシ食わせてもらってるお礼だよ。アンタに何かあったらせんぱいが悲しむだろ。アンタのためじゃない」
星斗はアリアの兄、太一を非常に慕っており、同じ野球部でバッテリーを組んでいることから仲が良い。
それはアリアも知っていて、納得できる話ではあるが……、どうしてもその余計な言葉に噛みついてしまう。
「わたしだって別に助けてほしいなんて……」
「じゃあそれでいいじゃん。アンタは別に恩を感じる必要なんてない」
「ほんと可愛くない男ですね」
「アンタもそんなに可愛くないよな」
アリアはクスっと笑った。
「ほんとこんなやりとりばっかり」
「ふん、別に仲良くなりたいわけじゃないんだし、これでいいだろ」
星斗は再び振り返り、校門の方へ歩いていく。しかし、その歩みはすぐに止まった。
「今日はウチに来ないのか」
アリアに背を向けたまま星斗は喋る。
「どうしてわたしが……」
「今日の朝、せんぱいがエビフライを仕込んでたからさ。今日の晩ご飯はそれだよ」
「エビフライがどうだっていうんですか!」
星斗は再び振り返り、ぶっきらぼうな視線をアリアに向け、顎を引いて口を出した。
「アンタエビフライ好きだろ。この前よだれ垂らしながら見てたじゃん」
「よだれなんか垂らしてません!」
その指摘は大当たりである。エビフライは小日向アリアの大好物の料理であった。
想像するだけで口内によだれが出てくる。アリアは自然と手が口元へと行ってしまう。
その反応に満足したのか星斗の口元が緩んだ。
(本当に嫌い! この人嫌い! なのに……)
アリアは右手で自分の左腕をなぞるように触れる。
(さっきまで浮き出ていた鳥肌が全部消えてる……)